天香学園では毎年恒例の夜会の日、アルバイト警備員二人は休日だった。
敷地内にある学園創立者の屋敷で、夜会とやらがあるのないの、との話は彼等も同僚達から聞かされていたが、文化祭の親戚のようなものだろう、と解釈していたし、翌日は朝の四時に起きなくてはならない彼等に、シンデレラタイムまで続けられる宴会などに興味を持つ暇など無く。
遅くとも十時には寝たい、と、夕食も入浴も早めに済ませた京一と龍麻は、午後八時過ぎには、後は寝るだけ! の体勢を、ばっちり整えたのに。
丁度、阿門邸では夜会が始まった頃合い、村雨祇孔の予告なき訪問を受けて、ちょっぴりだけ、揃って顔を顰めた。
「…………何なんだよ、こんな日に……」
ピンポーン、と鳴ったインターフォンに応えて出た玄関先に立っていた村雨を、しょーがねーなー、と室内に招き入れ、パジャマ姿のまま、京一は友と向き合う。
「こんな日?」
「俺達、明日早出なんだよ。午前四時起き」
「成程な。それは、すまねえことをした、……と言いてぇ処だが。文句なら、御門の奴に言ってくれ」
用件があるならとっとと済ませ、と京一が顔全体に書いた理由を、龍麻は苦笑しながら村雨に伝え、だが村雨は、悪いのは『陰陽師』だ、と悪びれもしなかった。
「御門の奴が?」
「俺は、あいつに使いっ走りをさせられただけなんだよ。でなきゃ、俺が、部外者立ち入り禁止のこの学園に、不法侵入までする訳ねえだろ、面倒臭せぇ」
「何か遭ったんだ? 御門が、わざわざ村雨遣いに寄越すようなことでも?」
理由もなく、村雨が自分達の睡眠時間を削りに来た訳ではない、と知り、漸く、背中に負った『寝かせろオーラ』を二人は引っ込め、腹を括ったように、冷蔵庫からビールを何本か取り出して来て、腰を据え、村雨の話を聞く態度を取った。
「何かが遭った、って訳じゃあねえんだが。御門の奴曰く、今夜は鎮魂祭の夜だから、様子を見て来た方がいい、ってことだったな」
「あ? 『おおみたまふりのまつり』? 何だ、そりゃ」
「詳しく説明しろと言われると、俺も困るんだが……。何でも、十一月二十三日の勤労感謝の日──明日は、古来より、新嘗祭っつー、天皇家の祭式儀礼が行われる日で、新嘗祭は、天皇の代替わりの時には大嘗祭になって、新嘗祭は五穀豊穣の祭りだが、大嘗祭ってのは、即位した天皇が御霊を受け継ぐ祭りだからどうので……。……あー、何だったかな。兎に角、その新嘗祭の前夜──今夜は、鎮魂祭ってな、霊を鎮める祭事が行われる夜で、お前さん達がちょっかい出した、例の宝探し屋のガキが探ってる遺跡は、どうにも、そういった祭事の大元の日本神話と切っても切れない因縁があるようだから、ここに潜り込んで様子を見て、お前さん達に、気を付けるように伝えた方がいい……んだそうだ」
「………………ひーちゃん。話の意味、判ったか?」
「えーと……。今夜は、神道的に言うと危ない夜だから、気を付けろ、……ってこと、なんじゃないかなあ? た……ぶん」
自身、余り興味を持てない分野の御門伝の話を、陰陽師に使いっ走りにされたギャンブラーはあやふやに語って、御門の言いたいことの全ては到底理解出来ないが、要約すれば、『危険な夜』だから気を付けろ、ということだろう、と、村雨の説明が冒頭から飲み込めなかった京一に、龍麻は自信無さ気に言った。
「そうだな。そんなトコだろ」
「そんなトコ、って……。村雨、お前もいい加減だな」
「御門お得意の蘊蓄は、俺にだって全部は理解出来ねえよ。仕方ねえだろうが」
「ふーーん……。でも、今夜は今の処、別に何も起きてないけど……」
「何も起きなかったら、良かったな、で済むじゃねえか、先生。──そういう訳だからよ。悪いとは思うが、一晩厄介になるぜ。俺も、ガキの遣いじゃねえんでな、御門の野郎の言伝を、先生や旦那に伝えただけで帰るって訳にもいかねえ」
すれば村雨は、事の仔細など判らなくても、要点だけ掴んでくれれば充分だ、と笑ってから、一晩居座る宣言をしつつ、ニヤッと、京一の眼前に、スーツの内ポケットから取り出した花札を翳してみせた。
「……午前四時起きだっつったろーが」
「おーや。随分と健全なこと言うようになったな、京一の旦那。明日が早いから、遠慮するってかい?」
「………………やらねえ、とは言ってねえだろ」
「そうこなくっちゃな」
「……お休みー、二人共。俺、先に寝るー」
遅くとも寝たい筈の午後十時は刻々と近付いているのに、花札の誘惑に負けた京一と、明日の京一の朝が早いことを判っていながら、彼が滅多には断らない博打の誘いを掛けた村雨に呆れた龍麻は、付き合ってられるかと、さっさと一人寝室に籠った。
「よくよく考えてみりゃ」
「……何だよ。──うーーん……。止めるべきか、それとも『こい』をするべきか……。悩ましいぜ……」
「悩むだけ無駄だろ、旦那は。博打の腕は五年前のまんまだからな。──考えてみりゃ、旦那と二人で花札をするってのは、歌舞伎町の路地裏でやった時以来じゃねえか? 旦那の、可愛ーい、パンダ柄のトランクス拝ませて貰った時の」
「…………余計なこと思い出すんじゃねえよ。お前に負けて、身包み剥がされたあの時のことは、俺の人生の汚点の一つだ。でも……確かにそうだな。花札をやったのはあれっきりで、それからは麻雀ばっかだったもんな」
「ああ。丁度上手い具合に、夜の融通が利く不真面目学生が、雀卓囲めるだけ揃っちまったからな。……劉の奴も打てるにゃ打てるが……大陸仕込みの麻雀は、ガキのゲームと一緒でなあ……」
「……確かに。──くーーーーっ。決めたぜ! 『こいこい』っ!」
「張るねえ、旦那。……ま、受けて立ってやるか」
──龍麻は疾っくの昔に夢の世界の住人となった、午前零時少し過ぎ。
京一と村雨は、未だ、花札に興じていた。
「そりゃそうと、旦那」
「あんだよ」
「俺達の間じゃ、久し振りの花札勝負だ。あの時みてぇに、賭けねえか?」
「何を? 言っとくが、博打に賭ける程の金はねえぞ」
「職業不明のお前さんにゃ、最初から期待してねえよ。……負けた方が、一つだけ、勝った方の言うことを聞く、ってのはどうだ? 可愛い博打だろ?」
「…………まあ……いいか。それくらいなら。おっしゃ、受けて立ってやるっ!」
「男に二言はねえな?」
互い寝ることなど忘れたように、盛り上がって行く一方の花札勝負に村雨が更に油を注いで、悩んだ風に、一瞬だけ、京一は彼を睨んだが、次の刹那には、ニタッと笑って勝負を受けた。
────……そうして、更に二時間程が過ぎた頃。
「負、けた………………」
「残念だったなあ、旦那」
手から零れた花札の上に、京一は崩れ落ちるように突っ伏し。
けらけらと、玉砕した彼を村雨は笑った。
「旦那、俺に勝てるとでも思ってたのかい? 無謀だろ」
「んなこたぁな、やってみなきゃ判んねえんだよっ! ちっくしょーーー!」
高校卒業後、渡ったラスベガスで一財産築いた超一流ギャンブラーに、自身が思っている以上に博打には熱くなりがちの京一が、おいそれと勝てる訳はなく、ぎゃあすかと、一頻り彼は喚いたが。
「悔しいが負けは負けだっ! 言われた通り、一つだけ、お前の言うこと聞いてやるよっ」
喚くだけ喚いたら開き直り、両腕を組み直し、胡座を掻き直し、何でも言ってみろ! と村雨を睨み上げた。
「……じゃ、遠慮なく」
そんな彼を眺め、ひたすら笑い続けた村雨は、『賭けの代金』を口に仕掛けて………………────。