図書室は、無人だった。

月魅の姿も、司書の姿もなかった。

「月魅っ。月魅ーーっ!」

「月魅ちゃーーんっ。あれ……?」

「書庫室が開いてる」

ならば、と解錠されていた書庫室へ三人は入り。

「月魅ー?」

「七瀬? いないのか?」

「月魅ちゃ──。……あっ」

途端、独りでに書庫室の扉が閉まった。

「扉がっ!」

「ちっ……」

「葉佩君。約束通り、迎えに来ましたよ」

明日香と甲太郎が、音もなく閉じた扉を振り返ったその奥から、神鳳が姿を現す。

「……やっほ」

「君に、これ以上好き勝手にされるのは迷惑なのです」

「あっ。そういう言い方するんなら、俺も言い返すぞー? 迷惑だー、って」

「九ちゃん。子供の喧嘩じゃないんだ、止めろ。──神鳳。大和の言ってた墓荒らしってのはお前か」

「荒した? 僕が? とんだ誤解ですよ、皆守甲太郎君。──僕には聞こえるんですよ。彷徨う霊魂の嘆きが……。あの墓地に眠る霊達が墓荒らしに裁きを下せと呪う声が。だから僕は葉佩君に恨みの声を上げる霊達を解き放ってあげただけです」

「じゃあ、皆があんな風になっちゃったのは、君の所為なんだね!」

「悪いのは、この地に土足で踏み込んで来た彼の方です。お陰で、この地に眠っていた多くの者達が迷惑しているのですよ」

珍しく、機嫌を損ねているような顔付きで非難して来る神鳳に、九龍は子供のように言い返し、溜息を零した甲太郎は、馬鹿、と九龍の襟首引っ掴みながら冷たく神鳳を見据え、明日香は、怒ってるんだぞ、とばかりに声を張り上げたが、神鳳は、淡々と言葉を重ねた。

「……本当に、そうなのか?」

「…………何ですって?」

「本当に、お前の言う通り、あの墓地に眠る霊魂は、九ちゃんが墓地に踏み込んだことを迷惑と思っているのか、と訊いてるんだ。本当に、墓荒らしに裁きを下せと、お前に怨嗟を囁く霊魂はいるのか?」

「皆守君。それは、どういう意味ですか。僕が、嘘を吐いている、とでも?」

「そうは言ってない。お前の言うことが唯のはったりなら、学園の連中は、ああなってないだろうからな。……あの墓地の霊魂とやらが呪う誰かは、本当に、九ちゃんなのか?」

「僕には、君が何を言いたいのか理解出来ませんよ、皆守君。あの墓地の霊魂達が、怨嗟の声を上げているのは確かです。僕には聴こえます、彼等が、安らかな眠りを求め、それを妨げる者を呪う声がね。それが一体どれ程のことか、君達には判らないかも知れませんが。…………葉佩君。君は、自分のしたことの責任が取れるつもりでいるんですか?」

毅然と立つだけの彼に、甲太郎は問いをぶつけ、が、それを理解し得なかった神鳳は、訳の判らないことを言う者など相手にしていられぬと、九龍へ向き直り。

「責任? ……勿論、取るつもりでいるよ。だから俺は、あの《墓》の最奥を目指してる。何より、俺自身の為に。……偉そうなこと言っていいなら、皆の為でもあるけどね。あ、皆の中には当然、充も入ってるからなー?」

当たり前だと、九龍は胸を張った。

「………………。……しかし、これだけ死霊達の渦巻く中で、君達はよく無事でいられますね。大した意志の強さです。その点に付いては、感服しますよ」

「え? それって……?」

すれば神鳳は、驚いたように、まじまじと九龍を見詰め、少しばかり話題を逸らし、ん? と明日香が首を傾げた。

「霊的障害とは、死霊・生霊に拘らず、強い念が起こすものです。故に、不安や不満、絶望と言った闇を心に抱えれば抱える程干渉を受け易くなります。或いは、未知なるものの囁きに耳を貸してしまうような、強い好奇心も又危険です。逆に、強い意志を持つ者には、霊的障害は余り作用しません。……ですが、葉佩君。君の意思がどれだけ強かろうとも、《生徒会役員》である僕の《力》の前では、何の抵抗も出来ない。残念ながら、唯の口寄せと言う訳ではないんですよ」

彼女の問いに答えているようで、その実、そうではなかった神鳳は、すっと九龍へ一歩近付き、パッ……と、自身の体より、強い氣を迸らせた。

「やっ……。あ、頭がッ!」

一瞬にして、書庫室全体を覆った彼の強い氣を受けて、真っ先に、明日香が両のこめかみを押さえて踞った。

「く……そっ……」

流石に、甲太郎もそれには抗えなかったらしく、顔を苦悶に歪めたが、何とか、九龍の襟首を掴んでいた手を、そのまま肩へと滑らせ、抱き込むようにし。

「甲ちゃんっ。明日香ちゃんっ。しっかりっ!」

暖かいを通り越し、熱くなり始めた胸許の『お守り』を押さえながら、「良かった、こういうことにも効く!」と九龍は、神鳳の《力》を何とかしようと模索し始め。

「葉佩君も君達も、ここで大人しくしていなさい。やがて霊達が君達を迎えに来ます。罪深き墓荒らしを黄泉へと連れて行く為……──。……この気配は……?」

未だ、九龍が動けると見るや、神鳳は、更に氣を膨らませたが、書庫室の奥から、何かが崩れる音を聞き付けるや否や、彼は駆け出して行った。

「二人共、大丈夫っ? 平気かっ? 甲ちゃんっ。明日香ちゃんっっ」

「あ、うん……。もう、大丈夫……」

「俺も平気だ。一体、何だってんだ……」

「……良かったー…………。二人共平気なら、充、追い掛けようっ!」

「そうだな。外の状況がどうなってるかも判らないし、もし七瀬がいたら、放っておく訳にもいかない」

「そうだ! 月魅っ!」

氣の放出が止まったのだろう、明日香も甲太郎も苦痛から解かれ、常通りの表情を取り戻し、三人は、神鳳の後を追った。

『ない……。何処だ……。何処にある……。あの《鍵》さえあれば……』

──飛び込んだ、書庫室の奥にある小さなスペースには、床に踞る月魅と神鳳がいた。

が、月魅の口から洩れる声は、彼女の物では決して有り得ぬ、低い男の声だった。

「……何処だ……。《鍵》だ……。《鍵》は何処だ……。人の子よ──墓荒らしの子鼠よ。貴様はもう、見付けたのか?」

やって来た九龍達の気配に気付いたのか、月魅に取り憑いているらしい『男』は、ぞろりと九龍を振り返りながら、恨みがまし気に見上げて来た。

「…………さー? 何のことでしょーねー?」

「フン……。あれだけ《墓》を彷徨って、未だ見付けられぬと言うのか……」

「見付けた処で、教えたげないよー、だ」

「月魅ッ!? どうしちゃったのっ?」

「これは──。僕の呼んだ霊とは違うようですね」

恨み節だけを綴る『男』に、べー、と九龍は舌を出してみせ、明日香はオロオロと月魅の異変に戸惑い。

神鳳は、先程とは違う気配のする氣で自身を覆い始めた。