甲太郎と九龍が、龍麻よりボソボソっと頼まれたのは、病人が出たから、とか何とか適当なことを言って、瑞麗を引き摺って来て欲しい、というそれと。
鍋の材料の買い出しだった。
あの後、劉と瑞麗を鉢合わせさせられる二名──京一と龍麻の青年組対瑞麗と劉の姉弟組の、客家語を捲し立てての口喧嘩が暫し繰り広げられ、口論をするならするで、自分達にも判るように日本語でやれ、と皆より物言いが入ったので、四名による口先バトルは済し崩しに終了のゴングが鳴って、心構えをする間もなく、己が恋人の、たった一人の身内が目の前に降って湧いた為、ガチガチに固まってしまった雛乃以外は比較的穏やかに、日曜夜の、団体での夕餉に挑んだ。
男性陣は、先日の失態より学び、謹んで酒を辞退して来た九龍も、余り呑めない、ときっぱり言い切った甲太郎も、問答無用で巻き込み酒盛りを始め、最初の内は、どうやって瑞麗に接したらいいのか判らず、オロオロしていた雛乃も、顔色一つ変えず、水の如く酒を飲み干しながら、極々普通の態度で、極々普通に話す瑞麗に、緊張が取れたようで、その後は女性陣も、細やかに酒宴に混ざった。
が、そんな席も、アルバイト警備員二人の翌日の勤務が早出だったことと、来週始まる中間テストを学生達が控えていることを理由に、午後の八時を過ぎる頃にはお開きになって、家主達は皆を見送り、皆はそれぞれ、『家路』に着いた。
「おっもしろかったーーー!」
「まあな。…………それにしても、たった五つしか違わないのに、何で連中は、あんなに酒が強いんだ?」
「慣れてるんだよ、きっと。学生の時からしょっちゅう呑んでた、って言ってたしさ。……お、そうか。あの人達は、プチ不良の一団なんだな」
「君達は、見習うなよ」
寮へと続く歩道を、甲太郎と瑞麗と共にほてほて歩きつつ、甲太郎や龍麻に庇って貰ったので、ほろ酔い程度に酒を嗜むだけで済んだ九龍は、ほんのり頬を赤らめながら、先程までの席を思い出してケラケラ笑い出し、龍麻を除いた青年四名の酒豪っぷりに、甲太郎は納得いかなそうに考え込んで、あの場の誰よりも酒が強かった瑞麗は、未成年に忠告をくれた。
「見習いません。その前に、見習えません。おかしいもん、あの人達の肝臓」
「それは、俺も同感だ。人類じゃない。……カウンセラー。あんたもだ」
「中国人は、何かと言えば酒を呑むからだろう。私だけが、特別な訳ではないさ」
「あー、だから、ルイ先生の弟さんも、あんなに酒が強いのかな。……あ、思い出したら笑えて来た」
「何がだ? 九龍」
「弦月さんが大阪弁喋る理由とか、あの、ミョーなハイテンション振りとか、ルイ先生との口喧嘩とか」
「…………愚弟のことを、思い出すんじゃない」
「ふん。愚弟と言う割には、随分と可愛がってるようだったじゃないか。本音は、可愛い弟、なんだろう?」
「……皆守。お前、少し呑み過ぎたんじゃないのか? それとも、葉佩や緋勇や蓬莱寺達に感化されて、多少は他人に興味が持てるようになったのか? 何れにせよ、良いことではあるがね」
「…………俺が知るかよ、そんなこと」
皆、全くの素面、という訳ではないからだろう、途中まで方向は同じだからと道行きを共にした三人のお喋りは、所々に刺があったものの、それなりには穏やかに続き、教職員住宅へと戻る瑞麗と分かれてよりも、九龍と甲太郎は、それぞれ、普段よりも三割増し弾んだ声で、語らいを続ける。
「九龍。結局、今日の話は収穫になったのか? 本当の処は、どうなんだ?」
「んーーー。まあ、それなりには。いい意味での収穫もあったし、悪い意味での収穫もあったし……、でも、一番は、『愉快なお兄さん達』の、『愉快な人脈』! あれは美味しい! 美味し過ぎる!」
「そりゃ、宝探し屋として見りゃ、そうなんだろうが……。神社の巫女は兎も角、陰陽師に、忍者の末裔に、新宿の魔女に、ルポライターだろう? おまけに、カウンセラーの実弟。普通と、掛け離れ過ぎてる」
「はっはっはー。ロゼッタの宝探し屋の友人やってて、毎晩化人と御対面してる甲太郎が、何を言うか」
「俺は、お前の巻き添えを喰らってるだけで、俺自身が『普通』と掛け離れ過ぎてる訳じゃない。一緒にするな」
「まー、いいじゃん。細かいことは気にしなーい。禿げるよ? それにさ、初対面の人達沢山いたのに、甲太郎にしちゃ珍しく、大笑いもしてたじゃん。それだけ、楽しかったってことっしょ?」
「あの馬鹿騒ぎを目の前で見せられて、それでも笑えなかったら、交感神経の異常だ」
「ほんっと、素直じゃない……。どっかの遺跡に、人を素直にする秘薬、とか落っこちてないかなー……」
「そんな物探す前に、馬鹿に付ける薬でも探せ。で、自分に使うといいんじゃないか?」
「…………もう少し、さ。嘘でもいいから、愛、見せない? 愛。愛ーー!」
──その語らいは、彼等にしてみれば、楽しい宴会の名残りを引き摺ってはいる、が、所詮何時も通りのやり取り、の範疇だったのだけれど。
身振り手振りを交えながら賑やかに喋る九龍も、唇の端に似非パイプを銜え、両手をズボンのポケットに突っ込んだままの甲太郎も、ばっちり人目を引く程、この上無く良い雰囲気の中、それはそれは楽しそうな笑みを浮かべている、と傍目には映り。
辿り着いた寮の階段を、三階にある、それぞれの自室目指して行く二人は、まーーた、生徒達の噂の種になった。
芙蓉が手配した御門家のリムジンで、女性達を、それぞれ自宅まで送り届けた後。
酒瓶が飛び交った宴会を終えても、ケロっとしていた青年三名は、東京の街をひた走る高級車の中で、話し合っていた。
「……劉。どうでした? 緋勇と蓬莱寺は」
「そうやなあ……。変わった様子は、余り感じへんかったんやけど、アニキ、ちいっとばかし、『体調不良』が進んどった気がせんでもないなあ……」
「少し、痩せたようだったしね。……あの二人は一体、何時まであの学園にいるつもりなんだ?」
「そんなん、わいが訊きたいっちゅーねん。そやかて、アニキのことやから、あの少年等の厄介事が一通り片付くまで、居座るつもりなんとちゃうん? そればっかりは、京はんに何言われても折れんやろし、京はんも、引き上げるつもり、なさそうやったし」
「本当に、後先を考えない人達ですね。愚かにも程がある。判っていたことですが。しかし、言っても始まりませんから……そうですね…………。……劉。貴方の姉も、封龍の一族。それとなく、緋勇や彼等の様子を窺うか探るかして貰えるように、頼めませんか? 私の部下だけでは、龍脈の変化までは悟れませんので」
「そやなあ…………。……姉貴にも、壬生はんと同じ仕事があるさかい、思うようには行かんやろうけど、まあ、何とかはなるんちゃうかな」
「それなら、僕も手伝おう。僕は、最低でも週に一度は、葉佩君の部屋に品を届けている。異変を探るくらい、どうとでも出来るし、色んな意味で、上手く潜り込めると思う」
「……これで、後、我々に出来ることがあるとしたら、愚か者な二人がさっさと諦めて引き上げることを願うか、あの少年が、一日も早く何らかの『結果』を出すのを祈るか、ですね。黄龍の封印を結び直す法など、早々は見付かりませんし」
──鉄板一枚で隔たれた外界の音も伝えず、『幽霊』のように走り続ける車内で交わされた、青年達の今宵の話し合いは、もう少しだけ、『バックアップ』の手を広げてみようか、というだけで終わった。