生憎レトルトしかないが、米は炊いてあるから暖めるだけで食べられる、と言われたけれど、朝から、夕刻に至った今まで何も食べていなかった九龍は、カレーにあり付けるまでの、その僅かな時間も待てなかった。

「腹減ったー。腹減ったー。甲ちゃん、腹減ったー!」

故に、シャツ一枚を羽織っただけで、未だにベッドに半身を突っ込んだまま、極狭キッチンに立った甲太郎に、彼は腹減ったコールを延々ぶつけ。

「うるさいっ。何処の雛鳥だ、お前はっっ」

菜箸を握り締めたまま振り返った甲太郎は、ギロっと一睨みしてから、勉強机の上の売店の袋から何やら取り出し、ぴーちくぱーちく囀る九龍の口に、ぽいっと放り込んだ。

「うぇっ? な、何っ? …………あ、れ? 甘い。飴?」

「ああ。ミルクキャンディ」

「……甲ちゃん? その心は?」

「俺が、黙って白旗上げるしかないくらい、隙のない説を立てられたら、売店で飴玉買ってやるって言ったろ?」

「え。じゃあ甲ちゃんは、夕べのあれ、ホントに飴玉買ってくれるくらい、納得してくれたってこと?」

舌に乗せられたブツは、甘い甘いミルクキャンディだと知って、その意図も知って、パッと、九龍は顔を輝かせる。

「まあ、な。細かい粗は、当然目立つが、まあ、妥当な線だ。今の処、あれ以外に適当な説明も見当たらないしな」

「粗、ねえ。それは、俺も思うんだよねー。でも、粗筋が判れば、細かい所には目を瞑ってもいいかな、とも思う訳さね。あそこ暴いて、《墓》が只の遺跡になって、皆が解放されれば、俺的には万々歳。仕事だから、《九龍の秘宝》はきっちり狙わせて貰うけど。…………でもさ、甲ちゃん」

だが、捻くれ者で難癖付けたがりで、だと言うのにきっちり正論を持って来る傾向のある甲太郎にも自説を認めて貰えた! との喜びを、九龍が見せたのは一瞬で、直ぐに彼は、面を曇らせた。

「何だよ」

「あそこの秘密とかが、本当に俺の考えた通りだったとするじゃん? だとすると、小夜子ちゃんと真夕子ちゃん曰くの古代の叡智な《九龍の秘宝》は、一七〇〇年以上も昔、どっかの馬鹿野郎達がやった、不老不死の研究に関わってる可能性が大っしょ?」

「ま、そう考えるのが順当だろ」

「馬鹿野郎達も手に負えなかったっぽい『王様』まで生み出しちゃった、人間なんかが手を出しちゃいけないんじゃないかなー、な研究成果を、幾ら《秘宝》だからって、ロゼッタに任せちゃっていいのかな…………」

「…………九ちゃん。俺は、ロゼッタ協会ってとこを、お前から聞いた程度でしか知らない。だから、お前のその問いに、是とも非とも言ってはやれない、が。一応だろうと何だろうと、お前はロゼッタ所属のハンターだろう? 《九龍の秘宝》は、人の手には余る代物かも知れないが、それを渡すのを躊躇う程、お前の『上』はヤバイのか?」

彼の憂いの理由を知り、皿にカレーを盛りながら、甲太郎は眉を顰めた。

「……正直言って、判らない。ロゼッタ協会は、表向き、遺跡保護を主だった活動内容にしてる非営利団体で、宝探し屋版・農協としての看板も、『古代より齎される未だ見ぬ秘宝を、人類の発展と平和の為に』だけど。少し、思う処が出て来ちゃったんだよね、今回のことで。……そりゃ、ロゼッタは、極悪非道な悪の団体じゃないし、レリックみたいなテロ集団でもないし、とっても真面目な職員の人達とか、情熱満載なハンターとかも沢山いるし、創設者の志は高かったのかも知れないけど。俺は、ロゼッタが本当は何考えてるのか知らない。それに……俺なんかよりも遥かに、普通に生きてたら一生縁を持たない裏側の世界もよーーーく知ってる兄さん達は、どうにも、ロゼッタのこと信用してないっぽいし……」

「龍麻さんと京一さんが、ロゼッタのことを信用しないのは、黄龍の所為じゃないのか? それに、連中が信用しないのは、ロゼッタだけじゃない」

「それはあるんだろうなあ……。黄龍そのものは、暴走さえしなきゃ、やることも考えることも、殆ど龍麻さんと一緒だって判ってるから、俺は怖くないけど、『力』だけ見れば、この世界だって屁でもない力だもんなあ、黄龍……。…………考え過ぎ、かな。色々、使わなくていい所にまで、多くない知恵使っちゃってるのかな……」

渡されたカレーをぱく付きながらも、九龍はボソボソと不安を語り。

「手に入れてから、どうするか決めたって遅くないだろ? それに、そのことはよく考えた方がいい。入手した《秘宝》をロゼッタに渡さないってのは、ロゼッタの所属ハンターには、重大な違反行為だろ? 下手な選択をしたら、揉めるぞ」

己や青年達は知る、ロゼッタの、九龍に対する扱いと仕打ちを、脳裏の片隅に強引に押しやって、甲太郎は、今、それを考えても仕方無いと、軽く九龍の額を弾いた。

「……たーしかに。退会するしない、処じゃ済まない話になるかんね。……考え過ぎんのは、やーめよっと! カレーが美味しくなくなるっ! …………あ、そりゃそうと、こーたろーさん? ひじょーーーー……に、深刻なご相談が一つあるんですが」

ピシリとヤられた額を、スプーンを掴んだまま手の甲でこしこし擦って、思考作業を放棄した九龍は、若干声のトーンを変え、チロっと甲太郎を見た。

「今度は、何だ?」

「べーーーーー……ったり、全身隈無く『痕』付けてくれた責任、どーやって取って頂けるんでしょーか。……日本の冬は初体験、な葉佩九龍君的にはですな、クリスマス目前なこの季節、出来れば風呂に浸かってゆっくり暖まってから寝たいんですよ。痕が消えるまで、シャワーだけってのは侘しいのですよ。探索の疲れも取れないし。でーもー? こんなんで寮の風呂に入るなんて、冗談じゃないから。……どうしてくれるんだ、甲ちゃんの馬鹿」

「借りに行けばいいんじゃないか? 何時もの所に」

「あそこに借りに行ったら、脅威の野生の勘をお持ちな御仁に、速攻でバレるかもじゃんか」

「もうバレてる。そんな心配は今更だ」

九龍から洩れた苦情に、甲太郎は肩を竦めつつ、手っ取り早い打開策と、『己達の恥』を伝え。

「……………………はい……?」

目一杯、九龍は瞳を見開いた。

「お前が寝ちまった後、売店に行った帰り、マミーズの傍であの二人に行き会ったんだ。何で、なのかは俺にも判らないんだが……一目でバレた。挙げ句、からかわれた。…………九ちゃん。俺は何時の日か、絶対に、京一さんを蹴り飛ばしたいと切に願ってるんだが、どう思う?」

「じゃ、俺は殴る。龍麻さんが、いいって言ったらだけど……って、そうじゃなくて! バレた? 一目で? …………甲ちゃん。あの人、何者……?」

「いっそ、俺がそれを知りたい。あいつのそういう部分は、絶対に、獣並だ」

「喋る口がある分、獣よりも質悪いかもよ? 恐ろしい……。恐ろし過ぎる、野生の勘……。……ま、そういうことにもあけすけで、俺達のことからかい倒して楽しんでるよーな悪趣味な処、京一さんってあるけど、あの人って裏表も悪気もないから、許せちゃうんだけどさ。……或る意味、人徳?」

既に、自分達の『ステップアップ』を悟られた、と教えられ、九龍は、激しい驚きと呆れを見せたが、あの人だから、と苦笑する。

「人徳……か? あいつは、それはそれは食わせ者だと思うがな。計算してやってるんじゃないってことだけは判るが、底は見えないし。馬鹿な振りをしてる節もあるし……、それに、あいつは……京一さんは…………」

「京一さんが、何?」

「……いや、何でもない。兎に角、もうバレてるから。シャワーじゃなくて風呂入りたいなら、あそこまで行け」

風呂をどうする、の話から、京一の人となりの話に傾れ込んで、己でも知らぬ間に言い掛けたことを、何とか甲太郎は飲み込んだ。

丁度二ヶ月程前、一人《墓》に潜ったのを知られたあの夜、音も気配もなく、あっさり背中を取られたことも、怒りを湛えた、まるで修羅のようだった瞳も、殺されるかも知れない、と思ったあの瞬間も、彼は忘れられずにいるから、心の片隅で、京一のことを『怖い』と思う瞬間が未だに多々あり。

それを、うっかり言い掛けてしまった。

お前がそういう男である限り、最後まで味方をしてやる、と言ってくれた『怖い』彼をも、そう遠くない日、己は裏切ることになるかも知れない、と思っているから。

…………でも。甲太郎はそんな自分を押し殺して、カレーの最後の一口を食べ切った。