十二月二十一日、火曜。

今週土曜日は、待ち侘びた二学期終業式、と生徒達の浮つきが一層増して来たその日も、天香学園は朝から賑やかで、昨夜、鍵の掛けられた弓道場に忍び込んで荒した者がいるらしい、との噂を、皆はしていた。

弓道部の現部長は神鳳で、生徒会会計である彼のテリトリーに忍び込んだ挙げ句荒すなんて、度胸がある云々以前の話だ、と。

その噂は、九龍と甲太郎の耳にも届いて──因みに、それを二人に喋ったのは明日香だった──、そんな根性を持ち合せている輩は、一般生徒ではないだろう、との考えと、順番から言えば、《墓》の次なる番人は神鳳だ、との推測より、九龍はその噂を、注意深く嗅ぎ回ろうとした。

神鳳の領域を侵せる、一般生徒では有り得ない誰かは、ファントムなのではないか、とも彼には思えたので、夜の書庫室で出会した時、亡霊が洩らした、『鍵』とやらに関係している話だったら、到底見逃せないし、と。

が、二時限目終了後の休み時間、九龍は、月魅に捕まった。

調査のことが頭を掠めないではなかったが、付き合って欲しい所があるから一緒に行ってくれないか、と乞われ、友人の頼みだし、と二つ返事でそれを引き受け、己達の教室に彼女が姿を現し、話し掛けて来た辺りから、傍目にも判る程、急激に機嫌が悪くなった甲太郎の放つオーラに怯えつつ、彼女に同行した。

「それで、どうなんですか先生」

「身体的に異常は見当たらないが、少し氣が乱れているな」

「氣……ですか?」

「そうだ。昨日辺りからそういった症状の生徒達が増えている。頭痛、肩凝り、不眠──。中には、夜中に墓地を彷徨っていたり、突然、覚えのないことを喋り出したという症状の報告も受けている。…………葉佩、君はそういった症状はないか?」

──月魅に連れて行かれたのは、保健室だった。

彼女はここ最近、言ってみれば夢遊病のようなものに悩まされていて、部屋で寝ていた筈なのに、気が付いたら図書室にいる、ということを幾度も経験しており、更には、何者かが呼ぶ声が聴こえる気もするので、瑞麗に診て貰いたかったらしい。

が、瑞麗の診察は、割合あっさりと終わって。

「俺ですか? 俺は、そういうこととは無縁です! 大丈夫です、ばっちりです!」

話を振られた付添人の九龍は、元気一杯に答えた。

「そうか。確かに君は、普通の人間にしては強い氣の持ち主だからな。だが………。……まあ、いい。──これ等の症状は、どうやら単なる疲労やストレスが原因ではないようだ。何らかの霊的障害を受けている可能性が高い。この学園では以前から時折そういった症状が見られたが……、ここの処、どうもその影響が強まっているような気がしてならない」

「霊的障害……」

彼の、有り余る元気の良さに苦笑し、肩を竦めた瑞麗は月魅へと向き直って、霊的障害、と言われた途端、月魅は顔を青くした。

「七瀬、本当に大丈夫か?」

「あ──はい。だ、大丈夫です」

「……そうか。余り酷いようなら又来るといい。葉佩も無理は禁物だぞ。誰も君の代わりにはなれないのだからな」

「はい!」

「ここには、君を案ずる者が沢山いることを忘れるな。……みなか──あ、いや、皆に心配を掛けたくはないだろう?」

青褪めた彼女を心配しながらも、瑞麗は再び九龍に横目を流し。

「判りました。有り難うございます、先生」

「それじゃ、ルイ先生、又ー!」

月魅と共に、九龍は保健室を後にした。

「どうやら、こういった症状に悩まされているのは、私だけではなかったみたいですね。それで安心したという訳ではないですけど、原因がこの学園にあるというのなら……、私自身でその原因を突き止めることが出来るかも知れない。ふふ、そう考えたら元気が出て来ました。九龍さん、わざわざ付き合ってくれて有り難うございました」

一階廊下を並んで歩きながら、月魅は、らしいことを言い出し。

「いやいやいや。友達な月魅ちゃんの頼みだかんね。何時でも言って?」

何処までも元気一杯九龍は応えて、そこに。

「はい。……ふふ、九龍さんに付いて来て貰って良かったです」

「よぉ、お二人さん」

夕薙がやって来た。

「あ、大和だ。おはよー」

「どうやら、今日の保健室は大盛況らしいな」

「あら、夕薙さん。……書庫室の鍵なら、隠し場所を変えましたからね」

「判ってるさ。今度は壁際の棚のゲーテ全集第二巻の裏だろう?」

──!! 何てことかしら……。又、新しい場所を考えなくては……」

「それより、葉佩。君は身体の方は何ともないか?」

「おう! まーかせて!」

「ははっ。判った判った。流石は葉佩だな」

行く足を止めた彼等は、廊下の隅に固まって、立ち話を始める。

「あの、もしかして、夕薙さんも……ですか?」

「ん? いや、まあ俺は特に何ともないんだが……。そうか、保健室に用があったのは七瀬の方か」

「え、ええ……。ここ数日、どうにも身体の調子が良くなくて……」

「そりゃあ、毎晩眠る暇もなく、得体の知れないものに駆り出されてればな」

立ち話の中味は『健康』に関してで、そんなことを、あっさりと夕薙は言った。

「な、何故それを……」

「何も、君だけのことじゃない、どうやら事は学園全体に広がっていそうだ。すると、やはりあれが原因か……」

「…………大和? 何か、心当たりがあったりする?」

「……どうも墓守の爺さんの目を盗んで、墓地を荒した奴がいるらしい。荒した、と言っても、掘り返されたりっていうんじゃない。氣の感じが違うんだ。そこにあるべくして蟠っていた筈の重い空気が、今は殆ど感じられない。言うならば──誰かが解放したかのような……」

「ふうん…………」

そして更に彼は、心当たりを語り、九龍はまじまじ、彼の面を覗き込む。

「つまり……その、何かの……霊が?」

オカルトめいて来た話に、月魅は、若干体を強張らせたものの。

「……俺は祟りだ呪いだなんてのを信じている訳じゃないが、何らかの大きな変化を感じ取ってしまったのは確かだ。だから一応、葉佩には伝えておいた方がいいと思ってな」

「……あの……九龍さん、もし良かったら、少し図書館へ寄って行きませんか?」

調べたことを聞いて欲しいと、彼女は九龍を図書館へと誘って、一同はそのまま、二階中央棟へ向かった。