行ってしまった阿門に、バイバーイ、と手を振り。
「……馬鹿は馬鹿でも、いちお、風邪は引く程度の馬鹿なんだけどな、俺でも」
再び一人きりになって、むう、と九龍は唇を尖らせた。
今日になって、急に己の前に現れた《生徒会長》の『忠告』が、少しばかり、胸に痛かった。
…………《墓》を侵す者を排除せよ、それが絶対の掟である生徒会のドンのくせに、彼が告げて来たことは、『これ以上』、《墓》に足踏み入れるつもりならば、不穏分子と『看做す』というそれだったから。
それは、裏を返せば、今日より先、《墓》に踏み入るのを思い留まるならば、『不穏分子ではなかったこれまで』のことは不問に処され、残り少ない学園生活を有意義に楽しむ道と身の安全が、『葉佩九龍』には保証される、ということで。
「……剣介を倒すとこまで、俺が進んじゃうとは思ってなかった、ってのも理由だろうけど。……ま、半分、だろーなー。……残り半分の理由は何でしょーねー……。《生徒会長》さんの、あの、ちょーーっと過剰な優しさは、どっから出たのかなー……」
譲歩満載な《生徒会長》直々の『忠告』は、『墓荒らしでしかない《転校生》』の為に与えられたのではなく、『墓荒らしでしかない《転校生》の傍にいる誰か』の為に与えられたのではなかろうか、と疑ってみた九龍は、やれやれ……、と瞑目した。
「甲ちゃんと帝等は、お友達だったりしてねー。だったら、ビンゴかもねー。ハハハハハハハハ…………。はあ…………」
雨上がりの空へと面を上向け、瞼を閉ざした九龍は、しょんぼりと肩を落とし、暫し佇み。
「…………んー?」
遠くから聞こえ来たジャングルブーツの足音に、耳峙てた。
「遅いっ! 下校の鐘は疾うに鳴り響いたゾ!! 貴様の行いは、神聖なる学園の生徒として言語道断でアルッ。よって、貴様を《生徒会》の法の下に処罰スルっ!」
この足音は、昼休みに話した、心傷付いた少年のものではなかろーか、と彼が思う間もなく、足音の主は声高に叫んで、直後、ハンドガンらしき物を構える音と、安全装置を外す音が九龍の耳朶を叩いた。
「げっ! マジかっっ!」
不穏な音に、ダッと彼は駆け出したが、一瞬遅く、銃声は響き、銃弾が彼の体を掠めた。
「痛……っ」
「無駄ダ。自分の射撃の腕は、貴様の皮一枚裂くことさえ容易なのダ」
何処から飛んで来たかも判らない弾丸が痛みを残して行った右の二の腕を押さえ、物陰目指し、再び走り出そうとした彼へ、聞き覚えのある声は言い、今度は、彼が足を踏み出そうとした敷石を撃った。
「逃がすつもりはない、ってことか?」
「……九ちゃん! 九龍っ!」
「え? ……あ、甲ちゃん! わー、こっち来ちゃ駄目だーーっ!」
行く手を阻まれ、嫌な汗を九龍が掻き始めた丁度その時、校舎から駆け出て来た甲太郎の呼ぶ声がし、声へと振り返り様、来るなと思わず叫んだのに彼の足は止まらず、九龍から吹き出す汗の量はどっと増した。
「大丈夫かっ?」
「俺のことなんかどうでもいいから! 逃げて! 甲ちゃん逃げろっ!」
「そんな訳にいかないだろっ」
「ム……? 他にも未だいたのカ」
駆け寄って来た甲太郎は、押さえられている九龍の二の腕を気にし、それ処じゃないと九龍は捲し立て、甲太郎にも気付いた声の主は、再度、銃を構え直す音を立てた。
「ほら、甲ちゃんまで目ぇ付けられたーーーっ!」
「ちっ。──九ちゃん、ぼけっとしてんな、走れっ!」
「だけどー!」
三度目の射撃の気配に、甲太郎は九龍を連れて走り出そうとし、が、九龍は彼の手よりするりと逃げて、その場に留まる。
「九龍っ!」
「…………っっ」
容赦無く銃声は轟き、今度は、太腿の辺りを銃弾が掠め、彼は息を詰めた。
「逃げなくていいのカ? 貴様に出来るのは、唯なす術なく逃げ惑うことだけダ」
「何してるんだっっ」
「甲ちゃんこそっ! 狙われてるのは俺で甲ちゃんじゃないんだから、甲ちゃんはさっさと一人で逃げるっ!」
「いい加減にしろっ!! 馬鹿九龍っ!」
その間に、少しばかり近付いたのか、狙撃手の声音は大きくなって、甲太郎は九龍を怒鳴り飛ばすと、腕を掴んで駆け出した。
「い……っ。痛いっ! 甲ちゃん、そこ痛いっ!」
「喚くなっ。後で診てやるっ」
校庭を駆ける二人を追うように、銃声は立て続けに鳴り。
「くそっ……。あの銃、一体何発弾が入ってやがるっ!」
いたぶるように、足許を狙って来る狙撃手へ、九龍を庇いながら甲太郎は毒づいた。
ハンドガンであるなら、疾っくに弾倉は尽きてもいい筈なのに、銃声は消えなかった。
「言っておくが、弾切れを狙おうとしても無駄でアルっ。自分には、あらゆる鉛成分から自在に弾丸を作り出す《力》があるのでアルッ。地獄の弾丸が貴様等を何処までも追い詰めるのダ」
「鬱陶しい《力》だなっ」
「……鉛成分から弾……。彼は、鉛の塊背負って歩いてるのか、はたまた、次から次へと弾を生む代わりに彼の銃は痩せてくのか。どっちかな? 火薬は何処から生んでんのかな?」
「お前……こんな時に馬鹿な想像してんなっ!」
甲太郎の愚痴めいた疑問に、『彼』からきっちり答えが返り、駆けながら、思わず九龍は呟いて、やはり足だけは止めず、甲太郎は九龍の頭を引っ叩いた。
「どうしタ? もう逃げないのカ? ならば、正義の鉄槌を下すでアルッ」
だが、そんな逃走劇も終わり。
二人は、絶えない弾丸と銃声によって、校庭の片隅へと追い詰められる。
「ちっ……。……何が正義だ。姿も見せずに、物陰から人を狙うような奴に、正義を語る資格があるのか?」
──もう直ぐそこは正門の、外壁を背にし、甲太郎は九龍を庇いながら、思い切ったように声の方角へと振り返った。
「ムムッ……。──自分は、三年D組の墨木砲介でアル。《生徒会執行委員》として、校則に反した貴様等に処罰を与えルッ。処分を下す前に、名を聞いておこう」
刹那甲太郎が叫んだことを、正論と思ったのだろう。
物陰から、少々旧式のガスマスクを付けた、全く顔立ちの不明な、制服を着込んだ少年が現れた。
「俺は、葉佩九龍。三年C組の、《転校生》だよ」
名乗った相手には名乗り返しましょう、と九龍は一歩進み、甲太郎と肩を並べて立って、静かな声で言った。
「その声……、貴殿は、昼間の──。葉佩九龍……。そうか、《転校生》か……」
「やっぱり、昼間の君かー。そうじゃないかなー、って思ってたんだよねー」
「……只の違反者ではなく、相手が《転校生》とあらば話は別ダ。貴様は神聖なる《墓》を侵した大罪人でアルッ。あの場所は、何人たりとも土足で踏み入ること叶わぬ聖地でアルッ。判ったら、返事はっ!?」
九龍の正体を知り、墨木の声は動揺で揺れたが、直ぐさま、トーンは元の調子に戻り。
「聖地、ねえ…………。聖地を守る為に、こうするのが墨木の正義?」
「……お前が最近評判の、暴走《執行委員》か。お前は本当に、自分のしていることが正しいと思ってるのか?」
若干、九龍も甲太郎も、呆れを漂わせた。
「……自分は……、自分は、法の執行者でアルッ。法を犯す者には制裁が必要なのでアルッ。──兎も角、葉佩ッ、貴様は自分の敵ダ。自分は正義の名の下に法を執行する者であり、貴様こそが悪なのダッ」
「や、だからさ。答えになってないって。俺も甲ちゃんも、墨木のしてることは正義ですかー? って訊いてるのに、正義の名の下に、じゃ回答じゃないっしょ?」
すれば、墨木はガスマスクの所為でくぐもる声を引き攣らせ、九龍は、どうすればいいかなー、と困った風に彼を見て。
「クッ……。そんな目で、自分を見るナッ……」
墨木の声は、益々震えた。