この、沈黙が怖い、と思いながら。
目許まで引き上げた布団の影から、そーーー……っと、九龍は甲太郎の顔色を窺った。
龍麻に誘われるままやけ酒大会をしていた筈なのに、気が付いたら、龍麻達のマンションの和室に転がっていて、何でこんなことになってるんだったっけかなー……、と布団の中でぼーっとしていたら京一に叩き起こされ、甲太郎が迎えに来るから、と言われて。
「お前は昨日、皆守が部屋にいないことに気付いて、心配して探しに出て俺等の部屋来て、ひーちゃんに、一寸手伝って欲しいことが出来たから、俺が皆守を借りてるって言われて、ひーちゃんと宴会しながら待ってる間に寝ちまった、ってことになってるから、お前もそれで通せ」
と、寝惚けた頭にでっち上げストーリーを叩き込まれ。
迎えに来てくれた甲太郎に、猛烈な酒臭さと、二日酔い以外の何物でもない有り様に、ものすっ……ごく嫌な顔をされながら寮へと引き摺って行かれ、自室のベッドに叩き込まれ、無言のまま、何処より持って来たのか、二日酔いに効く薬と水を差し出され、ことん、と眠り…………数時間後の、至る現在。
窓の外は茜色に染まって来たのに、甲太郎は未だに部屋にいて、勉強机の椅子に陣取ったまま、怒っているような、呆れているようなジト目でこちらを睨みながら、黙りこくっているから。
九龍は、気拙い沈黙と、甲太郎が怖い、とビクビクした。
「…………九龍。起きてるんだろ?」
そうしていたら、窺う視線に気付いたのか、甲太郎が低過ぎるトーンで、声を掛けて来た。
「う、うん……」
「少しでも反省してるんなら、お前の今日の醜態に関する、言い訳をしてみせろ?」
「や、その。言い訳っちゅーか……。甲太郎のこと探しに出てー、龍麻さんに、甲太郎のこと京一さんが借りてるー、って教えて貰ってー。で、暇なら呑まない? とかも言われてー」
「……………………で?」
「え? 『で?』と言われても……」
「……………………………………それで?」
「だから……」
「言うことは?」
「………………調子こいて呑み過ぎました、御免なさい……」
「それから?」
「……これからは、あの二人に誘われても、程々で止めます」
「それだけか?」
「へ? …………あーーー……。うー…………。……うっと…………。呑む時は、こーたろーのいる所で呑みますぅ……」
「宜しい。今日はこれで、勘弁してやる」
地を這う不機嫌声に、ぽつぽつ『でっち上げストーリー』を語って、しつこい追求に反省の誓いも立てて、やっと九龍は、『説教タイム』から解放される。
「……こーたろー? 御免ね? 迷惑掛けちゃったし……心配も掛けちゃったみたいだし……。御免よぅ……」
「…………もういい。その代わり、二度とやるなよ。────腹減ってないか?」
「ちょっひりは。でも、ゲロゲロの二日酔いで気持ち悪いし、頭も痛くってさー。あんまり、食べられそうにないかなー……」
『説教タイム』が終了するや否や、一転、甲太郎の声には優しさが滲み、気遣ってくれるのは嬉しいけど、流石にカレーは食べたくない、と九龍は、甲太郎の最愛の食物を想像して、吐き気を覚えた。
「飲むくらいなら、出来るだろ」
と、甲太郎は、部屋の片隅の、極狭キッチンスペースに立って、小鍋を暖め出し。
恐らく、九龍が寝ている間に拵えたのだろう、シジミの味噌汁を、飾り気も何も無い椀に盛って、九龍の前に差し出して来た。
「…………おおおおおおおお……。赤出汁の味噌汁! おかーさんの味!」
アルコールでメタメタな胃腸にも優しい、日本人の魂の一つを、ベッドから起き上がった九龍は両手で激しく拝み、有り難ーく飲み始める。
「美味ーーーーい! 甲太郎って、カレー以外は作らないもんだとばっかり思ってたのに」
「お前な……。俺はお前と違って、極々普通に料理が出来んだよ」
「俺だって、料理くらい出来るけど?」
「お前のは料理じゃない。あれは、薬品調合実験と大差ない。何で、放課後の理科室で、椎名と爆弾製造にチャレンジ! ……の傍らで、オーブンもないのにスコーンが焼けるんだか、俺には謎だ。……と言うか、理解したくない。化学薬品の熱作用でスコーンを膨らますな」
「そーかあ? 料理は化学だぞ? 何が不満? 正しい分量、正しい製造方法を辿れば、間違いなどない! 失敗など怖れるに足らないっ! ……ほれ。一緒。地上最強カレーもー、素粒子爆弾もー、次元は同じー」
「……変態」
「なっ……。へ、変態……?」
「その域は、変態の域だ」
「………………盗人と料理が出来るトレジャー・ハンターを、変態と一緒にすんなー! 俺はちゃんと、ハンターのバイブルとも言える、ロゼッタ協会発刊『伝説のトレジャー・ハンター ロックフォードに貴方もなれる!』の、第五章料理編のレシピを覚えて! ……って、あー、喚いたら、益々頭痛くなって来たー……」
「だから、お前は馬鹿なんだ。ロゼッタも、大概馬鹿だと思うが。……大人しく寝てろ」
「はーーい……」
ずびずび味噌汁を啜りつつ、二日酔いながらも九龍が何時ものノリを見せれば、甲太郎も、普段通りとことん突っ込みを入れて、「ああ、何時もと一緒だ……」と、九龍は安堵の息を吐いた。
────夕べは、あんなことがあって。
認めたくないけれど、知るのは怖いけれど、何時か知って、何時か認めなくてはならない甲太郎の正体を、『その時』が来た訳でもないのに見せ付けられたような気になり、どうしていいのか判らなくなって、自分が誰かに泣き言を垂れたかったように、誰かに愚痴りたかったのだろう龍麻と二人、前後不覚になるまで呑むという、醜態を晒したけれど。
一晩が明けてみたら、自分は何とか普通でいられて、甲太郎も普通で。
避けて通れぬ現実を迎えるのを、先延ばしにしているだけでしかないのは判っていても、『何時も通り』にいられることが、九龍は嬉しかった。
……遠くない未来に終わりがやって来る『何時も通り』でしかないのだとしても、今の彼は、それだけで良かった。
「九龍? どうした?」
「うあ?」
「何、ぼーっとしてんだよ。未だ、酒が残ってんのか?」
味噌汁を飲み干して、ぷはっ、と一息付いた途端、考え込んでいる風な顔付きになった彼を、甲太郎が訝しんだ。
「あ、何でもない」
「何でもない訳ないだろ?」
「……そりゃ、まあ…………」
「じゃあ、何だよ」
「そのー、さ。夕べ、宴会してる時に、龍麻さんのぶっちゃけ話、聞いちゃったんだ。それ、思い出してた」
──遠くない未来に終わる『何時も通り』でも。
『何時も通り』、甲太郎は優しい、とにこり笑って、甲太郎にも、龍麻にも京一にも、悪いな、と思いつつ、九龍は、甲太郎の優しさに『嘘』を返した。
「あ? ぶっちゃけ話?」
「うん。……甲太郎は、口が堅いから言うけどー……」
そうして彼は、昨日、龍麻が零していた愚痴の内容を、掻い摘んで語り。
「……………………あいつも、そういう処があったんだな」
話を聞き終えた甲太郎は、しみじみしながら似非パイプを銜えた。