学内に、九龍や甲太郎の『不本意な噂』が蔓延し始めてから一週間程が経った、十一月十一日 木曜。

急に、三年C組の四時限目の授業は、自習になった。

「おーー、今日も届いた、茂美ちゃん・心のポエム!」

「……お前、一々そんなもん読むなよ……」

「でも、面白いよ? ほれ。この、『運命。ラララ運命』な出だしからして、ナイス過ぎる、茂美ちゃんっ!」

「運命、ね。……運命なんてのは、この世に存在しないんだとさ。人の一生が運命に定められてるなんて、そんなことは有り得ないそうだ。それでも、もしもこの世に運命があるとするなら、それは、自分の足で辿り着いた先で、自分の手で掴み取ったモノのことを言うらしい」

「…………それ、誰が言ってた?」

「蓬莱寺。あいつに言わせると、運命なんざクソ喰らえ、になるようだ」

「いいこと言うね、京一さん。流石、野生の勘で生きてる御仁。……あのさ。ひょっとして甲ちゃん、京一さんのこと、尊敬してたりする?」

「何で俺が、野生の勘だけで生きてる馬鹿な大人を、尊敬しなくちゃならないんだよ」

「………………成程。甲ちゃんがそう言うってことは、結構尊敬してるってことか」

自習授業、これ幸い、と、ばらばら席を離れて行くクラスメートに倣い、教室の片隅に隣り合って座り、届いた朱堂からのポエムメールをネタに、九龍と甲太郎は喋っていた。

「ねえねえ、自習の理由、聞いた?」

「聞いた聞いたっ。安田先生、生徒会に処罰されたんでしょ?」

「授業のチャイムが鳴っても、下駄箱で女子と話し込んでたって……」

「唯、それだけでだろ?」

「あたし、もォやだよー、こんな訳判んない学園……」

「くそっ……。俺も、ファントム同盟に入ろうかな……」

「あたし、絶対に、ファントム応援するっ」

「生徒会なんて、なくなればいいんだよな……」

彼等の話が、時にはいいことを言う、『野生の勘のみで生きている大人』のことへと辿り着いた時、やはり、教室の片隅に固まり語らっていたクラスメート達の噂話が耳に届き。

「又、あの噂か……」

「ああ、ファントム同盟、とやら? 大人気って噂だね」

甲太郎と九龍は、あー……、と顔を見合わせた。

昨夜遅く、既に校則で寮よりの外出を禁じられている時間であると判っていながら、落としてしまった財布を探しに出た男子生徒二人を、執行委員が処罰しようとし、そこへ、以前から生徒達の話題に上っていたファントムが現れ、颯爽と二人を救出したらしい、との噂が、その日は朝から学内のあちらこちらで語られており。

落とした財布を拾いに行った、たったそれだけのことで、銃らしき物で撃って来た、行き過ぎているとしか思えぬ執行委員や、それを許している生徒会に対する、以前から生徒達がそこそこには抱えていた憤懣が高まって、《ファントム》は、今、天香学園の『時の人』だった。

ファントムの噂が、実しやかに語られ始めて暫くした頃に出来た、『ファントム同盟』なる同好会には、何をするでもなく、唯、自分達にとっての正義の使者らしいファントムを祭り上げるだけしかしていない同好会であるにも拘らず、早朝より入会者が殺到し。

クラスメート達も、今のように、寄ると触るとファントムの名を口にした。

「どいつもこいつも、阿呆か。自分から何かをする勇気のない奴に限って、ああいうのを祭り上げたがる。大衆ってのは哀れなもんだ」

故に、同級生達のやり取りに、甲太郎はあからさまに顔を顰め。

「まー、でも、寄らば大樹の影ってのは、或る意味では正解な生き方?」

まあまあ、と彼を宥めながらも、九龍は肩を竦めた。

「ふん……。小さな力をどれ程寄せ集めてみても、絶対に敵わないものがあることを、奴等も知るべきだ」

「おや? 甲ちゃんは、革命の歴史には興味無し? 民衆や大衆は、国家をも引っ繰り返すよ?」

「……お前は、大衆の味方か?」

「いんにゃ。そーゆーこともある、ってだけ。正直、俺の『立場』を棚に上げていいんなら、俺は《ファントム》よりも《生徒会》派だぁね」

「ほう…………。どうして?」

「《学園運営》に関する、正々堂々さの違い。《生徒会》って、少なくとも線引きは明確じゃん。校則を侵すから、処罰の対象にされる訳で。たいぞーちゃんや剣介誑かしときながら、『部外者』の俺に向かって、《生徒会》を倒せ、なんて言う幽霊さんよりは、ポイント高いなー」

「成程な。そういう基準か……」

「ねえねえ。何だか、朝にも況して、嫌な雰囲気だね」

互い渋い顔をしながら、甲太郎と九龍が、ファントムと生徒会のことを語り合っていたら、明日香がやって来た。

「おや、明日香ちゃん。まあ……確かに、雰囲気は良くないね」

「仕方無いんだろうけどねー。……それにしても、ファントムってホントに何者なんだろ。誰かの悪戯か、本当の正義の味方か」

「幻は、所詮幻だよ」

「あ。夢のない発言」

「……まあ、確かにここは幽霊くらい出てもおかしくない場所だがな」

「うわお。九チャンが夢のない発言した分、皆守クンがロマンチックなことを……。何か、何時もの二人と逆だね」

「そうでもないだろ。──しかし……《生徒会》の不当な処罰から生徒を守るファントム、ね……。確かに、最近の《執行委員》の暴走振りは、目に余るものがあるが……」

「あれっ、益々珍しー! 皆守クンがそんなこと言うなんて。以前だったら、アロマ銜えて、『そんな奴等と関わり合いになるような行動を取る方が悪いのさ……』とか、言っちゃってたのに」

ふらっと、彼等の傍らへやって来て、やはりファントム絡みの話を始めた彼女は、九龍と甲太郎それぞれの見解を聞き、目を丸くした。

「お前……、俺をどういう目で見てるんだ」

「だって……ねぇ? 皆守クン、最近一寸変わったかなー、って。九チャンもそう思うよね?」

「うん。甲ちゃんは最近、前よりはちょーーっと積極的。でも、本心誤摩化すって言うか、ビミョーに言葉が足りないのは相変らず、ってとこかなー」

「どういう意味だ、九ちゃん? 《ファントム》よりは《生徒会》派なお前の気に、何か障ったか?」

「そーじゃないよ。幽霊さんよりは、生徒会さんの方が未だポイント高いって言ったのは本心だけど、それと、行き過ぎた処罰云々は、又別問題だしさ。だから、俺が言いたいのはそういうんじゃなくって。……甲ちゃんだって、判ってるっしょ? 最近の《執行委員》の暴走振りが目に余る程なのは、何か理由があるんじゃないか、って」

「…………例えば、幽霊が噂に上り始めた頃と、連中の暴走が目に余り出したのは同時期、とかか?」

「そーそーそー。さっすが、甲ちゃん。──でも。……ほーら。甲ちゃんは、こうやって引き出さないと、思ってることの全部を言わない、ビミョーに言葉が足りない君じゃん」

驚きを隠さない明日香を他所に、少年二人は腹を探り合うようなやり合いを進め。

「御免、あたし、何となーーーーく、九チャンと皆守クンの会話に付いてけない……。………………あの噂、ホントなのかな……」

明日香は、疎外感を覚えた風な顔付きで、ボソっと、噂がどうの、と呟く。

「噂? 明日香ちゃん、噂って何?」

故に、ファントム以外の噂なんかあったっけ? と九龍は明日香に突っ込んで。

「えっ? な、何でもない! う、うん! 皆守クンが、前よりも全然話し易くなったのは、あたしも嬉しいよ!」

「ちっ。勝手なことばかり言いやがって」

『噂』を誤摩化す為に、無理矢理話を戻した明日香の言い分に、甲太郎は舌打ちしながら席を立った。

「お? 甲ちゃん、早めの昼飯? 待って待ってーー、俺も行くーー!」

さっさと教室を出て行ってしまった甲太郎の後を、九龍は追った。

「うーーーん…………。益々、噂に信憑性が……。噂通り、九チャン、ここんトコずーっと、ラベンダー臭いし……」

いそいそっと、小走りで甲太郎を追い掛けて行った九龍を目で見送って、明日香は腕を組み、深く唸った。