十月の第四週、二十五日から三十日に掛けてが、天香学園の、今年度二学期中間テスト実施日とされていた。

全寮制による徹底した学力強化と規律ある生活をモットーとする、が基本方針である学園なので、学力考査の成績に教師達が光らせる目は、それなりに厳しい。

故に、中間テスト一週間前から、徐々に、どの学年のどの教室でも、生徒達は何処となく浮き足立ち、この問題の解き方を教えてくれだとか、ノートをコピーさせてくれだとかいうやり取りが飛び交う、小さな騒ぎも起き始め、不真面目な者達は、「テスト範囲は何処から何処だ?」との、スタートライン以前の問題で慌てふためいたりしていた。

……そういう訳で。

テストを控えた十月第三週目は、九龍も、夜毎の遺跡探索を控え、潜っても日付が変わる前に切り上げたり、と調整しながら、『うきうきわくわく』、備えた。

…………学力テスト、と言えば、学校とは、そして学生とは、どうしたって切り離せぬ『定例行事』である。

嫌な部類の筆頭に入るイベントではあるが。

だが、彼にとっては学力考査とて、『未体験の素敵イベント』の一つで、テスト成績が如何なる結果となるかは二の次の、受けてみたくて仕方無いこと、だったから、毎朝元気に甲太郎を叩き起こし、嫌々支度を終えても半分寝ている彼を引き摺って、日々、『恐怖のテストを目前に控えた学生と、その教室』な雰囲気に浸り、悦にも浸っていた。

──そうして、数日が過ぎた頃。

「こーーーーの、三年寝太郎め…………」

手を変え品替え九龍に引き止められるので、教室にいることはいるが、一時限目からひたすら居眠りを続け、昼休みが始まった途端、二時限目の休み時間、アクセサリーを作る材料に、遺跡で見付けた真珠の粒を貰ったお礼に、とリカが九龍に贈った、彼女お手製の『遮光器縫いぐるみ』──九龍は、『ふわふわ土器枕』と勝手に名付けた──を断りもなく引き摺り出し、本当に枕にして堂々寝始めた甲太郎の傍らに立って、九龍は顔を顰めた。

「起きろー。甲ちゃーん、起きろーーー。おーきーろー! いい加減にしないと、目、腐るぞっ! 起きないんなら、置いて昼飯行っちゃうぞ!」

「……うるさい…………。それに、甲ちゃんて呼ぶな……」

「くおーーー。怒鳴っても駄目ってか」

何とかして叩き起こしてやろうと、耳許で大声を出しても、『ふわふわ土器枕』を抱え、ぐぅ、とダレる甲太郎から碌な答えは返らず、九龍はムキー! と殊更、騒ぎ始める。

「詰まんないだろー? 俺の楽しみが減るだろー? 昼休みに飯食いながら、ちょっぴり青褪めつつ必死こいてテストの話をする学生達の図、ってのをやってみたいんだよ! 俺の夢を叶えろーーー! 昨日も一昨日も、逃げおってからにー!」

「…………………………ぐぅ」

「ぐう、じゃねーーーっ! ……甲ちゃん? こーたろー? こーたろーさーん? 起きてくんないと、『ふわふわ土器枕』、取り上げるぞー? テスト範囲も教えてやらないぞー?」

「だから、うるさい……」

「…………そうか、判った。──御免。甲ちゃんが、そんなにそんなにそんなに、夕飯のカレーにプリンをトッピングして欲しいと願ってるなんて、俺、知らなかったよ。今から、売店行って買って──

──おい。一寸待て、この馬鹿。俺が何時、カレーにプリンを乗せろと望んだっ? それとな、この間から言ってるだろうが。甲ちゃんって呼ぶなって」

「あ、起きた。……さー、飯行こーかー、甲ちゃん!」

「人の話を聞けっ! 蹴り倒すぞ、馬鹿九龍っ!」

騒いでも、ねだっても、叩いても、甲太郎は起きる気配を見せなかったので、ならば脅すまで、と九龍は、甲太郎にだけは通じる、カレーにプリンを混ぜてやる、との脅迫に打って出て、それは見事功を奏し、三年寝太郎は、ガバリと飛び起き、怒り始めた。

「甲ちゃんの発言は、ほんとーーーーー、に愛が無い。カレーinプリン、一寸したお茶目じゃん」

「お茶目でカレーにプリンを入れるなっ。……って、そうじゃなくて!」

「あ、そっちじゃなくて、『甲ちゃん』の方? ……俺も、この間っから言ってるじゃーん。京一さんがさ、龍麻さんのこと、ひーちゃん、って呼んでるだろう? だったら、甲太郎は甲ちゃんだなー、って」

「あいつのあの呼び方は、冗談の延長だったって言ってたろうがっ。んなもの倣うなっ。頼むから倣うなっ!」

「『甲ちゃん』の、何がいけないんだよ。ラブリーじゃん」

「十八にもなって、ラブリーな呼び方されたい野郎が何処にいるっ!」

「……………………それは、龍麻さんと京一さんに、喧嘩売ってる発言かと」

「……お前も本当に、ああ言えばこう言うな……。…………じゃあ、訊くが。お前、野郎から、九ちゃんって呼ばれたら、鳥肌立たないか?」

「いんにゃ。別に。いい感じだよ、密な関係風? ……うん、そんな感じ! という訳で、甲ちゃんは俺のこと、九ちゃんって呼んでもいーよー? つか、そう呼ぶよーに」

「………………ちっ……。地雷だった……」

こういう展開になってしまったら最後、九龍のペースに引き摺り込まれる場合が多々、と判っていても、甲太郎は突っ掛からずにはいられず、解放された『ふわふわ土器枕』を素早く取り返し、振り回しながらポンポン言う九龍とやり合った果て、踏まなくてもいい地雷を踏んだ。目一杯。

「くっそ…………。覚えてろよ……」

「あっはっはっ! 九龍クンの勝ちだよ。諦めなよ、皆守クン」

机に右手を付きがっくりと項垂れつつ、左手ではふるふると震える握り拳を固める甲太郎を、昼休みの始まりから黙って騒ぎを見学していた明日香が、腹を抱えて笑い出した。

「今日『も』勝ったね、九龍クン!」

「うん! 賞賛を有り難う、明日香ちゃん!」

「黙れ、そこの能天気コンビっ」

甲太郎の不幸をさっくりと笑った明日香は、向き直った九龍へ、ビシッ! と親指を立ててみせ、九龍も、同じ仕草で彼女に応え、甲太郎のこめかみには青筋が浮かんで。

「よう。バトル、終わったかー?」

そこへ、同級生の男子が数名、わらわらとたかって来た。

「お陰様で、俺の勝利で終わったよー」

「はははは。良かったなー、葉佩。…………あのさ。処でさ、皆守」

──九龍が転校して来てより、早一月。

あれよと言う間に、噂の転校生と仲良くなって、日々、相方になった九龍と馬鹿騒ぎを繰り広げるようにもなった甲太郎を眺めている内に、今まで彼から感じていた、怖い、とか、近寄り難い、とか、何を考えているか判らない、との印象がすっかり消え去ったらしい同級生達は、愉快そうに九龍を褒め讃えてから、甲太郎の顔色を窺った。

「……何だよ」

「一寸、訊きたいことがあんだよ。…………そのー、さ。皆守って、普段、授業サボりまくってる割には、テストの成績良いだろう? だから、どうやって勉強してんのかな、って不思議で、前から一遍、訊いてみたかったんだよ」

「そーそー。コツとかあるなら、教えて欲しいと思ってさ」

昼食にも行かず、タイミングを図って集って来た同級生達が口々に言い出したのは、そんなことで。

「コツ、と言われてもな…………」

こんな話題を同級生達に振られた経験が非常に乏しい甲太郎は、状況そのものにも、問いそのものにも酷く困惑した風に、少々視線を泳がせる。

「え。甲ちゃんって、そういう意味でも頭良いのか?」

「あ、そうか。葉佩は知らないのか。──良いんだよ。サボり魔なくせに」

「ほーほーほー……。………………どーやって勉強してんの?」

「だから、どう、と言われても困る」

「そんなケチ臭いこと言わないで、教えてくれたっていいじゃん。甲ちゃんのイケズ」

「誰がイケズだ。…………俺は、教科書と売店で売ってる参考書読む以外したことがないから、それを教えろと言われても…………」

その場に居合わせた一同の視線を一身に浴び、教えを乞われても、在らぬ所に視線を漂わせたまま、甲太郎はボソボソと、酷く言い辛そうに打ち明けた。

「……………………甲ちゃん、冗談言ってる? それとも、適当なこと言って誤摩化してる?」

「こんなことで、お・れ・が、嘘吐く必要があるか?」

「……学校の成績なんかどうでもいい、怠惰君な甲ちゃんには、その必要無いね。………………うっわ。腹立つー……」

「……判る。あたしも腹立った。狡いよ、皆守クン! 教科書読むだけで、テストOKになっちゃうなんて!」

「俺も」

「右に同じく。……ちぇ。頭の出来が違うだけだったか…………」

「でも。ってことは、甲ちゃんは、今度のテストも余裕ってことになるんだからー。…………皆、昼飯未だっしょ? マミーズ傾れ込んで、こーたろーせんせーに、おべんきょー教えて貰うとしましょかね」

「あー、いいね、それ! うん、あたしは賛成!」

「……一寸待て、どうしてそうなる」

「まーまーまー。いいから、いいから。──行くぞーーー!」

「オーーー!」

「人の話を──

──甲ちゃん、一番成績いいの、何だっけ?」

「………………生物」

彼の告白に、一同は、或る意味嫌味だ、とジト目を甲太郎へと向け、九龍の思い付きに従って、往生際悪い甲太郎を引き摺り、団子のように、マミーズへと傾れ込んだ。