保健室へ向かう間にも、九龍の具合は悪くなって行く一方で、最初の内は、肩と腰を抱えるようにして支えていた彼を、一時限目が始まり、廊下から人気が絶えたのを確かめてから、甲太郎は横抱きに抱え上げた。

「甲ちゃん……。御免な? 甲ちゃん……」

「気にするな。大丈夫だから。もう着くぞ。────カウンセラーっ!」

囈言のように御免と繰り返し、首筋に縋り付いて鎖骨辺りに顔を埋めて来る九龍をあやしつつ、彼は保健室に飛び込む。

「皆守か。……何だ、朝から騒々しい」

「九ちゃんが、酷く具合を悪くしたんだ。直ぐに診てくれ」

「葉佩が? ……………………おい、葉佩。お前、何をした……?」

朝の一服をしていた瑞麗を大声で呼び付けながら、ベッドに九龍を横たえつつ甲太郎は捲し立て、近付いて来た瑞麗は、彼を一瞥するなり、顔を強張らせた。

「あー……。ルイせんせー……。……何、と言われても、その……心当たりが無いんですが……」

まるで、詰問しているかのような瑞麗に、苦しそうに横たわったまま、九龍は判らないと首を振り。

「カウンセラー。九ちゃんはどうしたんだ?」

「事情は後で話す。皆守、緋勇と蓬莱寺を呼び付けろ。今直ぐだ。早くっ!」

口の中でのみ、ブツブツと何やら呟くと、瑞麗はキッと甲太郎を見据え、あの二人を呼べ、と命じた。

「あいつ等を?」

「いいから急げっ」

「ああ、判った」

九龍の酷い体調不良と、京一や龍麻と、一体どんな関係が、とは思ったが、言われるまま、甲太郎は携帯を取り出し、その日は朝の遅かった青年達を叩き起こすと、大至急、保健室に潜り込んで来て欲しいと伝えた。

────そうして、ジリジリとしながら青年達を待ち侘びる時を、十五分程、甲太郎や瑞麗が耐えた頃。

「よう。どうした?」

「お待たせ。何かな、緊急事態って」

ガラガラと開けた窓を乗り越えて、京一と龍麻が、保健室に侵入して来た。

「来たか。……蓬莱寺、緋勇。手伝え」

「あれ……。葉佩君? この氣…………」

「……九龍。お前、何処で何した?」

「気付いたか。原因は不明だが、陰氣の影響をまともに受けたようだ。このままでは、陰氣に潰される。だから手伝え。──蓬莱寺は、結界を敷いてくれ。緋勇は、九龍に陽の氣を分けてやって欲しい。私は、陰氣を払う」

「判った」

「うわ、冷たい……。葉佩君、大丈夫?」

事も無げに、昼日中の侵入を果たした二人は、直ぐさま九龍の異変に気付き、瑞麗はてきぱきと指示を与え。

京一は、愛刀を鞘より抜いて結界を築き始め、龍麻は、九龍の枕辺に立って、そっと額に手を乗せ、瑞麗は、取り出した幾枚かの霊符を駆使して、九龍の中よりだけでなく、辺り一帯から漂う陰氣毎、払い始めた。

「……甲ちゃん…………。甲ちゃ……」

「九ちゃん。九龍……」

大人達が、九龍の為にそれぞれの役割を果たし始めた中、己の名を呼び続ける九龍の傍らに甲太郎は添って、手を握ってやり。

「ひーちゃん、どうだ?」

「……うん。もう大丈夫そうかな。陰氣、感じなくなったし。体温も戻って来たし」

「そっか。……だとよ、甲太郎。安心していいぜ」

「ああ。……良かった…………。それにしても、何でこんなことに……。陰の氣だの陽の氣だのってのは、あんた達の世界の話だろう? 何で、九ちゃんが……」

「……それなんだがな、皆守」

………………十数分程の時が過ぎ、やっと、九龍から陰氣が感じられなくなって、ホッと一同が溜息を零してより、煙管を取り出し、朝の一服をやり直し始めた瑞麗が、甲太郎へ向き直った。

「何だ?」

眠ってしまった九龍と手を繋いだまま、甲太郎は彼女へと首を巡らす。

「何か、心当たりは無いか? 夕べか今朝、葉佩に何か起こらなかったか? 然もなくば、何処か、今まで行ったことのない場所に行った、とか。……彼がこんな容態になったのは、陰の氣の所為だ。放っておいたら押し潰されるだろう程、彼は、陰氣に満たされていた。今までが今までだからね、今更、あの遺跡に潜ろうがどうしようが、葉佩が、これ程までに陰の氣に左右される訳がない。何か、特別なことがあったとしか思えない」

「……俺にある心当たりは、一つだけだ。今朝、うちのクラスに転校生が来た」

「転校生? こんな時期にかよ?」

「ああ。俺とは、絶対に話が合わないようなタイプのな」

「でも、何でその転校生が、心当たり?」

「……その……一寸あって。《生徒会長》が、今日来た転校生のことを、どうにも気にしてる風だったのを知ったんだ。それに、九ちゃんの具合が悪くなり始めたのは、雛川が転校生を紹介してたホームルームの最中だと八千穂が言っていたし、そいつが話し掛けて来た途端、九ちゃんの具合は酷く悪くなった。序でに言うなら、そいつは、九ちゃんのことを知ってる風だった」

カウンセラーの彼女の問いに、思案の時間も持たず、甲太郎は「転校生が心当たり」と告げ、何故それが、と不思議そうな顔をした青年二人に、事情を語った。

「転校生か。そう言えば、職員会議で言われたな。三年C組に転校生が入る、と。確か名前は……ああ、そうだ、喪部銛矢、と言ったか」

「ふうん……。初めて聞く名前だな。…………気になるか? 甲太郎」

「……ああ」

「その、喪部って子のこと、俺達が見ること出来る?」

諸々の事情で、どうにも喪部のことが気になる、という態度を甲太郎が崩さないので、京一と龍麻は、噂の当人を確かめる術はないかと言い出し。

「放課後、寮の方に行けば、何とか──

──失礼します! ルイ先生、九チャンどうですかっ?」

彼等が気付かぬ内に、一時限目の授業終了を告げるチャイムが鳴っていたのだろう、そこへ、明日香が九龍の見舞いにやって来た。

「……八千穂」

「皆守クン、九チャンの具合どう? ……って、あれ? 何で、警備員さん達がいるの?」

「おーー。明日香ちゃん、だったっけか? 俺等は、間違って警備員室の方に来ちまってた、保健室の備品届けに来たんだよ。そしたら、九龍が具合悪くしたって聞いたからさ。ちょいと見舞ってたんだ」

九龍のことが心配で、居ても立ってもいられず、保健室へやって来たらしい彼女の疑問に、京一はさらっと、でっち上げを言い。

「じゃ、俺等は仕事に戻るか、ひーちゃ──。……っ!」

「これ、は…………」

「……そこにいるのは、誰だ? 急患か? それとも、カウンセリングが望みか?」

龍麻を促し、保健室を出て行こうとした京一は、開け放たれたままの扉の向こうに立っていた少年に目を止め、龍麻も、瑞麗も、京一が息を飲んだ『それ』に、きつく目を細めた。

「あれ? 喪部クンだ。何やってるんだろ?」

大人達が見詰める廊下を振り返り、明日香は、保健室の様子を窺っていたらしい喪部が去って行く姿を見付け、きょとんと首を傾げ。

「八千穂。葉佩なら大丈夫だ。少し休めば元気になるだろう。君は、授業に戻りなさい」

瑞麗は、『正論』で以て、明日香を教室へと戻した。