始まって程無い昼休み。

きゃあきゃあ騒ぎながら、九龍は『H.A.N.T』の画面を、明日香は携帯の画面を、それぞれ見せ合っていた。

「白岐サンから、温室へのお誘いメール! えっへへー。何か、友達ーって感じだよねー。うんうん! あたしも、九チャンも、白岐サンも、皆守クンも、友達ーって」

「判る判る、その感じ!」

三時限目が終わる頃、明日香と九龍に、幽花から、『温室の花が綺麗に咲いたから、気が向いたら、何時でも構わないから見に来て欲しい』という内容のメールが届いて、二人は、そのメールを見せ合いはしゃいでいた。

徐々に打ち解けているとは言え、これまでは、明日香が幽花を誘って何かをする、というのが大抵で、幽花から明日香へ、とのパターンは、今回が初めてらしく。

「あっ!」

興奮気味に喋りながら、彼女はぶんぶん携帯を振り回し、勢い、飛ばしてしまった。

──おっと。馬鹿。携帯電話なんか振り回すな」

が、手よりすっぽ抜けた携帯を、九龍の傍らにいた甲太郎が掴んで、ポイっと彼女へと投げ返してみせ。

「一応精密機械なんだから、もう少し大事に扱え」

「えへへっ、ありがと、皆守クン」

「……おう」

目を見開いた彼女は、投げ返された携帯と甲太郎を見比べつつ礼を言って直ぐさま、グッと九龍の腕を掴み、少しばかり彼から離れた所で囁き始める。

「ねえねえ、九チャン。皆守クンってさあ、鋭いのか鈍いのか、イマイチ判んなくない? 今だってあたし、携帯受け止めてくれた皆守クンの手……、何時どうやって動いたのかよく見えなかったよ? ……ね、九チャン。ここは一発、二人で真相を確かめてみない?」

「うぇ? 真相? や、やー……真相も何も無いと、思うけ、ど、なあ……」

こそこそと、楽しそうに明日香が言い出したことは、彼女的には、甲太郎の一寸した不思議を解明するだけの、所謂、旺盛な好奇心の発露で、しかし九龍的には、彼と甲太郎の間では、一応、知らないこと、気付かれていないことになっている、『皆守甲太郎《生徒会関係者》疑惑』の、正しく真相に繋がることで。

目一杯視線を泳がせた九龍は、辿々しく言った。

彼の脳裏には、たった一人で《墓》に潜って行った甲太郎の後ろ姿が、酷く厳しい気配を漂わせて、京一とやり合った甲太郎の後ろ姿が、鮮やか過ぎる程に甦っていた。

「うん? 九チャン、ひょっとして、何か知ってるの?」

「そんなことない! 知らない! 甲ちゃんは、普通よりも、ちょーーーっと鋭いだけなんじゃないかなー、と思うだけでさ。だから別に、確かめるまでもないんじゃないかな、と」

「えー。そういうのって、何となくすっきりしないじゃない! 一寸くらい試してみようよっ。ね?」

とてもとても遠回しに、嫌だと九龍が訴えても、明日香はそれを、甲太郎に対する遠慮としか受け取らず、企みを引っ込めてはくれなくて。

「う、うん。そ、だね……」

仕方無し、曖昧に彼は頷いてしまって。

「そうこなくっちゃ! で? で? どうやって皆守クンにアタックする? 後ろから蹴ったり殴ったりしてみる? それとも、突き飛ばしたりしてみる?」

「え、ええっとぉ……。問答無用で蹴ったり殴ったりしたら、甲ちゃんに、俺が、倍返しされる気がするからー……。うっと……。……後ろから、飛び付いてみたり……する?」

殴ったり蹴ったり突き飛ばしたりして、うっかり、甲太郎の『条件反射』が出てしまったら、それこそ『取り返し』が付かないと、九龍は、戯れ合いの範疇で留まる道を選択した。

何時ぞやの体育の時間、夕薙が蹴ったボールをわざと避けなかった筈の甲太郎なら、抱き着くくらいなら黙ってやらせてくれるかも知れない、と期待して。

「成程……。それって結構ナイスアイディアかもっ。皆守クンって、スキンシップに慣れてなさそうだから、凄いびっくりするだろうなぁー……。えへへっ。よーしっ!! じゃあ『せーのっ』で一緒に行こうね?」

すれば明日香は益々はしゃぎ、楽しそー……に、自分達に背を向けたままの甲太郎を盗み見て。

「せーのっ!! ──行っけぇー、九チャンっ!!」

言われた通り、掛け声と共に甲太郎へと向き直った九龍の背を、ドン! と突き飛ばした。

「うわっ!」

「あぁ?」

でも。

これなら確実に成功する筈! な明日香の期待も、黙って抱き着かせてくれるかも! な九龍の期待も甲太郎は裏切って、するりと体を躱し。

「……何やってんだ、お前は」

勢い、机に突っ込み掛けた九龍の胸許を、身を躱し様掬い上げて、机との正面衝突から救った。

「御免…………。えっと……」

「こいつの馬鹿は何時ものこととして。……八千穂」

「あはは…………。いや、その、何と言うか。皆守クンは、どれくらい反射神経がいいのかなー、なーんて思ったからさっ」

「はあ?」

「兎に角、そういうこと! 皆守クン、本当は鋭かったんだねー」

「そんなこと、決まってんだろ、と言いたい処だがな。あんだけ、人の後ろでごちゃごちゃやってりゃ、嫌でも気付くぞ」

「あ……、バレてたんだ」

抱き抱えるように九龍の体を支えたまま、ギロっと明日香を睨んだ甲太郎は、誤摩化し笑う彼女に、呆れた声で『理由』を教え。

「甲ちゃん。深く反省してるから、離してくんない?」

「あ? ああ。────九ちゃん、俺は、背中にも目があるんだ。……覚えとけ?」

捕獲を解除しろと訴えた九龍の耳許で、小声で、そう囁いた。

「……甲ちゃん…………?」

どうして彼は、そんなことを、と。

零れる程目を見開いて、九龍は恋人を見上げたけれど。

「あたし、昼休みは月魅の話聞く約束してたんだっけ。行かなきゃ。……そうだ! 九チャン、白岐サンに、放課後、温室に行くねって返事したんだ。九チャンも一緒に行かない? 皆守クンも!」

明日香に、話を幽花のメールのことに戻されてしまい、彼の訝しみは宙に浮いた。

「八千穂っ。何で俺も括るんだよっ」

「いいじゃない。九チャンと皆守クンは、セットみたいなもんじゃない。白岐サンが一生懸命育てた花、わざわざ見せてくれるって言ってるんだよっ。……あー、何か嬉しいなあ……」

「お前の気持ちは判るがな。あいつが誰かと一緒に温室にいるのなんて、今まで見たことがないから」

「あれ? そう言う皆守クンこそ、温室になんて行くの?」

「…………以前はな。まあ、昔の話だ。──それよりも、九ちゃん、飯にしようぜ」

「あ、うん、行く行くー! マミーズっしょ?」

「当然」

どうして。今。それを。……との、九龍の想いは浮いたまま。

明日香と甲太郎は、温室絡みの話を少々言い合って、彼女は図書室の月魅の許へと向かい。

彼は、九龍を昼食へと促して。

明るく笑いながら、甲太郎と肩を並べ、廊下を行き出しはしたものの、九龍は、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

己の想いや望みとは掛け離れた、遠い所へ道が続き始めているような、そんな、嫌な予感を。