甲太郎と、甲太郎に担がれて来た九龍の体を、念の為、とリビングに敷いた布団に寝かせ、寝室に引っ込んで直ぐ。

「……ひーぃちゃん。たーつま」

もぞもぞと、京一は龍麻のベッドに潜り込んだ。

「キョーイチくーん? 直ぐそこの部屋で若人が寝てるっていうのに、なーーにを考えてるのかなー? ──八雲辺り、喰らっとく?」

猫撫で声に近いトーンで名を呼びながら、するっと布団の中に身を滑らせて来た彼へ、にっこり笑顔を浮かべつつも、こめかみに青筋立てて龍麻は握り拳を固める。

「ばーか。そんなんじゃねえよ。俺にだって、ちぃーっとは羞恥心あんぞ? だから、さ。そうじゃなくて。……そんなんじゃ、なくって……」

ぬっと眼前に突き出された拳を、ペシッと京一は払い落として、ぎゅっと、全身を使って龍麻を抱き締めた。

「京一?」

「…………唯、さ。こんな風にしてたいだけなんだよ。これくらいなら、いいだろ?」

「…………うん。これだけなら。──……あー、やっぱり、気持ちいい……」

『そっち』のつもりはない、と言ったくせに、強い抱擁をされ、龍麻は眉間に皺を寄せたが、京一は、純粋に抱き締めたいだけなのだと知り、自らも、彼の背中に腕を廻して、胸に頬を押し付けた。

「ん?」

「京一の氣。……昔っから、変わらないなー。何でもない時でも、京一に引っ付いてると、ホント、気持ちいい。空気にも重さ一つない、真夏の太陽みたいな氣でさ、暖かくって、うっかりすると熱くって、時々、痛くって…………」

「ガッコ通ってた頃も、しょっちゅう屋上とかで、お前、俺に張り付いてたよなー。慣れねえ内は、どうにも背中がむず痒かったけど、その内、膝枕だって屁とも思わなくなったっけ。……俺等がそんなことしてんの見た醍醐に、変な顔されたこともあったよな」

「あーー、あった、あった。うん、そんなこともあった。懐かしいー! あはは、思い出して来た、あの時の醍醐の変な顔」

「タイショーは、結構百面相してたかんな。何をあんなに、忙しく考えてたんだか。…………ホントに、懐かしいな。あの頃は、毎日忙しくってよ。辛いことも、遣り切れないことも、色々遭ったけど……毎日、楽しかった」

「……京一は、さ。あの頃に、戻りたいと思う……?」

「…………いいや。戻りたいとは思わねえ。そりゃ、歳は喰ったし、あの頃よりゃ、多少大人になっちまったんだろうとは思うけど。基本的には何も変わってねえしな、俺等。毎日一緒にいて、馬鹿な喧嘩ばっかして、お前はお前で、俺は俺で…………。龍麻………………」

抱き合いながら、潜めた声で、高校時代の細やかな想い出を織り交ぜた話を龍麻と交わし、あの頃に戻りたいとは思わない、俺達は何も変わらない、そう言いながらも、京一は一層の力で、腕の中に龍麻を抱き込んだ。

「…………京一……?」

「俺は……。………………悪りぃ、何でもない。御免な? お前も未だ怠いだろうに。…………お休み」

「…………お休み」

抱き締めてくる腕の力、それとは真逆の何処か掠れた声、飲み込まれた言葉。

その全てを、切なく感じながら。

京一が飲み込んだ言葉の先を微塵も問わず、龍麻は、瞳を閉ざした。

唯、想い人に縋り付いて。

甲太郎よりは、五、六センチ程九龍は背が低くて、体重も軽くて、でも、教職員住宅から警備員のマンションまでの距離、ずっと横抱きに出来る程華奢ではないし、意識のない者というのは、想像以上に重いので。

少しばかり汗を掻きながら、九龍を背負い、京一達の部屋へ戻れば、寝辛いかも知れないけれど、この部屋が一番安全だから、とリビングに寝床が用意してあり。

それを、有り難く感じはしたけれど。

有り難い、とは思ったけれど…………。

「………………嫌がらせか……?」

新婚さんの寝床、の如く、ぴっ……たりくっ付けて敷かれている二組の布団を眺め、『阿呆な大人達』が去ったリビングにて、甲太郎は一人頭を抱えた。

少なくとも京一は、九龍に対する自分の想いを知っているのだから、『手加減』して欲しかった、と。

「だが……あいつ等のことだから、絶対何も考えてないな。……ったく……。もう少し常識とか知恵があれば、尊敬くらいしてやるってのに」

しかし、だからと言って布団を離したら、却ってわざとらしい気もしたし、後で色々からかわれそうな気もして、「俺も、こんな風に好きな相手のことを意識しちまう、健全な青少年だったか……」と妙な感慨を覚えつつ黄昏れながら、甲太郎は横になった。

…………が。

本当に、月魅と入れ替わってしまった九龍が元に戻るのか気掛かりで、彼は上手く眠れなかった。

更には、朝が来ても中味が彼女のままだったら、との不安が頭の中をグルグル巡る片隅で、京一から聞いた、龍麻の力の話──黄龍の力の話とか、想っているのに、愛してると龍麻に言えないらしい京一のこととか、なのに、生涯でも龍麻と共にする、と言い切る彼の心理とか、愛してるの言葉を欲しがりながら、それを押し殺して京一と共に在る龍麻のこととかも、くるくる、巡って。

何よりも、九龍が直ぐそこに寝ている、ということを、どうしても意識せずにいられず。

「くそ……っ」

起きていた方が、余程マシなんじゃないだろうかと、がばり、と甲太郎は起き上がった。

──暗い部屋の中でも、カーテンの影から洩れる薄明かりで、九龍の寝顔は窺え。

息すら掛かる近くに惚れた相手が無防備に寝ているというのは、或る種の拷問に近い、と心底の溜息を彼は付いた。

でも、中味は九龍ではないかも知れない、それを強く思ったら、溜息を付きたくなる心地は遠くなったのに。

「………………甲ちゃーん……」

「今、この状況で、俺を呼ぶのか、お前は……」

ぼそっと、傍らで眠る九龍から洩れた寝言に、甲太郎は今度は、腹立たしさを覚えた。

俺なんかが隣にいるのに能天気に寝やがって、ちったあ俺の心情を思い遣れよ、馬鹿九龍、と。

……それは、俗に言う八つ当たりで、九龍は少しも悪くないのだけれど、彼の怒りは一直線に、むにゃむにゃと眠る九龍へと向かい。

「この…………っ」

脳天の一つでも叩いてやらなければ気が済みそうにない、と甲太郎は腕を伸ばした。

だが、伸ばされた腕は、目指した場所へ辿り着く前に留まり、長い指先は、傍らで眠る彼の額に乗った。

そのまま、指先は、幾度も幾度も、撫でる風に、漆黒色の前髪を掻き上げ、やがて、すとん、と傍らに下り。

指先を乗せていたそこに、身を屈めた甲太郎は、微かに唇を寄せた。

「……俺は本当に、どうかしちまった…………」

そうしてしまってから、ああ、と後悔した風に瞑目した彼は、九龍に背を向け、再び布団に潜り込んだけれど。

暫し躊躇った後、寝返りを打った彼は、腕を伸ばして九龍の布団を弄り、探し当てた手を握り込んで、今度こそ、眠った。