四時間前後が経過しても、遺跡に潜った九龍と甲太郎は戻って来なかった。
彼等が普段、大体何時頃に遺跡に潜り、何時頃に引き上げるかを把握しつつある京一と龍麻は、段々彼等のことが心配になって来て、バー・九龍にての、劉弦月のことを話題とした瑞麗とのひと時を切り上げ、様子を見に、自分達も潜ってみることにした。
開かれている扉は、九龍が、魂の井戸という名だ、と言っていた部屋を抜かせば三つあったが、化人が現れぬ区画が彼等の進んだ方角だ、というのも二人は承知していたから、道には迷わなかった。
「葉佩君も言ってたけどさ。何でこの遺跡、こんなに大掛かりなんだろうね」
「……あー。悪りぃ、ひーちゃん。俺、その手のことに関しちゃ、これっぽっちも頭働かねえ」
「…………知ってる。言った俺が馬鹿だった。京一、野生の勘で生きてるんだった……」
一つの区画だけでも、充分に広い、と言えるそこを辿りながら、のんびりした会話を交わしつつ奥へ奥へと進んで、漸く、悪趣味な黄金色の扉のある部屋へと辿り着いた時。
「あ、又来た……………………」
かくっと、それまで順調だった龍麻の膝が折れた。
「又? 例の奴か?」
「うん……。こんな所、なのに…………」
「一寸待ってろ。どっか、休めるトコ探して来るから」
九月の終わりのあの夜、そうなったように、『波』が来た、気持ち悪い、と龍麻がその場にしゃがみ込んでしまったので、京一は手を貸し、楽な姿勢で座らせてやってから手早く近場を調べ、見付けた魂の井戸に、龍麻を抱き抱え運んだ。
「ここ……やっぱり、龍脈の…………」
「どうだ? ちったあ、落ち着いたか?」
「有り難う、京一……。……この部屋は、楽…………」
「そっか。良かった…………」
「……ホントにもー……。何で、不意打ちみたいに、こんな…………。腹立つ……」
柔らかな緑色の光と空気に満たされるその部屋は、『正しい龍脈の氣』だけがある、と龍麻は若干顔色を良くし、京一の膝を借りて横たわりながら、無理矢理飲み込んだ、「御免」の代わりに、ブチブチ文句を呟いた。
どうしたって言いたくなる「御免」を告げれば、又、京一を苛立たせるだけだから、それは、何としてでも音にする訳にはいかないが、だからと言って、黙っているのも龍麻には辛いことだった。
「…………そうだな。でも、こうなっちまうもんは仕方ねえよ。暫く、大人しく寝てろ」
「そうする……。……あ、でも、葉佩君達…………」
「もう一寸したら、俺が見て来てやるって」
「ん……」
ひたすらに、龍麻が「御免」を飲み込み続けたからだろうか、己が膝に乗った彼の髪を撫でる京一の手付きは、普段通り優しくて、優しい手に誘われるように、龍麻はゆっくり、瞼を閉ざした。
朱堂を追って辿ったその区画は、これまでに制して来た二つの区画よりも、出現する化人が手強かった。
『邪魔』を装った甲太郎に庇われても、九龍は幾度となく手傷を負った。
悪趣味な扉のある部屋の中にも、大型の化人は何体も蠢いていて、人面を隙間なく貼付けた、丸太のような両腕を持つモノに横殴りに吹き飛ばされ、先端が鋭利な刃物になっている布のような手を持つ女形の化人には、体のあちこちを切り刻まれ掛けた。
「九龍、大丈夫か?」
「だー……いじょーぶー……。……だけど、ぶっちゃけ、しんどい……。甲太郎は、平気ー? 怪我してないー?」
──天の岩戸の間、という、魂の井戸に続く扉を有するその部屋に、京一と龍麻が辿り着いた、三、四十分程前。
へとへとになって、漸く見付けた魂の井戸に転がり込んだ時の九龍の姿は、甲太郎があからさまに眉を顰めた程酷かった。
「俺は、お前みたいに戦ってる訳じゃないからな。逃げてりゃ済むし」
「あはー……。ま、いいやー、甲太郎無事ならそれでー……。…………あー、疲れたぁぁ。ビューティー・ハンターの二枚目のメモは、結構精神的ダメージ大だったし……。『届け、アタシの二酸化炭素!』って、或る意味凄い名文だけど、衝撃はでっかかった……。あれが一番堪えた気がする。ううう……」
化人だけでなく、仕掛けられた罠もその区画には多く、壊れていて動かない絡繰り錠もあって、それ等を何とかする為、必要以上にあちらこちらを奔走した九龍は、でろっと井戸の縁に洗濯物のように凭れ、疲れを訴え。
「あんな、気色悪いメモの話なんかするな。──それよりも。お前、治療道具持って来てるんだろう? 出せよ」
「んー……。一応、『JADE SHOP』で調達した、救急パック担いで来たけどさー。でもー……」
「でも、何だよ」
「あれ、高いんだもん。五万もするんだもん。勿体無い…………」
「……いいから、とっとと出せ。貧乏性」
「うーーー…………」
救急パックを出し渋る彼の頭を、甲太郎は情け容赦無く引っ叩いて引き摺り出させ、さっさと取り上げると、九龍の怪我の手当に取り掛かった。
「あ、いいよ。自分でやる」
「やってやるから、大人しく休んどけ。この部屋は、パワースポットとやらなんだろう? じっとしてればその分、疲れも取れるんじゃないのか?」
「うん、まあね。──素敵な部屋だよねー。ここにいると、怪我の治りも早いしさー。疲れも簡単に取れるしさー。有り難や」
「……拝むな。縁起でもない」
「いいじゃん。有り難い部屋なんだから、拝んだって。…………処で、こーたろーさん? 上手いね、こーゆーこと」
未練がましくしたものの、お高い救急パックを使う覚悟を決めた九龍は、自分でやるから、と甲太郎の手助けを一度は辞退したが、結局説き伏せられ、されるに任せ。
今度は、甲太郎の手際の良さに感心し始めた。
「もしかして、慣れてる?」
「…………そういう訳でも」
「にしては、上手過ぎない?」
「……………………が……だから」
「え? 御免、聞こえなかった」
「……親の商売が、医者だから。門前の小僧って奴だろ」
「へーーーー……。甲太郎の親御さんって、お医者さんなんだ」
「あれを、医者って言うならな」
「……? 甲太郎?」
「…………何でもない。────ほら、これでいいだろ」
「あ? あ、うん! 有り難う、こーたろー!」
その所為で、彼等のやり取りは、甲太郎の実家の生業の話に少しだけ及んで、ボソっと搾り出された、甲太郎の心底嫌そうなトーンに、九龍は訝し気に首を傾げたけれど、どうにも、甲太郎は実家の話をしたくないらしいのが手に取れたので、礼だけを告げ、ぴょこんと勢い良く立ち上がって。
「さて! 行こう、甲太郎。ビューティー・ハンターと、ここのラスボス退治!」
「出来るなら、二度と会いたくないがな、あの変態には」
「まーまー、そう言わず。元気出して行きましょー」
渋る甲太郎の腕を引き、魂の井戸を出た九龍は、三度目となる、悪趣味な扉の解錠に向かった。