両腕で九龍を引き寄せ、胸の中に収めれば、瞬く間に、彼の涙で甲太郎のシャツは濡れた。

「……御免…………」

「だから、何でお前が謝るんだよ」

「…………だって、さ……。何で泣いてんのか、自分でも判んないけど……俺が泣いてたら、甲ちゃんは迷惑かな、って思うからさ……」

「そんなことはない。泣きたきゃ泣けよ。我慢するより、ずっとお前の為になる。……今夜のこと……辛かったんだろ……?」

「……………………うん……。……うん。辛かった。何でもない振りしたけど、ホントは辛かったんだ……。何で、こんなことになっちゃったのかな、って……。又、俺、どうしたらいいのか判らなくなりそうで……」

抱き締めてくれた甲太郎にしがみつき、グリグリと胸許に顔を押し付け、九龍は何時ぞやのように、らしくない、弱々しい声音で呟き始め。

「判らないなら、考えるなよ。多分……考えたって、仕方無い…………」

胸の中の彼を抱く腕に、甲太郎は一層の力を与えた。

「うーーー……。こーちゃんー……。甲ちゃん、甲ちゃん……」

きゅっと、永遠にその手の中に閉じ込める風に甲太郎が彼を抱き込めば、むぎゅっと、九龍も益々甲太郎に縋り、何度も何度も彼の名を呼んで、やがて、ベソベソと泣き崩れた顔を上向かせた。

「……九ちゃん…………。九龍……」

見上げて来る、潤み切った瞳は、本当に頼りなげで、何一つも持たない幼子の如くでもあって、それ故にか、甲太郎の心を鷲掴みにするには充分で、九龍が、幾度となく甲太郎の名を呼んだように、甲太郎も又、幾度となく九龍の名を呼び。

彼の背に添えていた指先を、首筋へと遡らせて、甲太郎は、衝動に駆られたまま接吻くちづけを落とそうと、唇を寄せた。

「甲ちゃ…………──

近付いて来た甲太郎のそれに、一瞬、九龍は驚いたように潤んだ瞳を見開いたが、ふい……っと目を閉じて、落とされ掛けた接吻を、甘んじて受けようとし。

「………………!! ちょーーーっと待ったーーーーーーっ!!!」

が、次の瞬間。

盛大に叫んで九龍は、バシン! と両手で甲太郎の口許を塞ぎ、グギっと音がするまで彼の首を仰け反らせた。

「……痛っ……! 九ちゃん、お前…………っ」

「あっ! ご、御免! 御免、甲ちゃんっ。でも駄目! 駄目だよっ。駄目ったら駄目だーーーーっ!」

叩かんばかりに押さえられた口許と、堪え難い痛みを訴えた首を押さえ、暫し悶えた後、甲太郎は、ギッ! と九龍を睨んだが、乱暴だった振る舞いを詫びながらも、九龍はブンブンと激しく首を振った。

「………………あの、な。九ちゃ──

──この間、龍麻さんに言われたこと、やっと理解出来たっ! うん、駄目だ! 順番は、ちゃんと守らなきゃ駄目だっ!」

「は……? 順番…………?」

「うん! 順番っ!」

「何の…………?」

────九龍に接吻をしたいとの衝動に駆られた刹那、甲太郎の頭の片隅の何処かに、「九ちゃんも、俺のことを想ってくれている」との『甘え』が確かにあって、済し崩しのようにキスを仕掛けたとしても、九龍は受け入れてくれるだろう、との『期待』もあって。

けれど、手酷くそれを拒まれ、甲太郎は、「九ちゃんはもう、俺のことなんか……」と思い込み掛け、彼を見詰める瞳にも、頬にも、冥い陰を刷きつつ、未遂に終わった『暴挙』の気拙さを、何と詫びればいいのだろう、と視線を泳がせたけれど、九龍は、甲太郎の思い込みに気付くことないまま、その思い込み毎吹き飛ばす大声で、「順番が」と喚き始め。

だから甲太郎は、不思議そうに首を傾げた。

「順番は、順番だよ、甲ちゃん」

「…………だから、何の……?」

「ええー。鈍いぞ、甲ちゃん! ………………あの、さ」

と、九龍は、ぴっとりと甲太郎に張り付いたまま、ポッ、と両の頬を染め。

「俺、未だ何も言ってないし……。甲ちゃんにも、何も言われてないし……」

一転俯くと、ボソボソ……っと、聞き取り辛い声で言った。

「言ってない? 何を?」

「だぁかぁらぁぁぁぁぁ……。……そのーーー、さ。キスってのはさ。何てーの? こ、恋人同士っつーか……付き合ってる相手とするもんっしょ……?」

「……そうだな」

「で、さ。キスするような付き合いをするってことは、さ。……えっと……あの…………好きですー、とか……付き合って下さいー、とか……、そーゆー、告白タイム、みたいなのをやって、晴れてそうなるってーか……」

「……………………ああ。その順番、か」

「……うん。その順番」

「成程…………」

小さく身を縮めて俯き、真っ赤になった九龍が、酷い小声で言い募り出したことが、やっと、甲太郎にも理解出来。

それで、あの仕打ちか、と彼は、納得の頷きを一つした。

だが、好きだとか、付き合って欲しいとかいう科白を、九龍へ面と向かって告げられる程、甲太郎は未だ、『達観』出来ておらず。

九ちゃんはもう、俺のことなんか……、との思い込みは消えたものの、彼はこの期に及んで、自分などが九龍に告白をしていいものなのかどうかを悩み、言葉と息を詰まらせた。

己は、《生徒会副会長》で、何時の日か必ず、九龍の前に立ちはだからなくてはならない《墓守》で、こうしている、今この瞬間も、彼を欺き続けているのに……、と。

「あ、あああああ……あ、あの! あのさ、甲ちゃんっ!」

………………けれど。

甲太郎は、《生徒会》関係者かも知れない、との、抱え続けた疑惑が確信へと変わっても、九龍は、少なくとも甲太郎よりは、遥かに『達観』していたので。

思い切ったように、首筋まで真っ赤に染めた顔を持ち上げ、強く強く甲太郎を見詰め。

「甲ちゃんが、あんなこと仕掛けて来たから、俺、一寸期待しちゃってるんだけどっ。でも、き……気持ち悪かったら御免なっ! 先に謝っとくっ! けど……あの……、そ……そのっ! こうなっちゃったからには、もう、言わない訳にはいかないって言うかだから、打ち明けるっっ! …………こ、甲ちゃんっ。甲太郎っ! す…………す……好きですっっ。俺、甲ちゃんのこと、好きなんだっ。ずっとずっと、好きだったんだっ。だから、俺と付き合って下さいっ!」

ぎゅう……っと目を瞑り、両手を握り締め、彼は一息に告白をした。

「九ちゃん………………」

「……だ、駄目、かな……? 駄目だったら駄目って、きっぱり言ってくれれば諦め付くから……。あの……返事、貰えると嬉しいなー、って…………」

「…………九ちゃん。……九龍。…………俺も、お前のこと……。…………ああ。俺も、お前のことが、好きだ……」

真っ直ぐ、としか例え様のない告白をぶちかましてみせた九龍に、絆された訳ではないが。

直前まで、吐露するべきか否か迷っていた想いを、甲太郎も、素直に告げた。

「甲ちゃん…………。……ホントに? ホントにホント? 絶対っ? 嘘じゃなくてっ!?」

「嘘じゃない。俺だって、吐いていい嘘と、吐いちゃいけない嘘の区別くらい出来る」

「…………こーゆー時でさえ、素直じゃないねえ、甲ちゃん。……うん、でも甲ちゃんは確かに、嘘は吐かないからー。…………ってことは、嘘でなく、甲ちゃんも俺が好きだってことで……。………………うわお! 甲ちゃんっ。こーたろーーーーっ!」

──雰囲気に流されたまま接吻を交わしてしまえば、きっと『楽』だったろうに、龍麻に貰った忠告を思い出してしまったばっかりに、自分で自分を追い込む結果を招いてしまい、「えーーい!」と腹を括って告白をしたら、拍子抜けするくらいあっさり、甲太郎は想いを受け入れ、同等の想いをも返してくれたので、現実が、俄には信じられず、何度も何度も、確かめる風に甲太郎の様子を窺って、や……っと、自分は夢を見ているのではないのだ、と飲み込めた九龍は、満面の、そして満点の笑みを浮かべて、甲太郎に抱き着いた。