男女の営みのセオリーに関する知識は、それなりに九龍とて持っているから、情熱と勢いに身を任せ切ってしまった感のある甲太郎に、一体何をされるやら、と彼は内心怯えたが。

始まりは思い掛けず、酷くゆっくりとしたキスだった。

柔らかいだけの接吻くちづけが齎して来たのは、甘いよりも尚質悪い、こそばゆくさえ感じる心地良さだけで、絶対自分は、最後までこのまま流され切るんだろうな、と九龍は早くも確信した。

「何、ぼうっとしてる?」

離れた唇と唇の間には何も残されず、唯、甲太郎の声だけが洩れた。

「ん? 甲ちゃんのこと考えてた。甲ちゃんが、甲ちゃんだけのこと考えてろって言った通りにね」

「……いい心掛けだ。でも、この先は、そんな余裕さえなくされる方が、俺としては有り難いんだが」

「…………如何せん、初体験に挑んでる最中なんで、もーちょーっと、ゆとりを頂けると嬉しいんだけど」

「お前……その発想は、逆じゃないか?」

「え、そう? 他の人はどうだか知らないけどさ、俺はそう思うよ? 言ったっしょー? 甲ちゃんが俺にくれるモノは、何でも欲しい、って。──『これ』だって、甲ちゃんが俺にくれるモノの一つで、しかもお初。ちゃんと受け止める余裕なかったら、勿体無いじゃんか」

「成程。……他でもない、お前がそう言うんだ、賛同してやらないこともないが。お初の部分は兎も角、『これ』をお前にくれてやるのは、これっきりじゃないから安心しろ」

「……お初を致し切る前から、気合い充分過ぎな発言を有り難う、甲ちゃん。嬉しいけど嬉しくない」

「………………いい加減、その、艶の欠片も感じられないことばっかり吐きやがる口を噤め」

「へーーい。……あ、でもな、甲ちゃん。甲ちゃんが、気合い充分過ぎなお陰で、俺の中に、沢山沢山甲ちゃんが溜ってくのは嬉しい」

「……そうかよ」

唇と唇が離れた代わりに、腕と腕は、滑るように──否、統べるように互いの背へと廻って、抱き合いながら二人は、馬鹿馬鹿しさの裏側に、それでも若々し過ぎる愛と情熱が仄かには香るやり取りを暫し交わし、もう一度、唇を重ね合わせて。

やがて、貪るような深さにキスの激しさを移らせ、忙しなく、寝間着代わりのTシャツやズボンを剥ぎ取り合った。

男同士、見せ合った処で何の感慨も生まぬ筈の肌に、軽い欲情を覚え、甲太郎は焦りを、九龍は戸惑いを感じる。

焦りは、優しく出来るんだろうか、との不安を生んで、戸惑いは、自分はどうしてしまったのだろう、との更なる戸惑いを生んだ。

故に二人の蠢きは、一転、辿々しくなったが。

直ぐに、彼等の中の若さが、それを遠くに捨て去った。

誘われるように、九龍の肌に唇を寄せた甲太郎は、それを続けること止められなくなって、余す所なく、己の肌を知ろうとする甲太郎に縋り付くのを、九龍は止められなくなった。

愛しいと想い想われる相手にそうすることは、愛しいと想い想われる相手にそうされることは、純粋な幸福、と感じられた。

…………でも。

幸福を感じた刹那、甲太郎の心の片隅に、知ったばかりの幸福すら、既に『終わり』が見えている、との遣る瀬無さが降って来て。

苦さと、切なさと、苦しさだけが、彼の幸福と快楽の裏側を塗り潰した。

だから、一層。

九龍を求める彼の蠢きは激しさを増して、やがて、苛烈、と言える程の猛々しさを持った。

裏側を塗り潰したモノに、突き動かされて。

「甲ちゃ……っ。ちょ……。こーたろ、う……っ」

追い立てようとするのとは何処か違う、寧ろ、惨いとも言えるやり方に、九龍は息を飲んだけれど。

彼の訴えは、甲太郎には届かなかった。

聞き届ける気も、余裕も、甲太郎の中からは消えていた。

……もう間もなくやって来るだろう、『終わり』を迎えても。

九龍を守ることも、傍らに立つことすらも出来なくなって、二度と、永遠に、逢えなくなっても。

彼が欲しいと言った、己が与えるモノが、彼の中から、決して消え去ることないように。

己と言う存在がこの世から掻き消えたとしても、九龍が、己以外の誰かとは抱き合えなくなるように。

心だけでなく、躰までも、『皆守甲太郎』のみを求めるように追い詰めてしまいたいと、甲太郎は思った。

……いっそ、蹂躙してしまいたかった。

たった一回の結び合いを経ただけで、誰かを抱くことは固より、自分以外に抱かれることすら出来ぬ躰になってしまえばいいと。

そうしてしまえば、少なくとも、『葉佩九龍』の一部であり続ける躰は、死ぬまで己を忘れない。

「……っ、甲ちゃ、ん……っ。何、でそんな、に……っ。……この仕打ち、は……鬼、通り越して……る……っっ」

呼吸とも啼き声とも付かない音だけしか絞り出せない喉を、何とか震わせ、九龍は訴えながら、振り上げた拳で甲太郎の背を叩いた。

けれど、余りにも力なかったそれは、唯、身勝手な男の背を撫でただけで終わり、だと言うのに。

「何が気に入らない? 俺は唯、お前を俺のモノにしてるだけだ」

ふん、と九龍の訴えを鼻で笑った甲太郎は、背を叩いた手を掬い上げ、いとも簡単に、もう一つの手と共に、片手で、シーツの上に縫い止めてしまった。

「……こンの…………エロオヤジ……っ! むっつりスケベ……っ」

「…………ムカつくこと言ってる暇があるなら、もう少し、そそる声の一つも上げてみせろ?」

左手と膝頭で器用に、深く脚を開かせ、大抵のことを卒なくこなしてみせる質を、こんな場面でさえ発揮し、何時の間に傍らから手繰り寄せたのか九龍には判らなかった瓶から取ったローションの滑りを、必要以上にたっぷりと乗せた指先を、甲太郎は、粘度の高い液体が、クシュリと崩れる音をわざと激しく立てながら、悪態を喚いた九龍の中に、少々乱暴にねじり込んだ。

「ひ……っ。こ、うちゃ……ん……っ。き、ついっ……」

怖れていた痛みを全く感じなかった代わりに、酷い違和感と、思いもしなかった痺れに襲われ、九龍は腰を捩らせたが、指先は、容赦無く蠢き続け、数を増やし続け、それを含んだ入口と、探り当てられた最奥の一点が、快楽、としか表現しようのない疼きを、九龍に教えた。

「…………甲ちゃ……。あっ……。あ……」

──仕打ちを、酷い、と九龍が思うことは有り得なかったけれど。

悪態の一つくらいはぶつけてやりたいと、噛み締めていた唇を彼は薄く開いて、でも、洩れたのは、甲太郎の名と、喘ぎだけで。

知らぬ間に、両の手首を押さえていた甲太郎の手が外れても、抗うことなど忘れ、九龍は唯、織り目が引き攣れる程シーツを握り込み、限界まで脚を開かれた痴態を晒している己を顧みることも忘れた。

「あ、のさ……っ。甲ちゃ、ん……っ」

────ひたすらに、弄ぶように抱かれ続けて、やがて。

少しでも早く楽にして欲しい、そんな思いで九龍は満たされ始め。

「……ん?」

「………………っ……、イ……かせて、貰え……ると、嬉しい……ん、です、が……っ……」

「…………どうして?」

「あ、のな……。この、ヤロ……っっ。……俺……も、限界…………っっ」

「だとしても。果てる時は、共にでなけりゃ許さない」

けれども、甲太郎は。

意地の悪い、だのに、この上もなく愛おしいモノを見ている笑みを拵えると、恋人の中に、己をうずめた。