どれだけ言葉を尽くして訴えても、真里野は、約束の時間通りにやって来たのが、月魅の姿を借りた九龍だ、ということを信じてはくれず、九龍が真里野との戦いも、化人との戦いも制して後も、このような形で、女子の手により、剣の道の崇高なる果てを見たいとの悲願が費えてしまい、真里野家のご先祖様に申し訳が立たないから、腹かっ捌いて自決して、ご先祖様に詫びる、と言い出した。
「はあ? 切腹だあ? なーーーにをすっ恍けたことをーーー!」
石床にドカリと座って、本当に着物の襟を開き始めた彼を、九龍は張り手二発で思い留まらせ、こんなことで死ぬなんて馬鹿馬鹿しいとか、死んで花実が咲くものかとか、散々っぱら、真里野の耳許で怒鳴り、生きろ、生きろ、生きろーー! との捲し立てで漸く彼の説得を果たし、ならばこの先は、九龍の為に剣を捧げて共に戦う、と決めた彼が、其方──月魅に出逢えて良かったと、若干頬を赤らめ出したのに、酷く複雑な愛想笑いを返し、戦う前にも尋ねた亜柚子のことを、再び尋ねた。
しかし、一度目に尋ねた時同様、真里野の答えは、そのようなことは知らない、と変わらず、確かに、融通の利かない武士その者な真里野が、亜柚子を人質に攫って、などという策は立てられないな、と九龍は、適当な言い訳を並べ立て、女子寮まで送ると言って聞かなかった彼を何とか一足先に帰し、魂の井戸に向かった。
「無事終わりまし……って、あれ? 龍麻さん、又具合……?」
プチ・スプラッタな姿で魂の井戸に入れば、朱堂とやり合った夜のように、龍麻は顔色を悪くしており、京一はそんな彼を腕に抱いて庇う風にしていて、自分の方が、余程エマージェンシーなのを忘れ、九龍は二人に駆け寄った。
「おう。お疲れさん。…………あー、まあ、な。一寸な」
「お疲れ。……大したことないんだ。もう、大丈夫だし。第一、俺よりも、君の方がー……。うーん、付いて来て良かった」
「又、派手だなー。怪我は治せても、貧血は治せねえぞ、俺等だって」
すれば、寄り添っていた二人は離れ、お前の方が酷い、と顔を顰めて、九龍の両隣に立った。
「でも、一家に一部屋な、ここがありますから」
「だからって、そう簡単にゃ治らねえだろ? いいから黙ってろ」
遠慮を見せる彼に、先ず京一が、活剄の術を施し。
「あー……。やっぱ俺だと、限界があるな。ひーちゃんが相手なら、話は別なんだがよ」
「京一、交代するよ。魯班尺持って来てるしさ」
「……平気か?」
「大丈夫だってば。過保護京一。もう、具合治ったし、この部屋だし」
次いで龍麻が、結跏趺坐の技を使った。
「………………こーゆー処、お二人の『力』は便利ですねー。有り難うございます」
「治癒系は専門じゃないけどね。京一は、この手のこと、元々は得意じゃないし」
「これで、ですか……。すげー……。──あ、そうだ! 処でですね。実は、ひな先生がですねー」
魂の井戸の持つ癒しの力と相俟って、見る間に怪我を癒して行く二人に九龍は感嘆し、亜柚子を攫ったのは真里野ではなかったことと、未だに彼女が行方不明であることを伝えた。
「なら、お前んトコのせんせーは、何処行っちまったんだ?」
「それが判らないんですよ。幾らこの学園が閉鎖空間だって言っても、その気になれば、人一人くらい隠せますから。……という訳で、龍麻さんの具合の方が大丈夫なら、ひな先生探すの手伝って貰えませんか?」
「判った、俺達も手伝うよ」
「ああ、いいぜ」
故に三人は、人質に取られたままの亜柚子と、亜柚子を攫った相手を捜す為、魂の井戸を出た。
「あっ! 剣介ちゃんっ! バカバカ! 心配したんだから!」
「茂美殿……。何故
「アタシ達、クラスメートじゃないの! 剣介ちゃんのことが心配で様子見に来たのよっ。良かったわ、剣介ちゃんが無事で! ……処で、ダーリンは?」
「心配を掛けて相済まなかった、茂美殿。……して、『だーりん』とは?」
「ダーリンはダーリンよー! 九ちゃん! 葉佩九龍っ! 一緒じゃなかったの?」
「拙者、今宵は、七瀬殿としかお会いしておらんが……?」
「……七瀬さん? 変ね。………………まあ、いいわ。戻りましょ、剣介ちゃん」
────滔々と水を湛える、プールのような、巨大な水槽のようなそれの上に、木の橋が幾つも掛かっている部屋で、区画の奥の方からやって来た真里野と、真里野が心配で、一人遺跡に潜ったらしい朱堂が行き会い言葉を交わし、地上の寮へと戻って行くのを。
「行った、か。……ん?」
彼等の死角に潜んでやり過ごした甲太郎は、更に奥を目指そうとした足を止めた。
「………………誰だ……?」
「おや。気付かれたようだね。思っていたよりも、聡いじゃないか、皆守」
「瑞麗…………」
少し前辺りから、どうにも誰かの気配がするような気がして仕方無い、と思っていた甲太郎は、朱堂の出現を受けて、先程からの気配は、きっと彼のものだったのだろうと踏んだが、彼が、真里野と共にその部屋を出て行っても気配は消えず。
思い切って声を掛け、振り返ってみれば、物陰から姿見せたのは、カウンセラーの彼女だった。
「何故、ここに?」
「葉佩のことが気になって、という答えで納得してくれるかい?」
「九ちゃんの? ……おい、カウンセラー。九ちゃんと七瀬の体が入れ替わっちまったって話は、本当なのか?」
「何だ、皆守、君も気付いたのか。……その通りだ。だから、少しばかりお節介を焼きに来たのさ。君もそうなんだろう? そこまで一緒に行こうじゃないか」
「……勝手にしろ」
すんなりと現れた瑞麗は、煙管片手に飄々と言って、甲太郎を促し、今更ここで断ってもと、彼もアロマ片手に歩き出した。
「…………カウンセラー。九ちゃんは戻るのか?」
「さて、な。戻る、とは思うが、私とて、その為の確実な方法を知っている訳じゃない。戻ると思う、としか言えないな」
「いい加減だな」
「以前、言わなかったかい? 私とて、全能でもないし、神の癒し手を持っている訳でもない」
付かず離れずの、立ち上る煙草の紫煙と丘紫の香りは絡み合う距離で道行きを共にし始めた二人は、時折だけ言葉を交わしながら進み。
「………………あっ! 甲ちゃ……っととと」
「九ちゃん? おい、どうして、蓬莱寺と緋勇と一緒なんだ?」
「あれ? 甲ちゃん、俺のこと、俺って判ってくれたんだ? 良かったー! じゃあ、夕飯のカレーにプリンのトッピング、は取り消し、ってことで」
「誰も、最初っから頼んでないだろ、そんなことっ。それよりも、無事だったか? …………さっきは、悪かったな。お前の話が、そう簡単に信じられるもんじゃなかったから……」
「まあ、普通は信じられないだろうからねー。しょうがないっしょ。気にするな、甲ちゃん! お? ルイ先生も」
「無事だったようだな、葉佩」
一つ先の部屋で、九龍と、彼と一緒だった京一と龍麻に、無事、彼等は行き会えた。
「よう。皆守に、ルイちゃん」
「葉佩君、無事だから心配しないでいいよ」
何事もなく終わったのなら、と肩を竦めた瑞麗、あからさまな安堵を見せた甲太郎、そんな二人に、京一と龍麻も軽く声掛け、都合五名となった団体は、亜柚子のことを話しながら地上へと戻り。
さあ、手分けして彼女を探そう、と校内に散ろうとした瞬間。
「ククク……。まさか、他人の身でありながら、あの剣に打ち勝つとはな」
何処より、酷く耳障りな声が、九龍へと掛かった。
「……誰だっ!? 出て来ーいっ!」
その声へ、九龍が怒鳴れば。
「今夜は、月も隠れている。《幻影》を見るには、いい夜だ」
白い仮面を付け、黒くて長いマントを纏った男が、ふわりと姿を現した。