「…………遠野さん。何で?」

大病院を経営する医者の息子の、何を気を付けろ、と杏子は言うのかと。

龍麻は、訝し気に目を細めた。

「あんた達が、悪い子じゃないって言い切るんだから、その部分を疑いはしないけどね。……大きな声では言いたくないけど、この病院、あんまりいい噂聞かないのよ。時々、週刊誌のゴシップ記事とか賑わしてるわよ。主に、お金とかのことで。院長の腕は確かに良いらしいけど、人となりの方は、正直、碌でもないって話とかもあるし。ま、親は親、彼は彼、だから、そんなことはどうでもいいわね。──あそこの院長夫人、要するに彼の母親は、十三、四年前くらいに亡くなってるの。表向きは病死ってことになってるけど、本当の死因は自殺だったそうよ。何で、院長夫人が自殺なんかしちゃったのか、それは噂の域を出てないし、幾つも説があるわ。夫の度重なる浮気の所為だった、とか、彼女自身の浮気がバレた、とか。…………でね。その噂の一つに。息子が原因だった、っていうのがあるのよ」

龍麻の瞳と、画面を見比べながら。

杏子は、甲太郎の身の上を話し始めた。

「息子? 皆守が? ……あいつのお袋さんが亡くなったのは、もう十五年近くも前の話なんだろう? だったらその頃、あいつは、五つかそこらだぜ?」

「そうよ。だからこそ、後から後から湧いて出て来る、あの病院のゴシップと一緒に、院長夫人が自殺した話を忘れてないライターも、未だに多いの。──で。……噂よ? 何処までも噂だってことは、忘れないで欲しいんだけど。院長夫人が亡くなって直ぐの頃、院長が、常勤医の誰だかに、『妻を殺したのは息子だ』って洩らしたらしいのね。妻が自殺したのは息子の所為だ、だから、息子が妻を殺したのも同然だ……、って」

「……………………自分が産んだ子供が原因で自殺……? それだけでも、あんまり有り得ないのに……そのことを、父親が、殺したも同然だって言うなんて……。そんなこと、あるのかな……」

「さあ……。それは、何とも言えないけど。但、院長は、夫人が亡くなって以来、息子を毛嫌いするようになった、ってのは本当の処らしいわ。毛嫌いって言うか……恐れるようになった、って言った方が正解かしら」

「恐れるって……どうして。てめぇの息子だろう?」

「…………やっぱり、これも噂でしかないけど。院長は、自分の息子を捕まえて、化け物、って言ったこともあるそうなのよ。病気か何か持って生まれて来たんじゃないか、なんて噂する人達もいるらしくって……。──そういう訳でね。何処までが本当で、何処までが嘘なのかは、あたしにも判らないけど、そういう、良いとは言えない環境の中で育った可能性大だから、あの子、物凄くデリケートなんじゃないかしら。要するに、扱いを気を付けた方がいい、ってこと。唯単なる『知り合い』で終わるんなら別だけど、あの子……氣がおかしいんでしょ? あんた達が、あの子のそこを気にするってことは、あんた達がしようとしてることにも、絡んで来てるってことじゃない?」

「そう、だね…………」

「ま、そういう話。気に入ってるんなら、気を付けてあげなさいよ。多分、爆弾抱えて生きてるみたいな子だから」

────長く続いた杏子の話は、『そういう意味で気を付けろ』、という主旨で。

もしも、杏子が語った『噂』の全てが真実だったら、それは、決して長くはない甲太郎のこれまでの人生の大半を、不幸で塗り潰すには充分過ぎたのではないか、と、『噂』を否定すべく言葉を挟んでいた京一と龍麻を押し黙らせた。

「………………聞かなかったことにしとく。別に、何がどうだろうとあいつはあいつで、付き合い方も、態度も変えるつもりもねえし、変えようもねえし」

「……俺も、この話は忘れる。彼が、今と未来を幸せに暮して行けるなら、過去なんて、で終わるんだしさ。だからって、彼のこと、腫れ物に触るみたいな扱いはしたくないから」

「あいつにゃ、葉佩ってダチもいるしな」

「うん。葉佩君が、いてくれるもんね」

だが、それは、嘘か本当かも判らぬ、所詮『噂』で。

嘘だろうと、本当だろうと、甲太郎は甲太郎で、彼と自分達の間の何が変わる訳でなし、想い人の九龍もいるのだから、と京一と龍麻は、一時、『噂』を忘れることにした。

「で〜も〜。別の意味では〜、あの二人〜、腫れ物に触るみたいに扱ってもいいかも〜」

しかし、途端、彼等の出端を挫くようなことをミサが言い出す。

「う、裏密さん…………?」

「……裏密、お前……何か、勝手に『視た』んじゃねえだろうな…………」

「う〜ふ〜ふ〜……。『新宿の魔女』なミサちゃ〜んが、只で視てあげただけよ〜」

「………………っとに。何なんだよ、とっとと言えよ」

高校時代愛用していた、双眸を覆い隠す分厚い瓶底眼鏡を止め、黙って普通に座っていれば、美人、と相成る部類に入ると、誰もが認める女性になった彼女なのに、間延びした喋り方も、魔女よりも尚魔女らしい、オカルトに慣れ親しんだ者でもトンズラしたくなるような、誠に不気味な雰囲気も笑いも未だに健在で、裏密ミサは、やっぱり『裏密ミサ』だった、と龍麻も京一も背中に『懐かしい汗』を掻きながら、そろっとミサの様子を窺った。

「葉佩く〜んにも、皆守く〜んにも、『運命』がないの〜〜」

まるで、この部屋が、真神学園の霊研部室であるかの如く、何処となく怯える様子を窺わせる二人へ、なまじ、美人と認められるようになった分だけ尚質悪い、迫力満点、な笑みを浮かべつつ、彼女は告げる。

「『運命』がない? ……んなもん、誰にだって最初っから存在してねえよ」

「そういう〜、人が持って生まれる『星』とか宿星のことじゃなくて〜。それはちゃんと〜、あの二人にもあるの〜。そういうんじゃなくて〜〜」

「…………頼む。裏密。頼むから、普通に喋ってくれ。この通り!」

「……ひーちゃ〜んも、喋り方変えて欲しい〜、って、思う〜?」

「で、出来れ、ば…………」

「…………そうね〜。ひーちゃ〜んの、頼みなら〜」

「俺の頼みはどうでもいいのかよっ!」

────……人には、持って生まれた『星』があるでしょう? ミサちゃん達みたいに、『星』以外に、宿星を持ってこの世に生まれて来る人もいる。その人の運命を決める、その人が持って生まれる沢山の『星』は、葉佩君にも、皆守君にも、あるよ。沢山、ある。そういう意味での『運命』は、あの二人もちゃんと持ってる。人が持って生まれる沢山の『星』と一緒で、『星』の定める『運命』も、未来も、誰にも沢山あるから、あの二人がどういう『運命』──未来を辿るか、それは未だ、誰にも判らないけれど。……でも。あの二人には、『今の運命』がない。………………まるで、産まれる前の、赤ん坊みたいに」

……そうして、京一に、ではなく、龍麻に拝み倒された為、するっと、『予言者』の如くな口調になったミサは、『彼等の今』を語り聴かせた。

「『今の運命』が、ない……?」

「産まれる前の赤ん坊……みたい、に……?」

『新宿の魔女』の『神託』に、京一と龍麻は、揃って、意味が解らない、と目を瞬かせた。

「ちょ〜っと〜、珍しい〜。面白いわ〜、あの二人〜。……あ、そうだ〜。ひーちゃ〜んと京一く〜んにも、いいこと教えてあげる〜。……あのね〜。路に迷った時にはね〜、明かりを頼りにするといいよ〜。見守ってるつもりの明かりが〜、逆に見守ってくれるかも知れないわ〜」

が、更に彼女は、んふふふふ〜……、と忍び笑いながら、又、謎めいたことを言い出し。

「占いの料金は〜、只にしてあげる〜。その代わり〜、今度、『実験』に付き合ってね〜」

「頼んでねえ。誰も、占ってくれとは頼んでねえ」

「怖過ぎるから。裏密さんの『実験』」

占いなのか何なのか判らない『こと』への報酬が、『実験台』なのは嫌過ぎる! と二人が、速攻で壁際まで後退れば、誠に運良く。

「ただいまー!」

『遣い』を終えた九龍達が戻って来た。

「頼まれた物は、これでいいのか?」

「あ、龍麻さん、これお釣りです」

「うん。OK、OK。二人共、有り難う」

仲良く、買い物袋を一つずつ下げ、甲太郎も九龍も、ダイニングへ入り。

「随分、賑やかなようだが……体調を崩したと言うのは、誰なんだ?」

彼等に続き、龍麻に入れ知恵された少年達に何やら吹き込まれたらしい、美貌の校医が姿を現して。

「………………なん……っ。────瑞麗大娘姑!?」

「弦月…………」

この数年、半ば生き別れ状態だった実の姉の突然の登場に、ガタッ! と勢い付けて立ち上がった劉と、弟との再会をいきなり与えられてしまった瑞麗は、互い、暫し呆然と見詰め合い。

「あああああああ、アニキ? アニキっ! どういうこっちゃーーー!!」

「緋勇。……嵌めたな?」

……流石、姉弟。

揃って、『再会の原因』を睨んだ。