女子寮を現場とした、『異星人襲来騒ぎ』が起こった四日後。
十月十日、日曜日の午後。
先日、保健室までカレーパンの宅配をしてくれた礼に、と甲太郎がくれたマニア垂涎のカレー鍋と、カレー作りに必要な材料一式を担いで、往生際悪く渋る甲太郎の背を押し、予てからの約束通り、京一と龍麻の部屋で甲太郎に手作りカレーを振る舞って貰うべく、九龍は警備員のマンションを訪れた。
運良く、十日、十一日と、暦は二連休で、青年組の仕事のシフトも、十日は早出、十一日は遅出、と、そこそこに上手く重なったので、連休初日、カレー作りは決行された。
甲太郎に曰く、
「スタンダードなカレーをセレクトして、どんなに行程を端折って作っても、出来上がるまで五時間は掛かる」
とのことだったから、青年達の仕事が終わった十分後に部屋に乗り込み、目標は、午後七時の夕飯! と、ラベンダー色のMyエプロンを持参した甲太郎をメインシェフに、少年達がカレーを作り始めて、二時間程が過ぎた頃。
丁度、午後のお茶の時間。
暫くは、このままとろ火で煮込むだけと相成ったカレー鍋の番をする為、ダイニングキッチンの椅子の一つを陣取った甲太郎と、天邪鬼で可愛気が無い、歳の離れた弟にも似た『格好の玩具』を構い倒して遊んでいた京一が、揃ってうたた寝を始めたのを、こそっとリビングから盗み見。
「寝ちゃった二人は放っといて、お茶でも飲もうよ」
「あのーーー……ですね。その……龍麻さん。ちょーーーーーっと、後学の為に、お伺いしたいことがー……」
ソファの方に手招いて来た龍麻の隣にそそくさと九龍は腰下ろして、モジモジ、酷く言い辛そうに、相手の顔色を窺った。
「へ? 後学? …………えーーーと。遺跡の話か何か? 俺、あんまり難しいことはー……」
「あ、そっちじゃなくってですねっ! ………………ものす……んごく、プライベートな話なんですけど……」
「……? プライベート? …………な、何……?」
「そっ……そのっ! ……龍麻さんと京一さんの、えーー、馴れ初めっつー奴をですね、後学の為に教えて貰えたら嬉しいなー、と……」
「馴れ初め、ねえ。馴れ初めって言ってもなあ……。──高三の春に、俺一人で新宿に引っ越すことになって、真神学園に転校した初日に、クラスの男子で最初に話し掛けてくれたのが京一で、校内案内もしてくれてね。たまたま、その時の生徒会長で、学園のマドンナ的な存在だった同級生と隣の席同士になったんだけど、そしたら、その同級生──美里葵って人なんだけど、その美里さんに片想いしてた不良に因縁付けられて体育館裏に呼び出されちゃって、一戦やらなきゃ駄目かなー、ってなった時に、そこに植わってた桜の木の枝から、俺の助太刀に京一が『降って来て』、だから、そんなこんなで転校初日から京一とは仲良くなれて、その内、親友同士になって──」
「──あーーーー……。そういう馴れ初めじゃなくてですね…………」
「え? じゃあ、どういう馴れ初め?」
「……え、えっとぉ! だから、あー、その、何て言うか……うー……。……た、龍麻さんと京一さんが、えーー……つ、付き合うようになった馴れ初めって言うか…………」
「…………………………あー、そっち……」
おどおどモジモジしながら、九龍が龍麻から聞き出したがったことは、『そういう関係』に至った馴れ初めで、始めの内、九龍の問いの意味を勘違いしていた龍麻は、彼の本心を知った途端、しらー……と目を泳がせた。
「え、ええ! そっちですっ。……も、もし、良かったら…………」
──以前甲太郎が、京一と龍麻を指して、恋人同士、との言葉を選んだ時、京一の視線も、龍麻の視線も一瞬泳いだことを、九龍とて忘れてはいなかったし。
今の龍麻の様子からして、余りこの話題には触れて欲しくないのだろう、とも察せられたが、九龍は引き下がらなかった。
龍麻の迷惑になると判っていても、知りたかった。文字通り、後学の為に。
……九月が終わる直前、彼が抱えた『悩み』──己は、親友以上の何かを求めてしまう程、甲太郎に想いを傾け過ぎているかも知れない、とのそれは、十日と少しが過ぎた今、彼の中で、『甲太郎の正体』が如何なるモノであろうとも、自分はきっと、甲太郎に惹かれていくのを止められない、との自覚に変わっていた。
結局の処、甲太郎がナニモノだろうと、どうしたって自分は甲太郎が『欲しい』と願っているし、甲太郎と一緒にいるのは楽しいし止められないのだ、だとするなら答えは、きっと一つしかない、と。
そして、自身のそんな想いに戸惑うことすらなかった、ひたすら前向きな彼は、『ならば、己の想いを叶える為にはどうしたらいいのか』という問題と、取り組み始めた。
だから、『その問題』を解く参考に、京一と龍麻のケースを知りたい、と思っていて。
「……そんな、語る程大した話じゃないし…………」
「そ、そんなことないですっ! 俺にとっては大もんだ……──。──あー、えーーーっと……」
「大問題? 葉佩君にとって? ………………まあ、いいや……。本当に、大した話じゃないんだけど…………」
龍麻が渋っても渋っても、九龍は粘り、とうとう、彼の口を開かせることに成功した。
「………………もう、一年半も前のことになるんだけどね。あれは……二〇〇三年の正月が終わって直ぐ、だったかな。……俺、大風邪引いたんだ」
「は? はあ……」
「その頃、俺と京一がいたのは中国の山奥で、酷い大雪にもなっちゃって、医者も呼べなかったから、俺、寝込んじゃってさ。……その時、俺、寝言で、寒いって言ったらしいんだよね」
「……………………はあ」
「で、他にどうしようもなかったから、京一、湯たんぽ代わりに俺のベッドに潜り込んだらしいんだけど。………………事もあろうに、そこでうたた寝してるド阿呆は、寝惚けた挙げ句、高校時代、躰のお付き合いがあったお姉様の誰だかと間違えて、俺に、『おはようのキス』をカマしてくれたそうで。忘れてくれれば良かったのに、ド阿呆はそれをしっかり覚えてて、寝惚けた果ての間違いでキスしちゃったけど、男で、親友兼相棒の俺にキスしたって気付いても嫌とは思えなかったから、それは一体どういうことなのか確かめたい、って言い出して。減るもんじゃないから俺とキスしてみないか、とも言い出して。……減るから嫌だって言ったのに、擦った揉んだの結果、押し切られて、結局、その…………ド阿呆のお願いを聞くことになってさ」
「それで?」
「…………現在に至る。以上」
「うわーー、途中経過、一切省いた、この人。………………しかし、何て言うか、あー……。ビミョーに有り得そうで、ビミョーに有り得なさそうな展開ですね…………」
何とか聞き出せた龍麻の話は、九龍にしてみれば正直、「それって、馴れ初めとしてどうですか?」と言いたくて仕方無くなった『彼等の経緯』で、ハハハハハ……、と彼は乾いた笑いを零す。
「まあね…………」
「普通、幾ら相手が大親友でも、素面の時に、しかも男同士で、おふざけじゃないキスさせてくれないか、とは言いませんよねえ……。………………うーん、偉大だ、京一さん。潔過ぎる」
「…………くっ……。何か、思い出したら腹立って来た……。あんなことがなければ、あんなことがなければ……っ。京一の、ド阿呆ーーーーっ!」
渋々ながらも語った『過去の恥』と、極力視線を合わせず乾いた笑いを零す九龍と、『最大の元凶』に龍麻は腹を立て、キッ! とリビングに背中を向けてうたた寝を続けている、『元凶』の背中を睨んだ。
「まあまあまあ。…………でも、そうは言っても、龍麻さん、京一さんのこと、好きなんですよね?」
「………………それは、まあ……うん…………。好き…………だよ」
「なら、いいじゃないですか。結果オーライですよ! 始まりは、或る意味衝撃的でも、今は、とっても仲良しな恋人同士じゃないですか」
「……まあ、ね…………」
「…………あれ。龍麻さん、何となく元気ないですね。もしかして、京一さんと痴話喧嘩でもしたんですか?」
今直ぐにでも、眠る彼の背中を殴り付けそうな龍麻の勢いを九龍は宥め、出だしがどうあろうと、と事実である筈のことを突き付ければ、龍麻のトーンは徐々にダウンし。
おや? と思った九龍は、気付かぬ振りしてわざと、恋人同士、という単語を選んでみた。
すれば益々、龍麻の声は低くなり、顔色は少し暗くなって、彼等の間に、そんなに苦し気な表情をしなくてはならない事柄が横たわっているのだろうか、とすっかり懐いてしまった『愉快なお兄さん達』に、九龍はお節介を焼いてみる気になったが。
「喧嘩? 喧嘩なんかしょっちゅうだよ。朝、起きるの起きないの、から始まって、今日『は』ラーメンがいいって言い張る京一と、今日『も』ラーメンになるだろう、って言い争って……、って感じで、一日中。………………それよりも、葉佩君?」
憂い顔の一切を、ばっさりと塗り替え、龍麻は。
「はい?」
「……誰か、好きな人でもいるんだ?」
自分達の日常を軽く語りながら、にっこーーーーーーーー……と、以前九龍が、この人はこれだけで世間を渡れる、と確信した笑みを浮かべ、ストレートな質問をぶつけた。