時計の針は、午前二時近くを指していた。

今夜は徹夜だ、と覚悟して苦笑し、村雨の口から、『無理難題』が飛び出るのを京一は待った。

金以外のモノを賭けての博打だったのだ、どうせ、とんでもない要求をこいつは突き付けて来る。今になってやっと思い出したが、『金で済ませられる事は優しい』が、こいつの持論の一つだった筈だから、と。

「あのな、旦──

──待った」

だが、村雨の口が、『無理難題』を紡ぎ始めた直後、京一は、肌身離さぬ刀を取り上げ、立ち上がる。

「どうした? …………ん……?」

今の今まで、物の見事に玉砕した花札勝負に落ち込んでいたのに、突然剣呑な色を瞳に浮かべた彼を村雨は訝しみ……、が、自身も、おや、と眼差しを細めた。

「おい……、京一の旦那。何なんだ? この、頂けねえ気配は……」

「……色々、事情があんだよ。──大丈夫だとは思うけど……」

遠く──けれど、そう離れている訳でもなさそうな『遠く』より、決して無視出来ぬ陰の氣が漂って来たのに村雨も気付き、渋い顔して、立ち上がった京一を見上げたが、京一は、彼の方を見ようともせず言って、独り言を呟きながらリビングを出、寝室へと向かった。

「何だってんだ……?」

何が何やら、と思いつつ、村雨もその後を追って。

「…………ひーちゃんは……。……ああ、ちゃんと寝てるな。気にし過ぎか……」

「この学園にゃ、しょっちゅうこういう気配でも漂うのかい? ここの空気がこうなると、先生に何か起こるのか?」

龍麻が寝ているか否か、そうっと確かめ、平気だ、と安堵した京一に、素知らぬ顔して彼は問うた。

「あー……。何つーか……。…………色々だ、色々」

「色々、で納得出来る訳がねえだろ」

「出来なくても、納得してくれよ」

「……おい。いい加減にしねえか」

幾度も幾度も、寝室の奥側のベッドに眠る龍麻の様子を、背伸びまでして確かめながら、京一は答えを誤摩化し、村雨は声を荒げ掛け。

「だから、それはお前には──。…………げ」

「……何だ…………?」

彼等のやり取りが、小声の口論に発展し掛けた時、眠り続ける龍麻の体から、ふわ……っと、とてもとても細かい、黄金色した光の粒子が舞った。

「ひーちゃんっ。龍麻っっ。起きろっ!」

瑞麗が記した霊符を持ち歩くようになって以来、九龍達が遺跡の区画を解放しても、龍麻もそれ程は影響を受けなくなっていて、先日、初めて邂逅した折には大騒ぎになったファントムと再び出会した時も、彼は自力で立っていられたから、龍麻の抱えている例の問題も、少しだけなら先延ばし出来るかも、と京一は思っていた。

でも、『厄介事』の片が付くまでここからは去らない、と決めてしまったから、この安定も長くは続かないと判っていたし、例え、安定が長らく続いたとしても、九龍の目指す場所が『良くないモノ』の在る遺跡の最奥である以上、何とか手を打たなくてはならないのも、下手をしたら、人類滅亡の危機再び、なのも変わりなく、故に、ここの処ずっと、京一は龍麻へ、どうしようもなくなった時には、実力行使をしてでも九龍が《墓》を暴くのを止めさせる、と主張して来ており。

「旦那? 先生は…………」

「龍麻っ! 起きろっつってんだろっ!」

こくり、と音を立てて生唾飲み込んだ村雨を無視し、寝室へ駆け込むと、腹を括らなくてはならない、『どうしようもなくなった時』を、前触れもなく迎える羽目になってしまったのでなければいいのだが、と思いながら、彼は龍麻を叩き起こしに掛かり、が、怒鳴っても揺すっても、龍麻は目覚めぬばかりか、舞い上がる黄金色の光の粒子は濃さを増し始めたので。

「ちっ……」

盛大な舌打ちを一つし、眠り続ける彼を抱き上げると、リビングへ取って返し、あの夜のように、この住居の丁度中心に当たる片隅に寝かせ、結界を敷いた。

舞い上がり続ける黄金の粒子を染め抜かんばかりに、己が陽の氣が放つ、透明な青い光で彼が室内を満たせば、ピタっと、粒子の吹き出しは止み…………けれど、代わりに。

「収まっ……てねえっ!」

「何だってんだ、こりゃっ!」

ソロソロと龍麻の顔を覗き込んだ京一と、彼等を黙って見守っていた村雨の目の前で、瑞麗が施して行った防呪詛符が、音を立てて吹き飛んだ。

恐らくは、他の部屋に貼られたそれも。

「御門の奴っ! こうなるのが判ってて、俺に使いっ走りさせたんじゃねえだろうなっっ!」

「幾ら何でも俺の手にゃ余んぞっ! 俺の結界は、黄龍専門なんだよっっ!」

先程、突然膨れ上がった『遠く』の陰氣が更に増し、壁の霊符をも吹き飛ばしたと気付き、村雨は、陰氣に抗う風に身構え、京一は、龍麻を庇うべくその身に覆い被さって。

「………………消えた……か……?」

「らしいな……」

実際には短かった、けれど彼等には随分と長く感じた、『良くないモノ』の怨嗟のような氣が吹き荒れた時を、何とかやり過ごした。

「……おい。旦那。お前さん達、何で何時までもこんな碌でもねえ場所に居座ってやがんだ。とっとと見切り付けて、引き揚げちまえよ」

『嵐』が去り、ほう……と息を付き、取り出し銜えた煙草に火を点けながら、村雨は、咎めるように京一を見た。

「それが出来てりゃ、苦労はねえ」

「確かに先生は頑固だ。こうと決めたら梃でも動かねえし、仲間内の説得も聞かねえ。……でも。お前さんの言うことなら先生も聞く。お前さんの言うことだけは。賭けてもいいぜ。だから、先生に言い聞かせな。ここはどう考えたって、宝探し屋のガキがどうしても気になる、なんて理由だけで、何時までも居座ってていい場所じゃねえ」

「…………だから、よ。それが出来てりゃ苦労はねえんだよ、村雨」

「……何で」

「五年前に俺達が振り絞った根性無駄にしねえ為と。『玩具』の為と。……後は、俺等の下らねえ意地って奴だな。……馬鹿だからよ、俺も、龍麻も。だが…………。──村雨。ちょいと、龍麻のこと見ててくれ。野暮用が出来ちまった」

「おい、旦──

──頼む。今は、何も訊かないでくれ」

……けれど。

何時しか部屋に置かれるようになった、『玩具』の一人が決して離さない似非パイプの為の灰皿の在処を指差しながら、竹刀袋に納め直した剣を担ぎ、自嘲らしき笑みを浮かべた京一は、手早く着替え、多くを語らぬまま出て行った。

友に後を任せ、部屋を出た彼は、満月に近くなって来た月光が照らす歩道を辿り、墓地を目指した。

鎮魂祭おおみたまふりのまつりとやらが行われるのが慣例らしいこの夜に、叶うなら迎えたくなかった、『腹を括らなければならない、どうしようもなくなった時』が来たのは、因果という奴なのだろうか、と苦笑しながら歩を進め。

森を象る木々に囲まれた小径を抜け、墓地の入口に彼は立ち。

程無く、例の穴から地上へと出て来るだろう少年達のことを考えた。

だが……あの二人のことを考えてみた処で。

結局、彼の心の全てを占めるのは、『緋勇龍麻』、その人以外には在り得ず。

────彼は。

肩に担いだ刀を、ギリ……と音立てて握り締め直した。