一同が、警備員のマンションへと戻った時には、もう午前四時近くて、寝室に龍麻を寝かせると、少年達に、「風呂でも何でも勝手に使え、寝るなら和室で寝ろ」と言い置き、顔だけは出さないと、と支度を終えた京一は一人、バイトに行ってしまった。

『話し合い』は、それからだ、と。

故に、少年達は言われた通り、ゆ……っくりと風呂に浸かり、勝手知ったる何とやら、と和室の押し入れから布団を引き摺り出して、仮眠の支度を整え始めて。

──その頃。

午前五時を、ほんの少しだけ過ぎた頃。

酷く体調を崩したので、龍麻は休む、と先輩警備員に伝え、警備員室でモニター番を始めた京一は、彼以外の者の気配が絶えたのを確かめてから、するりと警備員室に潜り込んで来た、村雨と向き合っていた。

「どうしたよ。お前も、泊まってくんじゃねえのか?」

「いや、俺は帰らせて貰う。先生は、もう大丈夫なんだろ? 小僧共もいるし、俺がいたら、『話し合い』とやらの邪魔になるだろうしな」

「……そうか。…………今夜は、悪かったな」

「どうってことねえさ。騒ぎは収まったようだし。お前さんが言った通り、今は、何も訊かねえでおいてやるよ。……だが、さっきの賭けの『代金』は、支払って貰うぜ、京一の旦那?」

「出来ることなら、構わねえよ。あんま、無理難題、言うんじゃねえぞ」

のらりくらりとした風情で、空いていた椅子を陣取った村雨は、受け取っていない『賭け金』のことを持ち出し、ああ……、と京一は頷く。

「何、簡単なことさ。一つ、質問に答えて欲しいだけだ。…………旦那。あんたと先生は、デキてるんだろ?」

何を代金として支払わせようとしているのかも知らず、容易に頷いた彼へ、村雨は、事も無げに問うた。

「…………………………その内、お前にはバレると思っちゃいたが……」

放たれた問いを受け、京一は、苦いだけの笑みを浮かべた。

「何で判った?」

「判らねえ訳ねえだろ。一目瞭然だ。五年振りに、お前さん達のツラ拝んで直ぐ、判ったぜ?」

「……そうかよ。俺も、焼きが回ったもんだ。──で? それを確かめて、どうしようってんだ? 村雨」

出来ることなら、仲間内には隠し通しておきたかったことを、呆気無く暴かれ、覚悟を決めたような表情に、京一はなった。

「…………先生と旦那がデキてるってピンと来たように。どうにも様子がおかしいってことにも、気付けちまってな。…………ま、あれだ。要するに、長い付き合いのお前さん達の、折角の色恋が上手くいってねえようなら、ちょっかいの一つも掛けてみようと思ったって奴さ。……俺だって、腐れ縁なお前さん達のことを、それなりに気には掛けてんだよ」

「村雨…………」

「お前さん達が男同士だろうと何だろうと、俺は別にどうとも思わない。どんな相手だろうと、デキる時はデキるもんだ。況してや、先生と旦那ならな、ちょいとした切っ掛けさえあれば、そうなってもおかしかねえって、俺はずっと思ってた。……ダチとダチの惚れた腫れただ。上手くいってくれればいいと、俺だって思う。…………だから、旦那。苦しいことがあるんなら、白状してみねえか? 話くらい、聞くぜ? 無論、ロハで」

少なくとも、龍麻との仲を隠し立てするつもりは京一にないと知って、照れ臭そうに頭を掻きながらも、村雨は真摯に彼を見詰めた。

「………………苦しい……訳じゃねえ。少なくとも、俺は。苦しいのは俺じゃない。それは、ひーちゃん──龍麻の方だ。俺じゃ、ない…………」

「……そんな顔して、言うこっちゃねえだろ」

誤摩化すような仕草をする彼を、京一はクスリと笑い、が、ふいっと窓の外を見て。

切なそうに、そこではない何処かを見詰めている風な眼差しに、村雨は溜息を付いた。

「嘘じゃねえって。苦しいのは俺じゃない。龍麻だ。……………………なあ、村雨?」

「何だよ」

「……愛してるって、どういうことだ?」

「は?」

「………………だから。愛してるって……誰かのことを愛するって、どういうことだと思う?」

「……旦那にしちゃ、随分と高尚なことを言うじゃねえか。お前さん達の様子がどうにもおかしいのは、その辺に理由があんのかい?」

「…………どうだっていいだろ、んなこと」

「へいへい……。──旦那が探してる答えが、どんな代物なのか俺には解らねえが。誰かを愛するってことは……そうさな、俺にとっちゃ、ひたすらに、本当に唯ひたすらに、そいつを想い続けることでしかねえな。…………旦那は?」

「……………………解らない。──俺は、オネーチャン達とは、ふざけた恋愛の真似事しかして来なかった。一度だって、真っ当な恋愛なんて、俺はしたことがないのかも知れない。何時だって、心よりも躰の方が先で……」

「旦那……。まさか、先生とも、そうだったのか? 心よりも、躰の方が先だった、ってか?」

ぼんやり、とした風情で窓の外を眺めながら、愛してるとは? と言い出した京一に面食らいつつも、『高尚な話』に付き合えば、ボソっとした声の告白が京一から洩れて。

村雨は、ん……? と眉を顰めた。

「そういう訳……でもねえけど……。似たようなもん、なのかもなあ……。────解んねえんだよ。本当に、解らねえんだ。『それ』が、どうしても俺には解らなくって……。……っとに、我ながら嫌になるぜ。どうして俺は、こんなにも馬鹿なんだか…………」

だが、村雨へと視線を戻すことなく、窓の外だけを見詰め続けて、京一は、唯々、切なそうに、苦しそうに、己で己を罵るだけで。

一時間近くを掛けて風呂に浸かっていた時も、風呂上がりのぼんやりタイムに突入した時も、九龍は何時も通りに振る舞っていた。

和室の、敷き終えた布団の上にしゃがみ込んで、後は寝るだけ、と相成った今も、熱めの風呂が気持ち良かったとか、これだけ寒くなっても、やっぱり風呂上がりは牛乳か冷たい麦茶、とか言いながら、へらへら笑っていて、だから。

京一と自分がやり合って、龍麻の中の黄龍が出現し、そして眠ったあの三十分間のことは、もう、九龍の中では昇華されてしまったのだろうかと、甲太郎は判断し掛けた。

…………だが。

「九ちゃん。電気消すぞ」

「ん? あ、うん……」

部屋の灯りを落とすからと、ぺたり、布団の上に座る九龍の顔を覗き込んだら、へらっとした笑顔の中の瞳の焦点が、微妙にずれていることに気付き、やっぱり……、と彼は、九龍の目の前に胡座を掻いて座って。

「九ちゃん? どうしたんだよ。しっかりしろよ」

未だ、微かに湿っている九龍の髪に、ぽん、と手を置いてみた。

「やだなー、甲ちゃん。俺はしっかりしてるって。大丈夫だって!」

ぽむ、と置かれた手を頭に乗せたまま、ふいっと九龍は甲太郎を見上げ……しかし、次の瞬間。

唇を震わせ、ポロッと彼は泣き出した。

「おい、九ちゃん……?」

「あ、あれ? 何で? 何で何で? 何で俺、泣いてんの?」

「……お前にも判らないのに、俺に判る訳がないだろ」

「おー。それは、正しい理屈。何で泣いてんのか俺にも判んないのに、甲ちゃんに判る訳ないよなあ……。………………御免。御免な? 甲ちゃん。御免…………」

「…………お前は、泣いちまってることを謝ってんのか? そんな必要無いだろ。……誰にだって、泣きたい時くらい、あるんだから」

どうして涙を零しているのか、自分にも判らない、と九龍は笑いながら懸命に両の瞳を拭って、けれども、零れ始めた涙は止まらず。

泣く己を詫びるだけの九龍へ、甲太郎は思わず手を伸ばした。