窓の外の梢に止まった鳥の、チュン……との囀りで、九龍は目を覚ました。
「あ、れ…………?」
カーテンの隙間から洩れる陽光で室内は薄明るく、頭一つ分上に、甲太郎の寝顔があるのが見え、彼は首を傾げる。
どうして、直ぐそこに甲太郎の顔があるのか、しっかりと彼に抱かれながら自分が寝ているのか、咄嗟に判らなかった。
「あ、そっか…………。……うわ、醜態晒した……」
が、記憶は直ぐに甦って、見た悪夢を、現実なのか幻なのか判らなかった真夜中の出来事を、思い出した九龍は、ポン! と頬を赤らめた。
酷く嫌な夢を見て、囈言で騒いで、夢の延長かも知れないと思いながら甲太郎に縋り、抱き締めて貰って以降は上手く眠れ、だから、それにはとても感謝しているけれど。
晒してしまった醜態も、抱かれながら眠ったのも、今尚、それが続いているのも、恥ずかしくて仕方無かった。
「俺の、馬鹿め……」
如何なる理由故であろうとも、好きな相手とこんな風にしていられるのは嬉しいが、自分は未だ、片想いの身の上だ、と顔全体を真っ赤に染めた彼は、もぞもぞと、甲太郎の腕の中から脱出しようと足掻いた。
しかし、甲太郎を起こさぬように気を遣いながらのそれは、中々成功せず。
「……お前の馬鹿は、今に始まったことじゃない。暴れるな。俺は未だ眠いんだ…………」
起きたのか、起きていたのか、薄目を開けた甲太郎に睨み下ろされ、九龍は苦情を言われた。
「う……。御免…………」
「黙ってろ。眠れない」
「はーい……」
夜も明けたことだし、宇宙刑事も退散しているだろうから、眠りたいならその腕を解いてくれればいいのに、と言いたいのを我慢して、寝不足が原因で不機嫌絶頂になっている時の甲太郎に逆らう愚かさが身に沁みている彼は大人しく頷き、又、そろそろーー……っと、腕とベッドより抜け出すべく身を捩ったが、途端、ぎゅう、と、甲太郎の抱く力が強まったので。
「駄目だ、これは……」
仕方無し、彼も又、二度寝を決め込んだ。
小さな声で、うー、とか、あー、とか、えー、とか呻いていた九龍が、再び眠ったのを確かめて、そっと甲太郎は瞼を開いた。
その奥の両の瞳は、明らかに寝不足で真っ赤だった。
──同じベッドの中の、拳二つ分程しか離れていない場所で九龍が眠っていることを、無理矢理頭の中から蹴り出し、何とか手繰り寄せた眠りと漸く仲良くなれ掛けた頃、九龍から微かに、魘されていると思しき声が洩れ始めたのに甲太郎は気付いた。
その声は本当に微かだったから、寝苦しいのだろうか、と思っていたら、声は少しずつ大きくなって、やがて叫びになり、嫌な夢でも見ているのか? と声を掛ければ、思い切り縋られ、挙げ句、「自分は生きているか?」と問われ。
どうということない風を装い、ぶっきらぼうな声で慰め、抱き締め続けてやったら、九龍は今度こそ大人しく眠った。
が、甲太郎の方は、眠る処の騒ぎではなくなり。
前回以上に拷問だ、と嘆きながら、九龍がもう悪夢を見ないようにしっかりと抱き抱えつつ、様々、考えを巡らせた。
九龍は何故、龍麻相手に泣いていたんだろう、とか。
彼が泣いていたことと、先程見たらしい悪夢──「自分は生きているか?」の囈言は、何か関係があるのだろうか、とか。
己の生き死にを問いたくなるような酷い悪夢を見る程、彼は何か、居た堪れない経験でもしているのか、とか。
だとしたら、泣いていた理由も、悪夢の理由も納得出来るけれど、何故それを彼は、龍麻にだけ打ち明けたのだろうか、とか。
……本当に、様々。
だから、そんなことを考えながら、腕の中の彼が身動ぎする度、又、嫌な夢でも……? と疑い、様子を見続けた甲太郎は、殆ど眠っておらず。
『青春が齎す衝動』なぞ、疾うの昔に何処かに置き去りにして、二度寝に入った九龍を眺めながら、やっと訪れた強い睡魔に引き摺られ、眠った。
十一月三日の祝日、そんな彼等が活動を始めたのは昼下がりのことで、何はともあれ飯にしようと、ばっちり付いてしまった寝癖をいい加減にだけ直し、二人は揃ってマミーズへ向かった。
連れ立って食事を摂るのも、寮の廊下や辿った歩道やマミーズで、擦れ違い様声掛けて来る、知り合いや同級生や仲間達と言葉を交わすのも、九龍にも甲太郎にも、すっかり当たり前のことになっていたから、何も考えず、極々自然に、二人は何時も通りに振る舞ったのだけれど。
目敏い……否、この場合は鼻が利く、と言った方が正解だろう。
その日、彼等と行き会った鼻の利く数名は、甲太郎だけでなく、九龍からも、気に留めずにはいられぬくらい強く、ラベンダーの香りがするのに気付き。
今日になって突然、葉佩九龍から、皆守甲太郎と全く同じ香りが漂うようになった、さて、これは一体どういうことかっ!?
……な噂が、鼻の利く数名を出所に、男子寮は固より、女子寮をも駆け巡った。
が、そんな噂が飛び交ったのも、同一の香りを振り撒いて歩いているのにも、二人は全く気付くことなく午後を過ごし、何時もよりも大分早い時間に、夕べは入り損ねた共同浴場へ向かった。
風呂に入り、さっぱりとしてしまえば、所詮九龍が香らせていた丘紫は残り香、綺麗に消え去ったけれども。
一日中二人揃って振り撒いていた香りのことも、男子寮及び女子寮全てに──即ち、全校生徒に不本意な噂が行き渡ったことも気付かぬままだった二人は、『うっかり』甲太郎の部屋にて、昨夜は完成しなかった、遺跡内の地図を『H.A.N.T』に入力する作業に揃って没頭してしまい。
作業が終わっても、九龍は、「又、あんな夢を見たら嫌だな……」との想いから、甲太郎は、「又、九ちゃんが一人悪夢に魘されたら」との想いから、何となく離れ難くなってしまって、他愛無い話で就寝を引き延ばし、どうしようもない言い訳を並べ立て、共に、雑魚寝をしてしまった。
だから。
翌日も彼等は、揃ってラベンダー臭を振り撒きながら登校し、そのまま一日を過ごして。
『不本意な噂』は益々、学内に蔓延し。
…………噂は。
甲太郎とは又別次元で市井のことに興味を抱かず、且つ疎い、彼の数少ない友人の一人、《生徒会長》阿門帝等の耳にまで届いた。