九龍達が、墨木や、墨木が守っていたエリアの巨大化人との戦いを制して、数日後。
夜半近く、たまたま京一がバスルームにいた時、龍麻の携帯が鳴った。
……それは、京一にとっても龍麻にとっても、『不運』な、そして『幸運』な偶然だったが、『偶然』が、不運と幸運を同時に招き寄せることになるのを今は知らぬまま、半ば寝そべるようにしていたソファの上で、龍麻は携帯を取り上げた。
液晶ディスプレイに表示された相手の名前は、杏子だった。
「こんばんは、遠野さん。今日は何? 又、取材?」
龍麻達が天香学園に潜り込んでからこっち、時折、杏子は二人へ電話を掛けて来ていて、何か美味しいネタはないかとか、記事に出来そうな学園の秘密はないかとか、積極的に尋ねて来ていたから、きっと今夜の電話も、そうした『取材活動』の一環だろうと、龍麻は気楽に電話に出た。
『龍麻君? やーーーーっと判ったわよ。大変だったんだからねっ。後で何か奢りなさいよっ!』
「え? 判ったって、何が?」
しかし、クスクス笑いながら応対する龍麻の声を遮る風だった杏子の第一声は唐突過ぎて、何のことだ? と彼は首を傾げた。
『んもー! 失礼しちゃうわ。調べといてあげるって言ったじゃないの! ……ほら、例の宝探し屋の彼のことよ。葉佩九龍の』
「葉佩君のこと……? ……何か遭ったっけ?」
『……龍麻君、京一なんかと一緒に暮らしてる所為で、昔よりも少し馬鹿になっちゃった? この間、二人の所にお邪魔した時、どっかであの子の顔見たことがあるって、あたしが言ってたの忘れたの?』
「…………あーーーー! 思い出した! うんうん! 確かに遠野さん、そんなこと言ってた! ……で? 遠野さんは、何処であの彼に会ったんだ?」
どうにもピンと来ない龍麻に焦れて、電話の向こうでぎゃいのぎゃいのと文句をぶつけてから、杏子は何が判明したのかを告げ、おおお! と漸く龍麻は、懐いていたソファの背をポンと叩く。
『それがね。会ったことがあるんじゃなかったの。あの時あたしが言ったみたいに、文字通り、「見たことがある」が、正解だったのよ』
「見たことがある……?」
『そう。あたしもね、何処かで会ったことがある子なんだろうって思って、そっち中心に調べ始めちゃったから、時間掛かったんだけど、やっと判ったわ。……あのね…………──』
彼が、受話器の向こうでそんな暢気な風情でいるとは知らず、杏子は話を続け。
「…………………………そう……」
それ程は長くなかった彼女の説明が終わると同時に、龍麻はだらけた姿勢を改め、ソファに座り直した。
『ええ。……まあ、だからって、何でも彼んでもあっちと、って考えるのはどうかしら、ってあたしも思ってるんだけど。兎に角、そういう訳。……じゃあね、あたし、未だ仕事残ってるのよ』
「うん、お休み。……あ、遠野さん。このこと、暫く皆には内緒にしといてくれない?」
『え? ……別にいいわよ。黙ってろって言うなら、黙っててあげるわ。──又、そっちまで取材に行くかも知れないから、その時は頼むわねー、龍麻君。京一のアホに宜しく。頑張りなさいよ。じゃ、お休み』
だが杏子に、彼の態度の変化に気付く由もなく、急いでいるからと、彼女は電話を切った。
「…………もしかして……………………」
通話の切れた、ツーーー、と耳障りな音立てる携帯を切るのも忘れ、彼はそのまま、考え込む風になり。
「うおー、さっぱりした! ひーちゃん、ビール呑まねーかー?」
「……あ? あ、うん。呑む呑む」
風呂から上がって来た京一の誘う声で、はっ、と我に返り、そっと、彼には気付かれぬように切った携帯をソファの影に隠し、龍麻は、キッチンへと向かった。
それより更に数日が過ぎ、十一月も半ばとなった。
今では九龍の頼もしい仲間の一人となった墨木に銃撃された日、宝探し屋の彼の様子がどうにもおかしかったことに、京一や龍麻も気付いていて、様子がおかしくなった理由も、薄々勘付いていた。
……あの日、九龍が甲太郎に垂れた泣き言通り、少年達があの《墓》で《生徒会》関係者や巨大化人と戦うことと、龍麻の『体調不良』の関連性を、二人は疾っくに掴んでおり、《墓》の奥に在るモノは、黄龍に、龍脈そのものに、何よりも龍麻に良くないのだろうとも想像していた。
あの《墓》の正体も、奥に在るモノの正体も未だに解らぬままだが、彼等の立場より鑑みる限り、双方共に『良くないモノである』、それだけはもう疑い様がなく。
「…………どうする? ひーちゃん」
「……どうしようか。どうするのが一番いいのかなあ…………」
折に触れ、京一と龍麻は、そんな会話をするようになった。
────『良くないモノ』が天香にある、それを判った上で自分達に取れる道を、この段階では彼等共に、二つ程度しか見付けられなかった。
一つは、少しでも『良くないモノ』の影響を龍麻が受けぬように、この学園を去る道。
一つは、これ以上『良くないモノ』が世界に影響を与えるのを防ぐべく、《墓》を暴き続ける九龍を止める道。
…………それが、現状、彼等に思い付けた二つの道で。
故に二人は、酷く思い悩むようになった。
学園を去ってしまうのが、『自分達にとっては』、一番手っ取り早い道であることを彼等は承知していたけれど、言葉悪く言えば、自分達の身の安全だけを確保するような選択をして、その後、万が一にでも大事が起こったら、五年数ヶ月前、仲間達と共にド根性で護り抜いたこの街や、大切な人々がどうなってしまうかは想像に難くなく、又、大事など起こらなかったとしても、兄貴風を吹かせてみたくなった『格好の玩具達』を見捨てるが如くの道を取ることは、末永く、自分達の中に後悔として残るだろう、とも想像出来たし、何よりも、ここまで首を突っ込んでしまった『厄介事』から尻尾を巻いて逃げるような真似が、彼等の性根に合う訳もなく。
手っ取り早く且つ安全な方法と判ってはいる第一の道を、一も二もなく二人は捨てた。
……すると、残る道は今の処、たった一つ、との結論になるから。
「止める、ったってなあ……。あの、猪突猛進で熱血純情な宝探し屋が、大人しく言うこと聞くたぁ思えねえしな…………」
「説得は無駄だと思うよ。説得して何とかなるんだったら、疾っくの昔に彼のバディ君がやってる」
「でもよー、ひーちゃん。この間っから言ってっけど。口で言って駄目となると、実力行使しかねえぜ?」
「………………俺も、この間っから言ってる。それは駄目。絶対、駄目。何でそんなに、京一らしくないこと言うんだよ。……そりゃ、あのまま葉佩君があそこの奥に進んじゃったら、何が起こるか判らないなんて、俺だって承知してるよ。って言うか、俺が一番承知してるよ。彼が区画のラスボスと戦う度に、龍脈がおかしくなって、俺だっておかしくなるんだから。あそこに在るモノは碌でもなくて、《秘宝》を手に入れる為に彼が最奥を解放しちゃったら、碌でもないモノはきっと目覚めて、挙げ句龍脈もぐっちゃぐちゃになって、東京がどうなるかは誰にも保証出来ません、になるかも知れなくて、ってことは、人類滅亡の危機再び? ってな想像くらい、するよ、俺だって」
──その日、十一月十二日の金曜日も、遅い昼食を摂る為向かったマミーズの片隅で定食を食べながら、二人はボソボソ言い合っていた。
「だったら──」
「──駄目っ。ぜーーーーーーーーー……ったい、駄目っ! 京一が主張してるようなやり方以外にも、絶対、方法はある筈だよ。天香学園で起こる《墓》絡みのことは、葉佩君や《生徒会》の問題で、彼等の戦いで、とことん部外者の俺達が手出し出来ることは少ないんだろうけど、わざわざ、葉佩君の敵に回るような真似しなくたっていいじゃん」
「ひーちゃん。お前、『人類滅亡の危機再び?』や、お前って存在そのものの危機と、海の物とも山の物とも付かない《秘宝》を、秤に掛けんのか?」
「…………そうじゃない。そうじゃないよ。だけど、俺は……」
「………………なあ、龍麻。お前がそうまでして、葉佩に宝探しを続けさせたい理由は何だよ。ひょっとして、この間お前と一緒だった時、あいつが泣いてたことが原因か?」
『良くないモノ』を封じ込めておく為に必要なら、実力行使で九龍を止めることも辞さない、と言う京一を、どういう訳か、龍麻は頑に制していて、理由が判らない、と京一は、目付きを少々鋭くした。
「あれは、葉佩君の目にゴミが入っただけ。ゴミったらゴミ。……もう、この話するのは禁止だって、俺、言わなかったっけ?」
「……龍麻。俺だってな、理由の一つも知らされねえまま、納得出来ねえのを曲げてまで、首を縦には振れねえ。…………お前が、どうしてもって言い張るなら、俺の納得なんざ、幾ら曲げてもいいけどな。『これ』以外のことなら」
「京一…………」
「あいつに宝探しを止めさせる以外、俺達に出来ることがないってなら、それしかねえよ。にっちもさっちもいかなくなったら、少なくとも俺はそうするぜ。……お前だって、判ってんだろ?」
「だけど……」
「……俺はな、龍麻。これ以上、お前に危ねえ橋を渡らせるつもりはない。これ以上、お前がおかしくなるかも知れないのも、御免だ」
…………それでも、龍麻が引くことはなく。京一が引くことも有り得ず。
京一は、鋭い目付きを続け、龍麻は、彼のそんな視線から逃れるように、ふいっと眼差しを外した。