昼食を摂ったマミーズにも、午後の校舎にも、例の香りは漂い続けた。

学園中、至る所に、不思議な香りは潜んでいた。

だが、午後の授業そっちのけで、負けるもんかあ! と九龍は、甲太郎に付き合って貰いながら幽花探しに奮闘し、どうしても思い出せない彼女のことを気にし、自分達なりにこの現象を調べていたらしい夕薙や月魅から、芳香師、という存在のことを聞き出した。

芳香師とは、香りを作り出すことを生業としている職人の中で、天才的な技術と才能を持つ者だけに与えられる名称だそうで、彼等は独自の調合技とセンスで、自在に目的の香りを作り出すことが出来るのだそうだ。

そして、この学園には本物の芳香師が存在していて、その者は、人の中枢神経を刺激して、あらゆる症状を引き起こさせる『匂い』を用い、人々の記憶を操っているのではないか、というのが、夕薙や月魅の意見で。

だが、如何に天才的な芳香師と言えど、ここまで完璧な情報操作を行うのは容易なことではないから、芳香師は恐らく、《力》持つ《生徒会》の者なのだろうと、夕薙や月魅達と、九龍の見解が一致した、放課後。

校内放送で、瑞麗に呼び出された九龍は、甲太郎と二人、保健室に向かった。

「用が済んだら、さっさと帰りたまえ。それとも、こんな時間に校舎内を彷徨うろついて、又、騒ぎを起こす気か?」

「まあまあ。そう邪険にすることないだろ? 今、校内であの匂いに思考を邪魔されずに済むのはこの部屋くらいなんだよ。それに、満更知らない仲って訳でもあるまいし……」

入室しようと、二人が保健室の扉前に立てば、中から、聞き覚えのある声と声が言い合っているのが洩れ聞こえて来て。

「この声は……」

「ルイ先生と、宇宙刑事?」

「…………だな。あの二人、知り合いなのか?」

「……盗み聞きさせて貰っちゃお」

そうっと、九龍は保健室の扉を細く開けた。

「誤解を招くような言い方は止めて貰おう。私とお前に、個人的な関わりはない筈だが?」

「判った。判ったって。けど、お前だって判ってんだろ? あの夜会ってのは、鎮魂祭を執り行う為の反閇へんぱい──つまり、舞踏会の名を借りた足踏み呪法だ。この学園を彷徨う幾多の霊魂だけでなく、或いはそれ等さえも利用して、深い闇の底に眠る何かを鎮める為の、な。……それに。あの墓地に埋まっているのは本当は、所持品なんかじゃない。行方不明になった奴等だ。しかも彼等は生きている。…………なあ。ああやって、連中の体は保存されているんだ。何らかの方法はあるんじゃないのか? 彼等を元に戻す為の方法が」

「それが解ったら、誰も苦労しない。それよりも、もう生徒が来るんだ。詳しい話は又後で──

──生徒って、葉佩君だろ? なら大丈夫だって。あいつとは、一寸した仲──

──貴様……、生徒に手を出したのか」

「手を出すって、んな人聞きの悪い────あ、一寸!! 暴力反対っ!! ……うおおおおおおおおっ!?」

扉の隙間に耳を押し当て、声と声──瑞麗と鴉室の会話を探っていたら、確かに人聞きの悪い表現をされても仕方の無い、ふざけたことを言う鴉室を、瑞麗が、問答無用で窓から叩き出したらしい、ガラスの割れる音が響いた。

「…………………………」

「……こーたろーさん……?」

「一寸した、仲……?」

「へ?」

「どういうことだ? 九ちゃん」

「……うお? 誤解でないかい……? つか、宇宙刑事の言い種が悪いって言うかー。正しくは、一寸した仲、じゃなくって、一寸した知り合いって奴だと思うけど」

「本当に?」

「……本当に。嘘でない。ぜーったい、嘘でない! だから、いきなりの妬きもち全開オーラを引っ込めるんだ、甲ちゃん! 俺は潔白だっ! 第一、何時、甲ちゃんの目盗んで、宇宙刑事と会う時間があったっての?」

「…………それもそうだな」

瑞麗が目くじらを立てたように、鴉室の不穏な発言に、瞬時に無表情と化した甲太郎は、ジトっと九龍を睨め付け、ジタバタ、身振り手振り付きで、九龍は身の潔白を訴え。

「納得出来た? じゃ、こうしてても何だから」

どうにも、独占欲が強いらしく、且つ、悋気しがちな質らしい──要するに、誠に心が狭い甲太郎を落ち着かせてから、九龍は保健室へと入った。

「ルイ先生ー。葉佩九龍、只今参上でっす!」

「やあ、漸く来たか。……立ち聞きは、良くない趣味だぞ?」

えへー、と室内に滑り込んで来た九龍と、無表情のままの甲太郎を見比べ、瑞麗は、苦笑しながら二人を嗜め。

「あー……。バレました?」

「私の近くでも気配を消したいと思うのなら、蓬莱寺や緋勇に、氣の消し方を習うことだ。……それにしても……まさか君が、あの男と知り合いだったとはな。全く、相変わらず運だけはいい男だ。──葉佩。あんな碌でなしとは関わるな。いいな?」

「お。宇宙刑事は碌でなしですか。了解です。今度から、速攻で逃げます」

「懸命だ。それよりも、君を呼んだのは他でもない。…………白岐幽花という名前に聞き覚えはあるか?」

鴉室には、もう近付くな、との釘を刺してから、彼女は本題に入った。

「……あります。……けど…………おや?」

「どうした?」

「実は……俺も、幽花ちゃんのことすっかり忘れちゃってて、甲ちゃんに言われて、やっと、そういう名前の同級生がいたことを、俺は忘れちゃってるって気付いた始末なんですけど。ここに来たら、甲ちゃんに教えられたからじゃなくって、本当に思い出して来たんです。……あれ?」

すれば九龍は、幽花のことを思い出して来た、と目を瞬いた。

「そうか。やはりな……。今この部屋は、私の使っている塗香ずこうで清めてある。塗香は、清め香とも呼ばれる粉末状の香のことで、身体に直接塗ったり、祭壇に撒いたりすることで、邪気を近付けないようにするものだ」

「……ほうほう」

「今朝、保健室に来てみたら、生徒のカルテを何者かが触った痕があってな。犯人は巧妙に痕跡を隠したつもりだろうが、私の目は誤摩化せない。だが、カルテが一枚抜き取られていたことは判ったのに、誰の物か思い出せなくて、失せものを探す符のお陰で、漸く現れたのが彼女の名なんだ。…………白岐幽花。君達の級友に間違いはないな?」

「はい」

「ああ、間違いない」

九龍が、幽花のことを思い出した理由と、彼を保健室まで呼び付けた理由の一部を瑞麗は語り、九龍と甲太郎は、同時に頷く。

「それにしても、この香り……。人を心地良く、一種の催眠状態に誘うものなのだろう。我々は、意図的に記憶を操作されていたという訳か……」

「そういうことなんでしょうね。こんなことが出来る、唯一の心当たり、《生徒会関係者》に」

「多分、な。《生徒会》は、白岐の存在を隠蔽したいのだろう」

符によって取り戻した記憶に間違いないことを確かめ、瑞麗は、例の香りに付いて話し出し、九龍は、《生徒会》の単語を舌に乗せ。

「俺もそう思うが……。白岐は、《生徒会》と何か関係があるのか?」

「然もなくば、この学園に関する重要な秘密を握っているか、だ」

「だとしたら……何故、今になって? 《生徒会》は一体、何から白岐を隠そうとしてる?」

「さあ、な。この学園には、判らないことが多過ぎる」

甲太郎は、何故、今この時期に、《生徒会》は幽花の存在を隠蔽しなくてはならなかったのかと、似非パイプを銜えながら呟き、瑞麗は肩を竦めた。

「《生徒会》は、幽花ちゃんを何処に隠したんだろう……」

「……学園に伝わる怪談、『六番目の少女』。私が実際に見た訳ではないが、時計台に出る幽霊は、彼女に似ているらしい」

「…………あ。そう言えば、明日香ちゃんもそんなこと言ってたっけ。そっか……。──有り難うございました、ルイ先生! ちょっくら、行って来ますっ。甲ちゃん、Goだ!」

深く考え込み始めた二人を他所に、九龍は、幽花は今何処に、と悩み、まるで、それがヒントであるかの如く、『六番目の少女』のことを告げた瑞麗の『助言』に従って、彼は甲太郎と二人、校舎南棟五階の時計台へと向かった。