幾度か、甲太郎の唇が、問う風に動き掛けたのは判っていたが。

「今日は、有り難うな、甲ちゃん! 甲ちゃんに地図書いて貰ったお陰で、『H.A.N.T』にばっちり色々打ち込める。あ、そういう訳だから、今日の『夜遊び』は中止! …………お休み、甲ちゃん」

寮に飛び込み、三階に辿り着いても、龍麻に刺された釘が効いたのか、結局甲太郎は最後までそれを音にしなかったから、何一つ気付かなかった振りをして、九龍は、未だ赤いだろう瞳を気にしつつも、にぱらっと笑い、隣室の彼へと、威勢良く手を振った。

「……ああ。ちゃんと、顔洗って寝ろよ。ゴミの所為で、未だ目が赤い。放っといたら、明日腫れる。…………お休み」

先程の涙の理由は、そうまでして隠し通したいことなのか、と喉元まで出掛かる衝動を抑えながら、甲太郎は部屋に入った。

「……うん。………………御免な、甲ちゃん……」

振り返りもせず、パタっとドアを閉めてしまった彼へ、決して届かぬトーンで呟き、九龍も部屋の扉を潜る。

一人だけで抱えていたモノを龍麻に吐き出して、多少はすっきり出来たけれど、その分、抱えてしまったモノを抱えるに至ったこれまでを鮮明に思い出してしまって、胸がじくじくとした。

だから、気分はどうしても重くて、明日は祝日だと言うのに遺跡へ潜る気にもなれず、今夜は、室内で出来る作業を片付けようと、壁の、室内灯のスイッチへ手を伸ばし掛け。

「………………え?」

ピタ、っと九龍は動きを止めた。

……三階の、墓地を内包する森に面した廊下の突き当たり。

そこが九龍の部屋だから、間違え様はないのに。甲太郎も隣に入って行ったのに。

確かに彼の部屋の彼のベッドに、人の形の盛り上がりがあった。

彼以外の誰かが寝ている、それを知らしめる風に。

「ええと………………」

──果たしてそれが誰なのか、咄嗟には判らなかった。

判らなかったが……その何者かが、不法侵入者であることには間違いなく、九龍は銃器に手を伸ばそうと思ったが、装備一式を隠してあるのは生憎ベッドの下で、ゴソゴソやったら、迂闊に相手を起こしてしまい兼ねない、と彼は、そう……っと、勉強机の椅子を掴んだ。

不届き者ではあるけれど、こちらに危害を及ぼすのが第一目的の侵入者なら堂々とは寝ないから、この程度で充分だろうと踏んで。

……尤も、振り被った金属製の椅子を渾身の力で叩き付るのは、鼻先に銃口を突き付けてやるよりも、或る意味凶悪だが。

「せーーーのっ!」

「……はっ? ──ぐぎゃああああっ!!」

しかし、そう簡単には死なないしー、と九龍は、ブンっ! と椅子を持ち上げ。

叩き付けられた相手は、潰れた悲鳴を上げた。

「くおっ……、う……うお…………。ぬおああ……」

「…………あれ?」

上がった悲鳴に満足を覚え、叩き付けた椅子はそのままに、パッと部屋の電気を九龍は点けて、再び、椅子を構えながら布団を捲り。

「宇宙刑事? …………なーーにやってるんですかねー、この人は」

「や、やあ。元気かい? 少年……。……何も、椅子でぶん殴るこたぁないだろ、ベイビー……」

ヨロヨロと這い出て来た鴉室に、きょとん、としながらも彼は、もう一発くらいやっとくか、と椅子を振り回した。

何やら隣が騒がしいが……、と。

もやももした気分のままの己が眠れるか否かを疑いつつ、それでも寝支度を整えていた甲太郎の耳は、隣の九龍の部屋の喧噪が消えて少しが経った今、本当に微かに、カチリ……と、部屋の鍵が外される音を拾った。

ベッドに潜るべく上掛けを捲ろうとしていた手をピタリと止め、すー……っとドアへ目線をやれば、ジリジリジリ、とドアノブが廻るのも見て取れ。

「お前には、ノックをし、在室を問い、相手の許可を得てから中に入る、って、世間の常識の基本中の基本すらないのか? あ? 九ちゃん?」

薄く開けられたドアの向こうから、するーっと、予想に違わぬ相手、九龍が滑り込んで来るのを待ち構え、甲太郎は、顰めっ面で言った。

「え、えへ…………。お休み三秒な甲ちゃんのことだから、もう寝ちゃってるかと思ってさー……」

自身の言葉通り、甲太郎はもう眠りの中、と思っていたらしい九龍は、煌々と灯る部屋の灯りや、腰に両手を当てて仁王立ちし、渋い顔で訴える彼を意外そうに見遣りながら、へらっと誤摩化し笑いを作った。

「何だ、そのお休み三秒ってのは。……で? 寝てると思ってた俺の部屋に、一体何の用だ? …………まさかお前、又、俺の秘蔵のレトルトカレーを狙いに来たんじゃないだろうな」

「残念でした。例え爆睡してるって判ってても、甲ちゃんが部屋にいる時は幾ら何でも」

「じゃあ、いない時ならするのか?」

「そりゃ…………じゃなくって、あーー。えーーと」

「…………今直ぐに、お前の部屋のベッド下とクローゼットと机の引き出しと屋根裏を改めさせろ」

「何だよー! 甲ちゃんこそ、俺の装備品その他の隠し場所、ぜーーーーーんぶ知ってるじゃんかっ! 同罪だ、同罪っ!」

「当たり前だっ! お前の、迂闊に他人に見られたら、即、両手が背中に廻る物騒な武器一式や、後から後からお前があそこから拾って来るトンデモ品や、絶対に俺は食材だと認めたくない食材その他の整理整頓に付き合ってやってるのは、何処の誰だと思ってるっ! 『ふわふわ土器枕』や、ファラオの胸像や、コスモレンジャーのポスターが渾然一体の悪趣味な部屋で、あれを片付けてるのは何処の誰だっ!」

「……甲ちゃん、甲ちゃんがくれたカレー鍋のこと忘れてる。カレー鍋も、渾然一体の一つ」

「……………………出て行け」

「すいませんでした。御免なさい。心から反省してます。片付け手伝ってくれてるのは甲ちゃんです。備品リストの作成手伝ってくれてるのも甲ちゃんです。『H.A.N.T』に入力とかもしてくれて、べりーべりーさんきゅー、甲ちゃんっ! ……という訳で、話聞いて下さいな」

泣いていた理由を隠し、泣いていたことすらも隠し、一人部屋に篭ると言った九龍が、その舌の根も乾かぬ内に、こっそり不法侵入して来たのは、何時もの『盗人活動』の為かと疑った甲太郎と、誤摩化しに誤摩化しを重ねようとして、うっかり余計なことを洩らしてしまった九龍は、暫しやり合い。

「っとに……。何なんだ。俺の安眠を妨害してでも、聞いて欲しい話なんだろうな?」

「うん! ……あのさー。…………今晩、泊めて?」

「………………はあ?」

ボケとツッコミが落ち着いた頃、漸く、彼等の話は本題に入った。

「同じ寮に住んでて、しかも隣同士で、泊めても何も無いだろ。自分の部屋に帰れ」

「自分の部屋で眠れるなら、俺だってこんなこと言わないもーん。……それがさー。部屋に入ったら、俺のベッドで、宇宙刑事が寝てたんだよー……」

「何だと……? ……何考えてやがる、あのオヤジっ! 何なら、俺が叩き出してやるぞ、九ちゃんっ」

「まあまあ。甲ちゃんがそこまでエキサイトしなくても。俺も二、三発、椅子でぶん殴ったし。──宇宙刑事、俺が夜な夜な墓地に行ってるの、知ってたんだってさ。んで。明日は祝日だから、今夜も俺は心置き無く出掛けて、朝方になるまで帰って来ないだろう、って思ったらしくって、その隙に、俺の部屋で寝かせて貰おうって考えたんだと。寮の機関室に隠れてるのは、しんどいし寒いし、だからたまにはベッドで寝たい! って。だけど、そこに俺が帰って来ちゃった、って訳なのだ。……ま、そんな訳でさー。椅子でぶん殴っちゃったし、一晩くらいならって思ったし、ちょっぴりだけ、宇宙刑事が可哀想かなーとも思ったんで、今晩だけ、の約束で、ベッド貸すことにしちゃったんだ」

「………………だから、自分はここに泊めろ、と」

「うんっ!」

「お前な…………」

やっと辿り着いた、が、馬鹿馬鹿しい内容だった本題に、甲太郎は頭を抱えた。