ほんの小一時間程前、九龍と共に進んだ区画を、甲太郎は再び辿った。
『法則』通り、殲滅された筈の化人達は復活を遂げていて、見境なく彼に襲い掛かったが、制服のズボンのポケットに両手を突っ込み、アロマを香らせたまま、彼は事も無げに化人を悉く蹴り倒し、消滅させていった。
懐に飛び込まれても、常人の目には留まらぬだろう速さで、あっさりと、その攻撃を躱した。
…………甲太郎には、それだけの力があった。九龍と出逢う以前から。
彼の前では、決して見せること出来ない《力》だけれど。
──彼が、漸く、ポケットに仕舞ったままの手を片方だけ晒したのは、渦を描くように作られた、なだらかな長い坂道を上り終え、魂の井戸を通り過ぎ、化人創成の間の前に立った時だった。
流石に、訪れる度に現れる巨大な化人と、彼にしてみれば雑魚でしかない、が、数だけはそこそこに姿見せる化人の群れを直ぐそこに控え、それなりには本気になったのだろう。
それでも、無駄には腕を揺らがせることなく、彼は、九龍が「悪趣味」と言い続けて止まない大きな黄金色の扉を潜り、途端蠢き始めた化人の群れへと、変わらぬ歩調で近付き。
頭上よりも高く振り上げた蹴り足の一撃で、雑魚の群れを一匹残らず消し去った。
「…………よう。一人で、楽しそうなことやってんな、皆守」
──残るは、後一匹のデカブツ、と、迫り来る化人に向き直った時。
真後ろから声を掛けられ、甲太郎は愕然と、声の主を振り返った。
「蓬莱寺……。あんた…………」
気配すら悟れぬまま背後を取られ、しかもその相手が京一と知って、彼の顔色は蒼白となる。
「…………話は、後な」
だが京一は、唇の端を歪めるだけの笑いを浮かべ、何時の頃からか抜き去っていた、刀を構えた。
「お、おいっ!」
「話は後だって、言ってんだろ?」
灯りの乏しい部屋の中に、それでも何処より微かに届く光を弾く切っ先を、京一は右頭上に振り上げ。
「円空旋っ」
二人が短い言葉を交わす間も、ひたひたと近付いて来た化人へ、奥義の一つを放った。
翻った刀は、凄まじい量の疾風を生み、風は、目に見えぬ塊のうねりとなって、化人を襲ったが。
「…………へーぇ」
己の放った技が、そこそこにしか化人にダメージを与えられなかったと知るや、片眉を跳ね上げ、彼は再び構えを取って。
「陽炎、細雪っ!」
蛍火のような淡い光と、凍える夜に舞う雪の冷たさを伴う、ふわりとしたその風情の中に、爆発的な威力を秘めた技を打つと、何を思ったか、ドン、と甲太郎を突き飛ばし、前のめりになった彼の背を踏み台に、高く飛ぶと。
凍えてゆく化人の首を、一閃で斬り落とした。
「悪りぃ、悪りぃ。背中借りちまった」
虚空より、音もなく石床へと下り立ち、白刃を肩に担ぐと京一は、悪びれもせず、やけに清々しく笑う。
「お前…………っ」
有無も問わず踏み台にされた腹立たしさと、気配もなく背中を取られた恐ろしさと、一般生徒では有り得ぬ自身の姿を知られた気拙さに、甲太郎は全身を強張らせ、だらしない風に立っているだけの京一を睨むと、蹴り足に力を込め掛けた。
「…………やる気か? 止めとけ、止めとけ。お前の手の内見せて貰った分、俺の手の内も見せてやったろ? ────お前には、《力》がある。俺にも、『力』がある。『人外』の部分に関しちゃ、互い五分だがよ。俺には、ガキの頃から続けてる、剣術があるぜ? それが、俺とお前の違いだ。あっさり背中取られたってのに、判らねえか?」
甲太郎の、ほんの僅かな筋肉の動きを見付けて、京一は、又、笑った。
が、彼の鳶色の瞳は欠片も笑ってなどおらず、だらけて立っているだけの全身からは、鬼気に似たものを感じて、甲太郎は背中に冷たい汗を流し、生まれて初めて、殺されるかも知れない、と怯えを感じた。
……怒っている。
京一は、間違いなく怒っている、それも感じられて。
「………………どうして、ここに……」
体より力を抜き、俯いた甲太郎は、諦めた風に喋り始めた。
「あ? ……ああ、ちょいと確かめたいことがあってな。ひーちゃんと二人で潜ろうと思って来てみたら、お前見掛けたからさ。後追い掛けて来た」
「じゃあ、緋勇も……?」
「いいや。あいつは置いて来た。『持病』の絡みでな。………………皆守? お前は、何しにこんなトコ来た?」
「俺、は…………。俺は、その……」
「……当ててやろうか。ひと暴れして憂さ晴らし、ってトコだろ? ……青春の無駄遣いしてんじゃねえよ。勿体ねえ」
「俺も、そう思う」
話をする気にはなったものの、どうしても多くを語れず、言い淀むばかりの彼がここにいる理由を京一は当てて、「俺が思ったことと、同じことをこいつは言う」と、甲太郎は薄く笑った。
「…………なあ、皆守」
「……何だよ」
「少しは、すっきりしたか?」
「………………いいや」
「そうか。足りねえか。……じゃあ、付いて来いよ。──嫌だとか、面倒臭いとか、眠いとか言うんじゃねえぞ。ぶん殴って引き摺ってでも連れてくからな。…………良かったな、俺が相手で。俺よりも、ひーちゃん──龍麻の方が、怒らせたら何倍も怖ぇぞ。……覚えとけ?」
「……判った…………」
やっと、笑みらしきものを見せた甲太郎に、京一は漸く瞳の力を緩めて、彼を伴い遺跡を出ると、ほてほて歩道を歩きながら、取り出した携帯で、メールを打ち始めた。
「……緋勇に?」
「ああ。お前を借りるから、葉佩のこと上手く誤摩化しといてくれ、ってな。──さーて、いっちょ行くか」
「行くって……何処に?」
「外」
ついこの間まで、使い方がよく判らない、とぼやいていた最新機種の携帯を、慣れた手付きで操って、手早くメールを送信すると、はあ? と驚きの声を上げる甲太郎の襟首引っ掴み、監視カメラの死角を利用し公道へと出て、京一は通り掛ったタクシーを拾う。
押し込まれたタクシーの中で、居心地悪くしながら、一体何処へ連れて行かれるのやら、と、ぼんやり、甲太郎が、約二年半振りに新宿の町並みを眺めること二、三十分。
着いた、と言われ、車より降りた彼の目の前にあったのは、古めかしい天香学園といい勝負になるだろう古さの、学校、だった。
「蓬莱寺。ここは、何処なんだ?」
「東京都立・真神学園高等学校」
「あんた達の、母校の?」
「そうだ」
校舎前に広がる校庭の何箇所かに、街灯らしき蛍光灯の灯りがあるだけの、殆どを闇一色に塗り潰された校内を、勝手知ったる、とズカズカ京一は進み、甲太郎は、唯その後に付き従って、天香の校舎でも勝てない、ボロボロの──もとい、古めかし過ぎる校舎へ、二人は入った。
「旧校舎っつってな」
物珍しそうに、真神学園のあちこちに目をやっていた甲太郎が、益々興味深そうに目を凝らしたのに気付いて、京一は説明してやる。
「戦前からある建物らしいぜ。そう言や、大昔の軍の実験施設だったとか何とか、そんな噂もあったな」
「軍? 旧日本軍?」
「詳しいことなんざ知らねえよ。興味もねえしな。俺が、ここまでお前を引っ張って来た理由は、そんなトコにゃねえし」
この学び舎の学生だった頃、聞き齧った噂を語ってやりながら、うるさく軋む、板張りの長い廊下を進んだ先にあった小部屋の引き戸を開き、埃を被ったコンクリートの床の片隅の、鉄板で出来た『蓋』を開けて、戸惑うばかりの甲太郎を、ちょいちょい、と手招くと。
「気張って行けよーー?」
「は? ……おい、何……──。うわっっ!!」
ドゲシ、と京一は、『蓋』の下に広がる『穴』の中へ、甲太郎を蹴り込んだ。