街角で幾らでも売っている、何の変哲もないビニール傘は、少年二人が相合い傘をするには小さく、甲ちゃんとこうしていられるのは嬉しいけど、片想いの身の上には、ほろ苦い程に照れ臭い、と九龍は、小さな傘の隅の隅に、ちょん、と入った。
それでは、肩だけでなく、体の半分以上が濡れてしまうけれど、彼の気持ちとしてはそれで充分で、が、十一月に降る、冷たい雨に打たれ始めた体は正直に、ふるり、と震えた。
「もっと、ちゃんと入れ。遠慮するようなタマじゃないだろ、お前は。風邪引きたいのか?」
それに、甲太郎は気付き、遠慮がちな彼の肩に手を廻し、ぐいっと抱き寄せた。
「へーきだって!」
「九ちゃん。馬鹿は風邪引かないって、あれは嘘だぞ?」
しととに濡れ始めた肩に乗った、躊躇いすらなかった甲太郎の手に、思わず九龍の腰は引けて、チロっと、逃げるような態になった彼を甲太郎は横目で見ると、肩の手を、腰へと滑らせた。
「むきーーっ! 俺は、風邪も引かない程馬鹿じゃないぞーっ!」
「なら、大人しく入ってろ。お前が暴れると、俺まで濡れんだよ」
「…………へーい」
勢い、傘から飛び出してしまいそうだった九龍が大人しくなって、流石に甲太郎も彼の腰からは手を外したが、それでも、再び傘の下から外れぬように、今度は九龍の二の腕を掴み。
「………………うーん……」
彼等の様子、やり取り、それを端から窺っていた明日香は、ビミョー、な顔付きになった。
「明日香ちゃん? 何?」
「えっ? あ、何でもないよ! ……それよりも。ほら、あっち」
何とも言えぬ奇妙な顔で唸る彼女を九龍が振り返れば、ワタワタ、と彼女は手を振って、中庭の一角を示し、彼の注意を逸らす。
「ほ? ……おーーー。この雨の中、元気ですなー」
「……ああいうのは、風邪も引かない馬鹿だな」
明日香の指が示した場所では、降り頻る雨の中、傘も差さず、即席の壇上にて叫ぶ男子生徒と、彼を囲む何人もの生徒の姿があった。
「諸君!! 我々は、今こそ立ち上がるべき時である!! ファントムこそは、この学園の真の守護者であり、我々を生徒会の圧政から解放する、救世主である!! 今こそ我々の力で、この学園に自由を取り戻すのだ!! ファントムの名の下、この呪われた学園に制裁を────!」
「おおーーーーー!!」
三人が、歩きながら流し目を送った男子生徒は、声を張り上げ演説を打ち、彼を取り囲む生徒の輪からは、歓声が上がった。
「あれ、今をときめくファントム同盟の人達でしょ?」
「何が、自由を取り戻す、だ。馬鹿馬鹿しくて付き合ってられないぜ。立ち上がってどうするってんだ、亡霊を神輿に担いで、生徒会役員のリコールでもするってのか?」
「……ま、鬱憤晴らしの一環でしょ。『革命』起こしたがる心理は理解出来なくもないけどさ。『革命』って、起こした後が大変なんだよねーー。……判ってるのかな、その辺」
「連中がか? ……言うだけ野暮だ」
「でも……皆、ホントにこの学園がそんなに嫌いだったのかな。あたしは別に、そんなに嫌なことばっかりじゃなかったよ。確かに、最近の厳し過ぎる取り締まりは、一寸おかしいなって思うけど……」
遠目に一団を眺めながら、何処となく足早に中庭を通り過ぎつつ、明日香も、甲太郎も、九龍も、それぞれ、眉間に皺を寄せた。
「あ、向こうにいるの、白岐サンだ。……ご飯に誘っちゃお。──おーーーい、白岐サーーーーン! お昼、皆で一緒に食べようよっ」
だが、溜息ばかりを付きたくなる雰囲気の中、明日香が遠巻きに一団を眺めていた幽花を見付け、嫌な空気を打ち破るように、元気な声を張り上げた。
「いえ……。私はもう、済ませたから」
小さな水溜りを弾きながら駆け寄って来た明日香と、歩調を早めて明日香を追い、並んだ甲太郎と九龍を幽花は見比べながら、ほんの少し、申し訳なさそうに答えた。
「え、ホントに? そっかー、残念……。因みに、何食べた?」
「え? あの、サラダ……」
「それから?」
「それだけ……だけど」
「えええええええええええええええっ! そんなのご飯じゃないよっ! 駄目だって、ご飯はちゃんと美味しく一杯食べないと! ねっ! 九チャンもそう思うでしょっ!?」
随分と手早く昼食を終えてしまったらしい幽花に、明日香は残念そうに洩らし、それでもメニューの話を振って、昼食はサラダ、との幽花の答えに、雄叫びを放ち。
「激しく同意。ご飯はがっつり食わなきゃ! 元気出ないよ? それとも幽花ちゃん、小食?」
九龍も、美味しい御飯は元気の源! と情熱の握り拳を固めた。
「ええ、まあ……」
「そっかー……。……そうだ。ほら、この間、大和と三人で、今度一緒にご飯しようって約束したっしょ? あれさ、未だ実現出来てないからさ。甲ちゃんとか明日香ちゃんとか、他にも引き摺り込んで、大勢でご飯にしようよ。皆で楽しくご飯にすれば、幽花ちゃんも、きっと、その分沢山食えるっ!」
「あー、狡い、九チャン! 何時の間に、白岐サンや夕薙クンとそんな約束してたのっ? 狡い狡いー!」
「お? 言ってなかったっけ? ほら、この間のツチノコ騒ぎの時にさ、たまたま廊下で、大和と幽花ちゃんと、ばったり行き会って。それで、そんな話に。……だから、明日香ちゃんも一緒に、どお? 甲ちゃんも!」
「うん、混ざる! 勿論!」
「……嫌だと言っても、俺を引き摺って行くだろう? お前は」
「…………でも……私なんかと一緒に食事して、楽しいかしら……?」
「あたしは、白岐サンとご飯一緒にしたいよ! もっと、色々、話もしたいよっ」
「楽しいって! なっ、甲ちゃんっ!」
「……っ……。…………そ、そうだな」
幽花と一緒に食事をする機会を逸してしまったのを、明日香が酷く残念そうにしているのに気付いて、情熱の握り拳を固めた勢いのまま九龍は話を進め、私なんか……、と言い出した幽花の気分も、幽花と仲良くしたいと願い続けている明日香の気分も落ち込まぬように、この手の会話には積極的に混ざらない甲太郎の足を、然りげ無く、が、ガン! と踏ん付け、強引に首を縦に振らせ。
「そういう訳で! 近い内に、皆でご飯にしようよ。何時にするかは、明日香ちゃんと幽花ちゃんで決めてくれていいよ?」
ツンツン、と九龍は、肘で、明日香の脇腹を突っ突いた。
「へ? ……あ、う、うん! ──そうだ、白岐サン、あたしのプリクラとメルアド渡しとくねっ。今晩、白岐サンの部屋行くからさ、OKな時間になったらメールしてっ」
彼にそうされ、一瞬、きょとん、となったものの、はっ、と明日香は、生徒手帳からプリクラを取り出した。
「え、ええ。…………有り難う、八千穂さん」
いそいそと、『友好の第一歩』を刻む支度を始めた明日香を、戸惑いながら見詰めつつも生徒手帳を渡し。
「…………羊の群れが安全に生きる為には、羊飼いが必要なのに……」
手渡したそれに、明日香がメルアドを書き記す間に、ふい……っとファントム同盟の演説会へ視線を送った幽花は、ぽつり、呟いた。