鈴の音が聴こえた。

鈴の音と共に、二人の少女の囁きも聴こえた。

哀願にも似た響きの。

行っては駄目……。行っては駄目……。どうかもうこれ以上、この学園の平穏を乱さないで……。

葉佩九龍──

何故、貴方は《墓》を荒すのですか? それは貴方自身の欲の為ではないのですか?

判らない……。貴方という存在が、何を意味するのか……。

ここは哀しき《王》の眠る呪われた地。私達は、この場所を守らなくてはならない。

どうかもう、これ以上《扉》を開かないで。

もうこれ以上、誰の血も流さないで済むように────

その夜の戦いが終わって、《力》と引き換えに失っていた、幼く、そして弱かった彼に、守ることや、正義や、強くあることを教えてくれた自衛官の兄との想い出、兄よりの贈り物、という、二つの宝を取り戻した墨木に感謝を捧げられ、力になりたい、と言われた九龍は、墨木が、《生徒会》の呪縛からも、ファントムの呪縛からも解放されたことも、彼が宝を取り戻せたことも、協力したいと申し出てくれたことも、心の底から喜びつつ。

夜半過ぎ、戻った寮の自室で、少しばかり黄昏れていた。

────柄にもなく激しく落ち込んでしまい、甲太郎に励まして貰った後、彼が寮へと入ろうとしたら。

鈴の音が聴こえ、少女の声が聴こえた。

正体不明な、それこそ、幻影の如き声が。何処からともなく。

真実幻影であるが故か、甲太郎には聴こえなかったようだけれど。

…………少女達の声はやはり、《墓》を荒らすな、と訴えて来た。

これ以上、学園の平穏を乱すな、と。

自分達は、この場所を守らなくてはならないのだ、と。

だから…………やはり、自分がしようとしていることは、誰の為にもならない、と九龍は再び落ち込み掛け、だが、それでも宣言通り《墓》に潜って、墨木と戦った。化人とも。

甲太郎から貰えた言葉をよすがに、耳に残る、幻聴とも言える声達を振り払って。

──お前の思う通りにやればいい。

付き合える所まで付き合ってやる、行ける所まで一緒に行ってやる、出来る限り、守れる限り、守ってやる。

……そう言ってくれた、甲太郎の言葉だけが、今の九龍の頼りだった。

『付き合える所までは、行ける所までは』。

…………それは、『終わり』をも意味していたけれど、言葉が足りずとも嘘は吐かない甲太郎に言える、精一杯だったのだろうと、九龍には判っていた。

もう、甲太郎は《生徒会》関係者だ、とのそれは、疑いではなくなって、確信に近くなってしまったけれど……それでも。

『付き合える所までは、行ける所までは』、守ってやると、甲太郎は言ってくれて。

「……甲ちゃん。甲太郎……。…………好き。大好き。俺、甲ちゃんが大好きだよ。…………ホント、欲深で御免、甲ちゃん………………。でも、甲ちゃんが好きなんだ。甲ちゃんと一緒にいたいんだ。御免な、甲ちゃん…………」

もそもそと布団に潜り、眠る為に目を閉じながら。

甲太郎は今頃何をしているだろう、もう眠ってしまっただろうか、と九龍は、想い人に心馳せた。

《墓》から寮へと戻ったのは、丑三つ時に近かった。

が、そんな時間でも、数少ない己の友が起きているのを知っているから、甲太郎は、この上もなく気を遣って、絶対に九龍にはバレぬように寮を抜け出し、校舎の向こう側、学内の北西にある阿門の邸宅へ向かった。

三年近く前、学園に入学すると同時に《生徒会長》に就任した阿門帝等の生家、阿門家は、随分と古い家柄で、本当に大昔からこの辺り一帯を治めて来た一族でもあり、天香学園の全敷地を有していて、学園を『経営』しているのも阿門家である。

学園創立以前から、邸宅は変わらずそこにあって、邸宅をも取り込み学園が造られた、と言うよりは、阿門家の敷地内に学園が造られた、と言った方が正しいらしい。

名義上、天香学園理事長及び阿門家の当代当主は阿門帝等の父になっているが、少なくとも甲太郎は、理事長であり当主である友の父にも、母にも、会ったこともなければ見たこともなく、友の両親は、既に鬼籍の人ではないかと見当を付けているけれども、そのようなこと、彼は尋ねようと思ったこともないし、知りたいと思ったこともないので、実際を彼は知らない。

何故、《墓》のあるこの場所に、阿門家が学園を創立したのかも。

しかし、阿門帝等が、あの《墓》を守る《墓守》の長であり、《生徒会長》であることだけは、揺らがぬ事実で。

この時間は執事不在の邸宅を、忍ぶように訪れた甲太郎は、それなりには勝手を知っている廊下を辿り、暖炉のある部屋へ入った。

邸宅にいる限り、その部屋か、自室の何方かに、大抵の場合、彼の友はいる。

「…………皆守か。……お前がここに来るのは、随分と久し振りだな」

「……阿門…………」

扉が閉ざされていた訳でもない、毛足の長い絨毯が足音を消す部屋に、暗闇から甲太郎が忍んで直ぐ、阿門は彼の来訪に気付き。

暖炉近くの椅子に腰掛けたまま振り返りもせず声掛けて来た阿門に、甲太郎は静かに寄った。

「何か用か?」

「九──《転校生》に、何を言った?」

「……どういう意味だ?」

「昼間。《転校生》に直接お前が会った時、何を言った? 知りたい」

「何、と言われても。メールで、直接あの者に会ってみたいから席を外して欲しいとお前に伝えた通り、会って、名乗って、少々言葉を交わしただけだ」

「だから。その時、何を言ったんだ?」

「皆守。何故、そのようなことを気にする? 俺が《転校生》に掛ける言葉なぞ、決まっている」

「……阿門」

傍らに立ち、見下ろすようにしながら甲太郎は前置きもなく問い、阿門は表情一つ変えず甲太郎を見上げた。

「…………『忠告』をしただけだ。これ以上《墓》に足踏み入れるつもりならば、《生徒会》は、お前を不穏分子と看做し、相対する、と。……こんなことが、お前の知りたいことか?」

「……ああ。…………悪かったな、阿門。──それはそうと……お前、《ファントム》はどうするつもりだ?」

「放っておけ。我々が挑発に乗れば、奴の思う壷だ。《墓》を守ることこそが、この学園を──延いては、生徒達を守ることに繋がる。幻影の目的が何であれ、《墓守》は本能で《墓》を守るのだから、何も変わらん」

「そう……だな。《墓守》は《墓》を守る。それが使命で、掟で、本能、だ。俺だって…………」

「何者も《墓》を侵すことなければ、我々の『本能』とて、平穏でいられる。……そうだろう?」

「……阿門。何が──。……いや、何でもない。…………邪魔したな」

微動だにせず、甲太郎は阿門を見下ろし続け、阿門は甲太郎を見上げ続け、二人はそこまでを語り。

何が言いたい? との一言を飲み込んで、甲太郎は友に背を向けた。

「………………皆守」

彼の去る気配を感じ、そこで阿門は初めて、彼の方へと身を捻った。

「何だ?」

「お前は、あの《転校生》──葉佩九龍と……」

「《転校生》が、どうかしたのか」

「……いや、いい。大したことではない。…………又、な」

だが、先程の甲太郎同様、阿門も何やら科白を飲み込み、暖炉へと向き直る。

「…………ああ。……又」

呼び掛けられて留めた足を再び動かしながら、肩越しに彼を振り返り、小さく言葉を返し。

もしかして、自分は『又』、この友に借りを作ってしまったのではないだろうかと、ふっ……と甲太郎は思った。