幻影が去って。

校庭の片隅に、如何とも例え難い沈黙が下り、暫し。

「………………あの。京一さん。龍麻さん。……俺、今晩遺跡に潜ります。──助けてくれて、どうも有り難うございました。……行こ、甲ちゃん」

「あ? ああ。──あんた等のお陰で何とかなった。すまなかった。……じゃあ、又」

何処となく何かを思い詰める風に、九龍はわざわざ、京一や龍麻に『遺跡に潜る』旨を告げて、甲太郎の腕を引っ張り、踵を返した。

急にぎこちない態度になった九龍と、青年達を困ったように甲太郎は見比べたが、京一にも龍麻にも、いいから行け、との顔をされ、彼は大人しく、九龍と足先を並べた。

「……九ちゃん? 何か遭ったのか……?」

校庭を突っ切り、中庭を抜け、マミーズが見え始めて来た頃。

続いていた黙りを、先ず甲太郎が止めた。

「………………あの、さ。甲ちゃん……。あの…………」

「何だ?」

「俺…………俺……、宝探し屋なんか、止めた方がいいのかな……。俺が宝探し屋なんかやってる所為で、誰にも、一つもいいことない……。俺さえ、『そこ』に目を瞑っちゃえば、皆、きっと…………」

無言が破られたから。

九龍はぽつりぽつり、泣きそうな声で囁いた。

「九ちゃんらしくない、随分と弱気な発言だな。そんなに、さっきのことが堪えたのか?」

意気消沈した彼が言い出したことに耳を疑わずにはいられず、一体何が、彼にそう思わせたのかと、甲太郎はそっと、彼の面の色を窺う。

「そういうんじゃなくってさ……。……皆々、《墓》には近付くなって言う。なのに、俺があそこに潜ってばっかりいるから、困る人もいる。甲ちゃんや皆には、心配の掛け通しで。帝等はあんなこと言うし。ファントムみたいな奴だけが、俺のやってること、喜ぶ……」

見詰められていることに気付いたのか、九龍は深く、面を俯かせた。

「…………それだけか? それだけのことで、急に、宝探し屋を辞める、なんて、お前は言い出さないだろ?」

「……京一さん達の処で、御門さんや裏密さん達に紹介して貰って、あの遺跡には呪術が施されてるって教えられた日に。俺が、『悪い収穫』があった、って言ったの、甲ちゃん憶えてる……?」

「ああ、一応、な」

「俺さ、あの時から思ってたんだ。あの遺跡の奥に進むってことは、呪術で封じ込められてるかも知れない、《墓》の最奥の、『始末出来ないか、始末したくないモノ』の解放に近付くことにも等しくて、それは、《墓守》達以外に、龍脈を護る者達にも、良くないことなんじゃないか、って……。…………甲ちゃんも、もう薄々は勘付いてるんだろう? 《執行委員》の皆や巨大化人とやり合う度、黄龍を自分の中に眠らせてる龍麻さんの体が、おかしくなること」

「…………まあ、な……。そんなこと、思わない訳じゃなかったが……」

「初めて、ファントムが俺達の前に現れた時、龍麻さんは、ああなった。ファントムの望みは俺のによく似てて、《墓》の最奥が暴かれることだから……、《墓》の最奥にあるモノはきっと、龍脈には良くないんだと思う。何よりも、黄龍と同居してる龍麻さんにとっては。そうだとしたら、それは、京一さんにとっても良くないことで、だからさっき、自分達には直接ちょっかい出して来ないファントムを、京一さんは消そうとしたんだとも思うんだ……」

「……かも、な。だが──

──俺達のこと、あんなに可愛がってくれてるあの二人も、このまま行けば、俺の前に立ちはだからざるを得なくなるかも知れない。…………誰にも、いいことなんか一つもない……。俺がしてることは、皆に迷惑掛けてるだけなのかも知れない……。……俺さえ……俺さえ目を瞑っちゃえば、皆困らないのかな。誰も苦しまないのかな…………。でも、さ……」

「九ちゃん…………」

「……………………………………でも……でも……っ……。──俺、どうしたらいいんだろう……。どうせ、ファントムが言った通り、俺は欲深ですよー、だ……。どうせ、俺は…………」

ゆっくり、ゆっくり動かしていた、今にも止まってしまいそうだった足を、とうとう留め、人気の絶えた歩道の直中に立ち尽くし、俯いたまま九龍は、唇を噛み締めた。

「……やりたいように、やればいい」

今は、誰よりも何よりも小さく映る、傍らの彼をそっと見詰めながら、甲太郎はアロマを銜えた。

「…………それが、判んないんだよ、甲ちゃん……。急に、判んなくなっちゃったんだ……」

「……九ちゃん。俺は、お前が、何で宝探し屋なんかやってるのか知らない。でも、お前にはお前の、理想とか、想いとか、それこそ欲とかがあって、そうしてるんだろ? それを捨てられないなら、そのままでいればいい。お前がそうすることで、誰がお前の前に立ちはだかるとか、誰が困るとか、誰が救われるとかは、きっと…………きっと、二の次なんだと思う。……お前は、お前のやりたいことをやればいい。多分、それだけでいい。お前が、そうあろうとするのは、お前の為なんだろ? 蓬莱寺や緋勇が、何かをしようとするのが自分達の為なのと一緒で。気にしたって……仕方無いさ」

「だけ、ど…………」

「お前が酷く懐いてるあの二人と、相対する関係になりたくないって気持ちは解る。正直、俺だって……そんなのは御免だ。大切に想ってる相手を敵にするなんて、誰にだって嫌なことだ。況してや、あいつ等のことを俺達がどう思おうと、少なくとも蓬莱寺は、何時かの宣言通り、緋勇の為になら躊躇いもせず、俺達の首だって刎ね飛ばすんだろうし、そうされた処で、俺達が戦って勝てる相手でもないしな。…………でも、九ちゃん。お前は、あいつ等の為にここにいるんじゃないだろ?」

「うん…………」

ふわふわと、辺りに漂い始めた丘紫の香りの中、甲太郎は言葉を選びながら九龍に語り続け……しかし、俯いた彼の面は、持ち上がらなかった。

だから、思わず甲太郎は、九龍の両肩を強く掴んで、少しばかり、己の方へと引き寄せた。

「お前の思う通りにやれよ。俺には、それしか言ってやれない。お前の想いに添うように。お前が後悔しないように。思う通りにやればいい。……お前がそうするなら……そうしたいなら…………、俺は、付き合える所まで付き合ってやるよ。行ける所までは、一緒に行ってやる。出来る限り、守ってやる。守れる限り、守ってやる。俺に出来ることなんか少しのことだろうが……守ってやるから。だから、元気出せ、九龍」

「甲ちゃん…………」

「第一。未だそうと決まった訳じゃないだろ? 蓬莱寺や緋勇がお前の前に立ちはだかるって、決まった訳じゃない。どうなるかも判らないことで落ち込むなんて、本当に九ちゃんらしくないぞ。それに、例え万に一つそうなったとしたって、あいつ等は、『宝探し屋』ってお前の立場と対立するだけで、お前自身と対立する訳じゃない。……な?」

「……うん。…………うんっ! 甲ちゃんの言う通り、未だ、そうと決まった訳じゃないもんな! 何がどう転ぶかなんて判らないよなっ! 甲ちゃん、俺、頑張るからっ!!」

近くなった香りに、香りを纏う人に、九龍は困った風に目を泳がせた後、やっと、笑みを浮かべた。

「それでこそ、お前だな」

「俺、一生懸命考えるから。何をどうすればいいか、どうしたら良くなるのか、考える。その為にも、思う通りにやってみるっ。………………ありがと、甲ちゃん……。そう言って貰えると、凄く嬉しい……」

「大したこと言った訳じゃないさ。半分は、蓬莱寺の受け売りだし」

「それでも。守ってくれるって、甲ちゃん言った。だから、有り難うな、甲ちゃんっ」

「……ああ。──さ、塒に戻ろうぜ。今夜も『夜遊び』が待ってる」

笑みと、何時もの元気を取り戻し始めた九龍の頭を、微笑みながら、ポン、と一度だけ叩いて、甲太郎は歩き出した。

「おうっ! 張り切るしっ!」

その横を、トコトコと九龍も進んで。

「張り切るのはいいが……気を付けろよ? 今までのパターン通りなら、今夜のお相手は、あの物騒なガンマニアだ」

「判ってるよ。大丈夫、大丈夫」

「……ホントに判ってるのか? ったく……。お前は時々、とんでもないことをやらかすからな。さっきも、撃たれまくってる中、踏ん張りやがって……。死ぬことを怖れてない、とか思ってるんじゃないだろうな」

「…………そんなことないよ。俺だって、死ぬのは怖いよ。死にたくもないし。……うん。死にたくない、って、俺は、切実にそう思う」

二人揃って、静かに歩道を辿りながら、死ぬのが怖くないのかと、釘を刺す意味で甲太郎は問い。

九龍は何処か、寂しそうにそう答えた。