学内の所々にある街灯の光も届かない、小径を辿って来る『彼』──龍麻の姿は、二人の青年にも、二人の少年にも、とてもよく見えた。
適当に部屋着を引っ掛けただけの姿なのも。
月齢十の月が空にあるからではなく、彼自身が、薄く輝いている所為で。
「先生……じゃねえよな」
「……ああ」
酷くのんびりした足取りで、滑るように近付いて来る今の彼を、龍麻ではない、と言う村雨に、京一は頷いて。
「………………久し振りだな、黄龍」
緩慢に歩いていた筈なのに、既に己の眼前に立っていた龍麻の、今この瞬間の、『正しい名』を呼んだ。
「そうだな。久しいな、『京一』。五年振りだ」
「……黄……龍……?」
「黄龍って……え…………? 龍麻さんの中に寝てるって言う……?」
龍麻の姿であるモノを、龍麻の物ではない名で呼び、『龍麻』を見遣っているとは到底思えぬ眼差しになった京一と、決してこの世のモノとは思えぬ雰囲気を帯び、とても綺麗な黄金色の光で全身を包み、瞳の色さえ、その黄金色に変えた龍麻を見比べ、甲太郎と九龍は唖然とする。
「やっぱり、か…………」
そして村雨は、五年前、あの場所で見た光景だ……、と視線を逸らした。
「何の用だ。何しに出て来た。用がねえなら、とっとと引っ込め。……龍麻、どうした?」
「……その者か?」
「あ?」
「この地に古から眠るモノを、今この世に目覚めさせようとしている者は、その少年かと訊いている」
この上無く不機嫌そうな表情を崩さぬ京一に、つっけんどんな物言いをされても、黄龍は、にこり……、と『龍麻』の笑みを浮かべ、彼の問いには答えず、ふい……っと九龍を見た。
「だったら、どうだってんだよ」
「忘れた訳ではあるまい? 『龍麻』の中で眠り続けようとも、『龍麻』の身に起こることの全て、『龍麻』が知ること、感じること、思うことの全ては、我のモノでもあるのだと。……困るのだろう? その者に、これ以上《墓》を暴かれるのは困ると、『京一』、其方は思っているのであろう? 故に其方は、今宵、ここにいるのであろう? ──だから、我は目覚めて、こうしてここへ赴いた。丁度今宵は、我のようなモノが目覚めるには、都合の良い夜だったから」
「……!! 村雨っ、ガキ共頼むっ!」
黄金色の瞳を微かに細めながら九龍を見遣り、両腕を振ろうとした黄龍の目的を悟って、京一は村雨へと怒鳴ると、構えを取るや否や打ち掛かり、その動きを止めた。
「えっ? え、え、えっ?」
「どうして……?」
「ボケてんじゃねえ、小僧共っ。下がるんだよっ!」
何がどうなれば、こういう成り行きになるのか、さっぱり判らなかった少年達は、いきなり始まった京一と黄龍の戦いを呆然と見守るしか出来ず、動くことすら忘れてしまったらしい彼等を村雨は下がらせて、障壁を張った。
「……其方と、このように相対するのも、五年振りだ」
「楽しそうに言ってんなっ。俺はちっとも楽しかねえよっ!」
「…………誤解するな。我とて、楽しくはない」
誰の目にも本気だと判る京一の剣先を、黄龍は、掌中に生み出す、黄金色の小さな光の壁にて悉く防ぎ。
「『京一』」
「何だってんだよっ!」
「我は、其方が成そうとしたことを、代わりに成そうとしているだけなのに。何故、其方は我を阻む?」
「お前がやらかそうとすることは、俺のとは違うだろうがっっ」
「何処が? 何が違う?」
「何処が、って……。俺にゃ、同じとは思えねえ」
「………………『龍麻』がよく言う通り。其方は、本当に愚か者なのだな」
じっと、京一の面を見詰めた黄龍は、掌中に生んだ一際大きな光で京一を体毎吹き飛ばし、構えを崩させると、誠、優雅に右手を振って、彼の頬を平手で打った。
「…………え?」
まさか、黄龍にそのようなことをされるとは夢にも思っていなかった京一は、刀を振るうことも忘れ、パン! と高い音立てて叩かれた頬を押さえながら、まじまじと、『龍麻』を見下ろした。
「『京一』。其方は、本当にどうしようもない愚か者だ。こうされるまで、判らぬとは。──もう一度、よく考え直してみるといい。『龍麻』の身に起こることの全て、『龍麻』が知ること、感じること、思うことの全ては、我のモノでもある、ということと。何故、我が今宵、このようにして目覚めたのかを」
鳶色の瞳を大きく開き、見下ろして来る彼を、黄龍は腹立たしそうに睨み返した。
「お前、何が言いたい……?」
「…………我は眠る。──では、又、何時の日にか」
「は? ちょ……一寸待て! 訳の判んねえこと並べ立てて、引っ叩くだけ引っ叩いて、それかっ!?」
そうして黄龍は、何処となく拗ねているとも感じられるような仕草で、ふん、と京一から顔を逸らし、そのまま、本当に『眠って』しまった。
「うおっ!」
瞼が閉ざされ、急激に黄金色の光が褪せ。
黄龍が目覚めていた証が全て消え去った途端、龍麻の体はその場に頽れ、慌てて、京一は彼を抱き上げる。
「何が……どうなって…………?」
「さ、あ…………」
「取り敢えず、俺達が助かった、ってことだけは言えるな」
唐突に始まり、唐突な展開を辿り、唐突に終わった出来事を受け、九龍も甲太郎も村雨も、唯々、その場に立ち尽くし。
「……………………俺が寝惚けてる……って訳じゃねえよな……」
龍麻を背負った京一も、どうしたらいいのか判らぬ風に、三人へと振り返った。
「……あの、ですね。京一さん」
故に暫し、小径へと続く墓地の入口にて、誰もが動きを止めたまま、沈黙を続け。
長らく続いたそれを、九龍が破った。
「ん?」
「龍麻さん……大丈夫そうですか?」
「あ? ……ああ、もう平気……の筈だ。それがどうした?」
「お。なら良かったー……。……で、ですね」
「……おう」
「龍麻さんが大丈夫なら、風呂貸して貰えませんか?」
「は?」
「今日潜った所、ものすんごい極寒の地だったんですよー。このまま、俺達冬眠出来る! って、真剣に思えたくらい寒かったんです。だから、骨の髄まで冷えちゃって。そーゆー訳でですねー。風呂、貸して貰えたら嬉しいなー、と」
「………………お前……。──いいぜ、好きなだけ浸かってけ」
一体何を言い出すつもりかと、全員が身構えた中、九龍は能天気に「風呂を貸せ」と言い始め、にこぱ、と笑う彼に、京一は、酷く困ったような笑みを浮かべて頷いた。
「九ちゃん…………」
「ああ言って貰えたことだしさ。芯から温まるまで、風呂使わせて貰おうな、甲ちゃんっ! ──あ、勿論、風呂借りるだけじゃ済まないですよー? たーーーっぷり、膝付き合わせて『話し合い』もさせて貰いますから! 京一さんが早出だろうと何だろうと、遠慮はしませんからねー。それくらいの嫌がらせはさせて貰いますよー? お互い、納得いくまで語り合いましょー、京一さん!」
──この、僅か三十分程の間に起こった出来事を経ても尚、風呂、と言って退けた九龍を、甲太郎は目を点にして眺め下ろし、そんな彼へも、やはり、にこぱ、と笑ってみせると九龍は、今度は、にたぁ……と笑って、京一を横目で見た。
「……旦那。随分と面白いガキ、見付けたな」
「俺も、しみじみそう思う」
九龍の笑みと科白に、村雨は唇の端だけを笑いの形に歪め。
肩を竦めた京一は、眠ったままの龍麻を背負い直すと、中央歩道目指して小径を辿り始めた。