白岐幽花『喪失』事件から、三日程が経った、十二月十六日 木曜。
後、八日が過ぎればクリスマスイブになって、九日が過ぎれば終業式になって、待ちに待った年末年始休暇がやって来るから。
学内には、浮かれ気分が漂い始めていた。
外界より隔絶された、厳しい校則のある学園のこと、クリスマスがやって来るからと言って何が出来る訳でもないが、年に一度のイベントであるのには変わりなく、生徒達は誰もが、寄ると触ると、友人同士で集まって、寮の一室で一寸したパーティーを開こうかとか、この機会に、片想いの相手に告白の一つもしちゃいたい、とか、そんな話ばかりをしていた。
気の早い者達の中には、実家に帰省する為の荷物をまとめ始める者もいたし、逆に、十二月上旬に行われた学期末考査の成績が振るわなかった所為で、山のような課題を押し付けられ、悲鳴を上げるしかない者達もいて。
……まあ、要するに。
天香学園は、その日も、様々に賑やかだった。
「はっちゃんは、冬休みはどうするんだい?」
「んーーーー……。成り行き次第、って奴かなあ……」
──そんな、賑やかな日の昼休み。
九龍は、取手と一緒に、マミーズで昼食を摂っていた。
相変わらず三年寝太郎な甲太郎を叩き起こし、朝、確かに一緒に登校したのに、どんなマジックを使ったのか、一時限目の授業が終了した時、既に甲太郎の姿は教室になく、屋上にも保健室にもいなかったので──要するに、何処に行ってしまったのか判らないまま昼休みを迎えてしまったので、一人寂しくマミーズに足を運んだら、丁度、取手と行き会え、九龍は、彼と食事を共にしていた。
「ああ、そうだね。はっちゃんには、『仕事』があるものね」
「うん。だから、それ次第かな。鎌治は? やっぱり実家に帰る?」
「僕は……実は悩み中なんだ。どうしようかと思ってる。はっちゃんが、休み中も寮に残って仕事を続けるなら、僕も残ろうかな。手伝いたいし……」
「え、でも、折角の休みなんだから、実家帰った方がいいんでない?」
「うん……。まあ、でも……。それに、こんな風に思ってるのは、多分僕だけじゃないと思うよ。はっちゃんのバディの皆、同じようなこと考えてるんじゃないかな」
「そっかあ…………。そう言って貰えるのは嬉しいけど、何か、申し訳ないなあ……」
取手は、好物のオムレツを、九龍は、甲太郎曰くの『何時もの』を、ぱくぱく食べ進みつつ、来週末にはやって来る、年末年始休暇の予定の話をし。
「そう言えば、皆守君は? 冬休み、どうするんだって?」
「甲ちゃん、は……。未だ、甲ちゃんとは、冬休みどうするー、みたいな話はしてないけど……多分、居残り組なんじゃないかなあ。何か……甲ちゃん、実家好きじゃないみたいだから」
「そうなんだ……」
「うん…………。色々あるみたい、甲ちゃんも。……つか、色々あり過ぎだよな、甲ちゃん……。っとに…………」
今はこの場にいない彼の『色々』を思って、ふう……、と九龍は溜息を一つ零した。
「…………やあ、奇遇だね」
甲ちゃん、何処行っちゃったのかな、とか、《生徒会》の絡みのことなのかな、とか、甲ちゃんて、本当に実家の話したがらないよな、とか、クリスマス、一緒に過ごせるかなあ、とか、冬休みはどうかな、とか。
俺達、このまま上手くやって行けるのかな、とか。
様々、咄嗟に考えて、一気にブルーな気分になった彼の傍らに、何時の間にやら近付いて来た、喪部が立った。
「あ。喪部。やっほー」
喪部が転校して来てより、そろそろ二週間近くが経つが、どうしても彼に近付こうと思えず、理由は判らないけれど、甲太郎に、関わり合いになるな、ときつく言われているという事情もあって、九龍は、『転校生』とは殆ど接触を持たずに来ており、でも、同級生に話し掛けられた以上、無視する訳にはいかないでしょ、と、にぱらっと愛想笑いを浮かべてみた。
「君は、食事中?」
「うん。喪部もどう? ここのカレー、美味いよ?」
「……僕は、そういう無粋な物は、一寸」
「えーー、そんなことないって。カレーは別に、無粋じゃないぞー? 奥が深い食いもんだって、甲ちゃんも言ってたし」
「甲ちゃん? ……ああ、皆守甲太郎? そう言えば彼は、カレー馬鹿だって噂だね。そんな料理の、何を愛してるんだか」
尊大過ぎる態度で九龍の傍らに陣取り、彼の本日の昼食メニューを嫌そうに眺め下ろした喪部は、くっ……と、嫌味ったらしく喉の奥で笑った。
「………………喪部。その喧嘩、甲ちゃんの代わりに俺が買う」
彼の言い種に、カチン、と来て、九龍はスプーンを手放し、思わず立ち上がった。
「何故? 君も、カレー馬鹿なのかい? それとも、カレー馬鹿な友人とやらを、庇いたいだけなのかい? そんな無粋な物や、無粋な物を愛する奴の為に、君と僕がやり合う必要があるとは思えないけどね」
「あのな……。甲ちゃんのことも、甲ちゃんがカレーが好きな理由も知らないで、そういうこと言うその口、そろそろ閉じろ?」
「……ふーーん………………。君は、そういう人間か。下らない」
周囲の注目を集める結果になるのも失念して、がたりと椅子を鳴らして立ち上がり、胸倉を掴み上げんばかりの勢いで迫って来た九龍を、喪部は詰まらなそうに見下し、踵を返した。
「あっ! 喪部っ! こ……んの……っ。…………お前なんか、お前なんか、カレーの海に溺れてしまえーーー!!」
目的は果たした、とでもいう風情でさっさと立ち去って行く喪部の背中に、九龍は大声で悪態をぶつける。
「は、はっちゃん……」
「……あ、御免な、鎌治。ちょーーーっと、エキサイトしちゃった。……くぅぅぅぅぅ。ムカつく、ムカつく、ムカつくーーーーーっ!」
この上もなく眦を吊り上げ、本気で怒っているらしい九龍に少しばかり驚きながら、取手は、注目の的だよ、と九龍を宥め、お、と周囲を見回した彼は、バツが悪そうに座り直したが、憤りは収めなかった。
「今の彼が、この間はっちゃん達のクラスに転校して来たって彼? 何と言うか、こう…………敵を作り易い性格みたいだね。皆守君とは、絶対に反りが合わないだろうし……」
「うん。……も、ぜーーーーったい、喪部とは仲良くしないっ。決めたっ! 甲ちゃんだって…………。…………ん?」
「はっちゃん? どうかしたのかい?」
「あ、ううん、何でもない。────御免、鎌治。俺、用事思い出しちゃった。悪いけど、先行くなー。又!」
席に座っても消えない周囲の注目の中、ぎゃあぎゃあと九龍は喚いて、が、ふ……っと。
胸許辺りを押さえ、酷く不思議そうな顔を作り。
同じく、何事? と首を傾げ、不思議そうな顔を作った取手に詫びて、食事半ばで席を立った彼は、マミーズを出、中央歩道を辿りながら、そろっと、制服の下のシャツの、その又下を、隙間から覗き込んだ。
「およ。光ってる……?」
覗き込んだ懐の中で、『お守り』が光っているのを知り、彼はひたすら、首を捻る。
具合を悪くして保健室に担ぎ込まれたあの日、甲太郎に、「借り物だから大事に扱え」と言いながら持たされて以来、九龍は大抵の場合、『お守り』をぶら下げていた。
理由も知らされずに『お守り』なぞ持たされるのは、若干納得出来ない部分もあったけれど、そうしないと甲太郎に兎や角言われたし、レンタル品だからプレゼントの訳はなく、又、甲太郎の口振りからもそんな様子は微塵も感じなかったが、恋人が渡してくれた品だから、と深く考えもせずに今日まで持ち歩いたそれが、喪部との言い合いが終わった直後、暖かくなっているような気がして、不審に思い、途中だった取手との食事を中断してまで一人になって、目で確かめてみたら、『お守り』は確かに輝いており。
「ふむ…………」
九龍は、ポリポリと頭を掻きながら、目的を持って、歩道を進み出した。