──ヒトの全てを定める、『運命』など有り得ない。
京一に、そう言い切られた刹那。
甲太郎は一瞬、泣きそうに顔を歪めた。
「……ま、そうは言っても、だ」
彼が、酷く子供染みた影を覗かせたのは一瞬のことだったけれど、京一はそれに気付き、もう一度、ポン、と彼の頭を軽く叩いた。
「運命があろうとなかろうと。誰かを好きになるってことに、立場なんざ関係なかろうと。お前の悩みが消える訳じゃねえし、お前の立場が消える訳でもねえよな。悩むなって言った処で、お前は聞かねえんだろうし。……だから、悩みたいんなら、とことん悩んどけ。話くらいは聞いてやる。…………但し。自分には、葉佩を想う資格も傍にいる資格もない、とかいう、くっだらねえこと悩むんじゃねえぞ。今度、そんなことほざいてみろ、本気でぶん殴るからな。悩むんなら、その先を悩めよ、さっきも言ったけど。好きになっちまったものは、どうしようもない。立場一つで、惚れた相手を諦める必要だって、何処にもない。だったら、葉佩が宝探し屋で、お前が副会長でも、想い合ってられる道でも探せ。その方が、ナンボかはマシだぜ?」
そうして、『見守ってやる』と京一は告げると、竹刀袋に刀を収め、肩に担ぎ、勢い良く立ち上がった。
「……………………なあ」
立つや否や、帰るぞー、と歩き出した彼に従い、足を運びながら。
甲太郎は、先を行く彼の背に声を掛けた。
「ん?」
「あんた……どうしてそんな風に、俺なん──俺の為に、言葉を尽くしてくれるんだ?」
「んなこた決まってんだろ。お前と葉佩が、俺達の『格好の玩具』だからだ。楽しいんだよ、お前等構ってっと」
「…………お人好しなんだな」
「そうか? 『玩具』の面倒見るのは、至極普通のこったろう? ……もう一遍言ってやろうか? 皆守。俺達はな、葉佩が宝探し屋だろうが何だろうがどうだっていいし、お前が生徒会副会長とやらでも、どうだっていいんだよ。今日の晩飯よりも興味ねえ話だ。お前達の立場がどうだろうと、お前はお前、葉佩は葉佩。俺も龍麻も、お前以上でも以下でもないお前と、葉佩以上でも以下でもない葉佩を気に入ってる。……それだけだ。…………ああ、そうだ。言い忘れてたが、葉佩には、このこと黙っといてやる。だから、お前もボロ出すなよ? ……それからな。あいつに、嘘だけは吐くな。唯でさえ辛いのに、嘘を吐いたら最後、もっと辛くなるぞ、お前。白状したくないことは、黙ってりゃいい。言葉が足りねえのを、嘘とは言わねえ」
『その道』も、『この世界』ではないのか、地上へと続く『口』はやけに短くて、あっという間に辿り着いた旧校舎の小部屋を出て、又、ボロボロの廊下を進みながら、不思議そうに呟き続ける甲太郎に、京一は説教めいたことを言い始める。
「あんたは、怒ってたと思ったんだがな。……違うのか?」
「怒る? 何に?」
「……俺が、九龍にもあんた達にも、『肩書き』を隠してたことを」
「ああ、それか。…………そうだな、腹は立てたぜ? 黙ってやがって水臭ぇ奴、って。白状して楽になれるんなら、そうしちまえばいいのに、ともな。でも、今は別のことに腹立ててる。──お前なー、皆守。男のくせに、『それっぽっち』のことで、惚れた相手のこと諦め掛けんなよ。根性足りてねえぞ? 当たって砕け散ってから悩みやがれ。未だ何も始まっちゃいねえってのに、馬鹿馬鹿しくならねえ? ……お前は、葉佩のことが好きなんだろ? 葉佩も、お前のことが好きだって、この間判ったろ? だったら、一歩進んでみろよ。頭抱えてグダグダすんのは、それからでも遅くねえよ」
──旧校舎を後にし、夜が白々と明けて来た空を眺めながら、懐かしそうに校庭を横切って、事も無げに彼は言い。
「腹減ったな……。朝飯でも喰い行くか。もうちょいすれば、新宿駅のカレーのスタンド屋なら開くだろ。……お前は、牛丼とか立ち食い蕎麦より、そっちのがいいんだろ?」
「そうだな……。牛丼や蕎麦よりは。────……なあ」
「何だよ」
「あんた達は、本当に、心底、お人好しなんだな」
「そんなことねえって。……お前が思ってるよりも、俺は遥かに狡いぜ? 卑怯者だしな」
「……そうは思えない。少なくとも、俺には」
駅のスタンドカレーで朝食にしよう、と言い出した京一へ、甲太郎は微かに微笑みながら肩を竦めてみせた。
この日、甲太郎が京一と共に過ごした数時間は、彼の人生を決めた出来事の一つ、になった。
腹立たしいだけの奴等から、『馬鹿な大人達』に移り変わっていた京一と龍麻──特に京一は、甲太郎の中で、確かに、『蓬莱寺京一』その人、になって、京一が尽くしてくれた言葉を頼りに、彼は、九龍への想いを手放すことだけは止めようと決めたから。
──好きになってしまったものは、どうしようもない。
立場一つで、惚れた相手を諦める必要など、何処にもない。
……京一のその言葉は、甲太郎にとっては青天の霹靂にも似て、そして、縁にもなった。
例え、こんな己でも、九龍を想い続けることくらいは、赦されるのだ、と。
………………けれど。
彼の人生を決める出来事の一つとなった数時間も、彼の縁
己が、あの《墓》を守る墓守の一人であると、《生徒会副会長》との肩書きを持つのだと、勢いに任せて、とは言え甲太郎は打ち明けたけれど、それは、彼の心の片隅に、まるで川辺の澱のように留まる悩みの素の、極一部、でしかなく、悩みの素の素は、もっとずっと深くに根深くあり。
彼はそれを、誰にも語るつもりがなかったから。…………少なくとも、今は。
だから、時間も、言葉も、彼の救い足り得ず。
もしもこの時、甲太郎が、京一に全てを吐き出してしまっていたら、京一は、龍麻にも、九龍にさえも、己が聞き及んだ『甲太郎の全て』を語って、如何なる手段を用い、完膚なきまでに甲太郎を叩きのめしてでも、彼を『変えよう』としただろうし、そうなれば彼は、この時点で救われたのに。
甲太郎は、そうと知らず、その道を選ばなかった。
救われる切っ掛けは、思いの外近くにあることに甲太郎が気付かなかったから、京一は、甲太郎が負うモノは、彼の持つ『肩書き』と、『肩書き』を持ちながらも九龍を想ってしまった、それが全てだと思い込んでしまった。
……ほんの少しでも、あの日を思い出せていたら。
真新しいラベンダーの花束を抱えて、甲太郎が『墓参り』をしていた、あの日のことを京一が思い出せていたら。
甲太郎の抱える悩みの全てを、他人が傍目から組み立て直すには、絶対的にピースが足りない、と気付けたのだけれど。
あの日のことを、この時、京一が思い出すことはなく。
甲太郎は、全てを語らぬまま、この時を終えてしまって。
…………だから。
──────けれど、それは。
彼等の誰にもどうしようもない、京一が、信じない、と言った、ヒトの全てを定める、『運命』の御手だったのかも知れない。