十月二十二日 金曜日。

中間テスト開始を二日後に控えたその日の学園は、朝から、テストとは全く無関係なことで盛り上がっていた。

最近、学内の敷地で『謎の生物』目撃事件が相次ぎ、その生物の正体は『ツチノコ』らしいとの噂が生徒達の間に広まりつつあって、その日早朝、夕べまでは何ともなかった中庭の石碑が真っ二つになっているのが発見された為、何部の誰が、何処其処で見掛けたらしい、とか、誰々だかが襲われたんだって、とか、一部の少年少女達が実しやかに語っていた噂達に、「中庭の石碑を割ったのもツチノコらしい」との尾ひれが加わり、校舎を駆け抜けた所為だ。

その手の話が大好きな明日香も、耳聡く噂を集めて来て、登校して来た九龍と、九龍に引き摺られて来た甲太郎を捕まえ、ツチノコがー、と騒ぎ出し、果ては、ツチノコを捕獲しよう、とも言い出して、そんな彼女を、甲太郎は思い切り馬鹿にしたが。

彼も彼で、中途半端にリアリストな所為か、ツチノコを、『土の中に住む鬼の子』と誤解したまま話を進めたものだから、彼が知ったかぶって黒板に描いた、大間違いなツチノコの絵と、そうじゃないよ、と明日香が描いた、ニュアンス的には正解だが、美術的にはどうだ? なツチノコの絵の、何方が正しいかの判断を九龍は迫られ。

「ここは、俺達三人の友情をより暖める為にも、双方正解! と言いたい処だけど、俺、嘘は吐けない! 両方共正しくない!」

と、正々堂々彼は答えてしまって、甲太郎からも、明日香からも噛み付かれた処に月魅がやって来て、ツチノコのような未確認生物──UMAの話を熱込めて語り出した彼女と、人類が築き上げた文明に関して一家言持っているらしい甲太郎との、険悪にさえなり掛けた言い合いが繰り広げられたりもして。

九龍達も九龍達で、学園の皆同様、ツチノコ騒ぎを軸に、相変らず馬鹿だった。

………………だが、只の馬鹿騒ぎを繰り広げるだけで、その日は終わってはくれず。

そろそろ、風に吹かれながらランチタイム、と洒落込むには寒くなって来た屋上で、カレーパン片手に、九龍と甲太郎は昼休みを過ごしていた。

雲一つない、とはいかなかったが、中々の秋晴れの空を、何処となく遠い目をして眺めながら、甲太郎は、ぼうっとしていて。

「甲ちゃん? どったの?」

パンを食べ進めるのを止め、九龍は隣にしゃがむ彼を見上げる。

「……なあ、九ちゃん。こうして、屋上から空を眺めてると、あの流れて行く雲みたいに、この学園ろうごくから脱出ぬけだして、遠い異国せかいに行ってみたいって気にはならないか……?」

「……………………うん、まあ、ね。甲ちゃんの、そういう気持ちは判るよ。とってもとっても、『世界』は広いんだろうな、って思うしさ」

「…………ああ。唯、風に身を任せ当てもなく、唯、気侭に流れて……。何のしがらみもなく、何者にも縛られず、好きなように生きていく。そんな風に人生を送れたらいいだろうな……」

考え事か何かか? と見上げてみた、数日でするっと、『九ちゃんと呼びなさい』命令を受け入れてくれた彼は、何を思ったのかそんなことを言い出し、「甲ちゃんは、何時も結構唐突だけど、これは、又……」と、九龍が苦笑いをしながら答えてやれば、唐突だった甲太郎の想いの吐露は、それまで以上に憂いを増した。

「当てもなく……風に身を任せるみたいに流れるのは、気侭だ、とは思うよ、俺も。しがらみも持たず、ナニモノにも縛られないで、好きなように生きていくのは、身軽なんだとも思う。…………でも俺は、そうやって人生送っても、何か一つくらいは欲しいな、縛られるモノが」

憂いばかりが滲む甲太郎の想いを、九龍は、……ああ、これは、甲ちゃんの、本当の本音だ、と受け取り。

『本音』を返す。

「お前……物好きだな。何に縛られたいんだよ」

「『還る場所』。ヒトでもモノでもいいけど……出来れば、それはヒトであって欲しい、『還る場所』。…………たった、一つでいいんだ。俺は、そうやって生きても、『還る場所』が欲しいな」

「俗に言う、『波止場の女』って奴か?」

「あー、そんなんじゃない。俺が、そんな風に生きて、何処で何してても、一つ所でじっと待ってて欲しい、ってのとは、一寸違うんだよな。俺は、そういうヒトとは、ずーっとずーっと一緒にいたい方だし。だから……何て言うのかなー。魂の還る場所、みたいな……。……あ、具体例で言うなら、あれだ。京一さんにとっての龍麻さん。龍麻さんにとっての京一さん。そういう相手が、欲しいと思うよ」

「…………九ちゃん。それはお前の、『宝探し屋』としての、実感、か?」

本音に本音を返した九龍に、甲太郎は僅か、瞳の色を変えた。

それまで以上に、真摯に。

「え? …………うん、まあ……。でも、『宝探し屋』としての実感って言うよりは……その…………。──御免、何でもない」

「九ちゃん……? 九龍、どうした?」

「ホントに、何でもない。──うん、俺も、流れる雲みたいに生き続けてみたいし! 甲ちゃんと一緒に、そういう風にしながら、遠い異国に行けたら楽しそうだなと思う! そんな感じ!」

「……お前…………。自分の言ってること、解ってるか……?」

「え? 判ってるよ? そんな風に出来たら、楽しそうだよなーー」

「そうじゃなくて……。…………まあ、いいさ……」

────思うまま、こんな話を始めてはしまったが、直ぐに。

甲太郎は、実の処、愚問だったな、と内心で苦笑していた。

己が口にした、『そう在ったら素晴らしいだろう人生』を、九龍は既に掴んでいる。宝探し屋なのだから、と思ったが為に。

しかし、九龍から返された科白は、そう在りつつも、『縛られるモノ』が欲しい、で。

漂う雲は、唯ひたすら漂うのみであるように、それは、思うままに生きているのだろう彼だから感じる、宝探し屋であるからこその実感なのだろうか、と考え、問うてみれば、答えは何故か鈍く。

その鈍さを誤摩化す為に、だったのかも知れないが、九龍が、『甲ちゃんと一緒に』などと言い出したので。

甲太郎は、己が目と耳を疑った。

………………それは、九龍の自覚を伴わぬ、『告白』だったから。

九龍の言葉は、京一にとっての龍麻のように、龍麻にとっての京一のように、自由に生きつつも縛られたいと己が思うたった一つのモノ──『魂の還る場所』、それが、皆守甲太郎である、と言っているに等しかった。

「『魂の還る場所』、か…………」

だから。

己が目と耳を疑いつつも、無自覚な九龍に流し目で呆れながら、甲太郎は、少しだけ幸せそうに笑った。

「うん。自由に、気侭に生きても、俺は、そういう場所だけは欲しいな。還る場所があるって、幸せなことだと思うんだ。躰も、心も、魂も、何も彼も、自分の全てが、何が遭っても、そこに還る。……幸せ、なんだろうね」

「そう……だな。……それは、幸せなことかも知れない。そして、そうだと言うなら…………俺も、『還る場所』の一つくらいは、求めてみたい」

「素直じゃないなー。欲しい、って言っちゃえばいいじゃん。そういう場所が、自分も欲しい、って」

「……………………俺に、本音を言えってか? 喉から手が出る程、お前が想うのと同じ、『魂の還る場所』が欲しい、って」

────ひっそりと、僅か、幸せそうに笑った彼は。

無自覚な『告白』に、想いを忍ばせて返し。

「……? 甲ちゃん…………?」

「先、行ってるぞ。九ちゃんは、これから例の、盗人活動だろ? ……程々にしとけよ」

立ち上がり、屋上に九龍一人を残して、厚い鉄の扉を潜った。

「…………欲しいと思うさ、俺だって。お前が、『魂の還る場所』だってんなら。……叶えていい願いとは、思えないけどな……。でも、それでも…………九龍──

人気ない階段を孤独に下りながら、独り言を洩らしつつ。