「彼岸花はね、私の一番好きな花なの。花言葉は、『悲しい想い出』。悲しい想い出をこの花に語り掛けると、不思議と和み、癒されると言う言い伝えがあって……」

「へぇ……。そうなんだ。それは知らなかったな。こんなに綺麗に、燃えてるみたいに咲く花なのにね。……あ、そうか。彼岸花は、語り掛けられた悲しい想い出を、燃やしてくれてるのかな。だから、こんな風に咲くのかな?」

一面の花を見遣った彼等の直ぐ傍に咲いていたのは、炎のような花を咲かせる彼岸花で、幽花が語った言い伝えに、明日香はしみじみとした。

「お? 今日は、明日香ちゃんも詩人モード?」

「そんなことないって。からかわないでよ、九チャンまで! 照れちゃうじゃないかーっ。──ええっと。あっちの花は……?」

そんな彼女を、九龍がちょいと突けば、明日香はポッと頬を赤らめて、慌てて彼岸花から目を逸らし、少しばかり離れていた所で咲き乱れていた花を指した。

「ああ、あれは、ラベンダーよ。丘紫という種類なの。私達が一年の頃、あの花を育てていた先生がいて……。でも、行方不明になってしまったから、それ以来、私が」

「へー……。そうだったんだあ……」

「…………丘紫、かあ……。この温室に咲いてるなんて、思わなかったな」

「良かったら、少し切りましょうか?」

明日香が見遣ったそれは、小さな紫色の花を鈴なりに咲かせる丘紫で、じっと、数多咲き誇るラベンダーを見詰める九龍の様子を窺った幽花は、傍らの台の上に置かれていた花鋏を取り上げた。

「……………………っ」

──そっと、彼女が花鋏を取り上げるや否や。

甲太郎は息を詰め、強く、制服の胸許を握り込んだ。

「甲ちゃん……? どうかした? 顔色悪いよ?」

「いや……。何でも、ない…………」

「何でもない訳ないっしょ。顔色、真っ青……って、甲ちゃんっ!?」

異変に気付き、九龍は彼を気遣ったが、青褪め切った顔色の面を酷く酷く歪め、甲太郎は何も言わず、逃れるように駆け出してしまった。

「甲ちゃん! 甲太郎っ! ────御免、幽花ちゃんに明日香ちゃんっ! 又明日っ!」

「へっ? あ、う、うんっ」

「え、ええ……」

何事? と目を瞠るだけしか出来ない少女達に詫び、九龍は温室を飛び出した。

既に、甲太郎の後ろ姿は中央歩道の向こうに霞み始めていて、全速力で彼の後を追えば、辿り着いたのは、夕暮れに染まる墓地で。

「…………どうして、俺はここに…………っ」

整然と墓石が並ぶそこの入口に、駆けること止め、呆然と立ち尽くす甲太郎の傍らに、怖ず怖ずと九龍は寄る。

「……甲ちゃん…………?」

「あ、ああ……。……すまない、悪かったな…………」

「何か……遭った? 具合でも悪い?」

「…………いや。そういう訳じゃ……。唯……少し胸が痛くて、それで……」

「そっか……。……じゃあ、休んだ方がいいよ」

近付き、遠慮がちに制服の裾を引けば、蒼白の顔色のまま、甲太郎がぎこちない笑みを浮かべたので、九龍は彼を引き摺り、半ば無理矢理、手近な樹の根元に座らせ、己の肩に、頭を預けさせた。

「きっと、さ。きっと……甲ちゃんも疲れてるんだよ。ずーっと、俺に付き合ってくれてるじゃん…………」

「……かも、な」

「だから……少し休めば、きっと、さ……」

「…………ああ」

素直に重みを預けて来た恋人のこうべを左手で抱き込み、右手で、背を緩く摩ってやって、言い聞かせるように、九龍は囁く。

けれど、それ以上何をどうしたらいいのか、何を言ったらいいのか、彼には判らなかった。

────出逢った時からずっと、甲太郎は丘紫を香らせていた。

大抵、彼の口許には、ラベンダーを香らせる『あれ』が銜えられていて、何時だって、彼からは丘紫の香りがした。

……唯、単に。

甲太郎は、ラベンダーの香りが好きなのだろうと思っていた。

見遣ったその全てを刻み込めるような瞳を持っている彼は、夢を見る暇すらない程『全て』に満たされているから、眠りを誘う香りに埋もれているんだろう、と。

そんな想像を巡らせた。

『忘れること』を忘れて、彼がこの世に産まれて来たと知ってからは、尚更、そう思い込んだ。

想像を疑おうなんて、思い付きもしなかった。

…………でも。

甲太郎は、咲き乱れる温室の丘紫に、胸を痛めた。

逃げ出しもした。

そうして、向かった先は、『墓地』で。

だから……彼を包み込む丘紫の香りと、温室の花達と、『ここ』に眠る誰かは、もしかしたら。

────……九龍は、そう思わずにはいられなくなって。

何をしたらいいのか、何を言えばいいのか、判らなくなって。

唯、甲太郎を抱き締めた。

「…………甲ちゃん。甲ちゃん…………」

「俺は……大丈夫だから……」

こうする己が腕で、大事な愛しい人を、苦しめている何かから守ることが出来るなら……、と。

抱き締める手に力を籠めて、彼の名を九龍が囁けば、するり……と伸ばされた腕の、抱擁が返された。

「でも、さ……。……甲ちゃん……っ」

「嘘じゃない。嘘じゃないから。九龍…………っ」

大丈夫だと、平気だと言う甲太郎の腕は、言葉を裏切って余りある程強く、そして震えていて。

「あ、あの…………──

──今夜も、行くんだろう?」

「うん……。きっと、充が待ってるし……」

「なら、マミーズに寄って、腹拵えしてくか」

「えっ? もしかして甲ちゃん、一緒に行く気か?」

「……? それの、何が不思議だ? 何時ものことだろ」

「駄目! 駄目駄目駄目っ! 具合悪いくせに、何を言うかーっ!」

「…………平気だっつってんだろうが。お前が《墓》に潜るのを、黙って見送れるとでも思うのか?」

「だけどさー……」

「いいから。……ほら、行くぞ」

「……うん…………」

震える、痛い腕に、益々九龍は言葉を探し倦ねて、それでも辿々しく言い始めれば、呆気無くそれは甲太郎に遮られ、今宵迎えるだろう戦いのことでも押し切られ。

仕方無し頷きながら、するりと立ち上がってしまった彼を、九龍は追った。

「あ、のさ。甲ちゃん」

「何だよ」

「もしも、だけど。もしも、の話なんだけどさ。もしも……もしも甲ちゃんが、誰かに話せば楽になれるかも知れない、みたいなこと抱えてるんなら、その…………何つーか……。俺で良ければって言うか…………」

「…………もしも、そういうことを、俺が抱えてるとしたら。恋人のお前以外に、話す当てはない。……そういうことがあって、誰かに話したくなったら、その時は、お前に言うから。変な気、遣ってんじゃない」

半歩分だけ遅れつつ行きながら、半歩前の彼へ、九龍は小声で訴え。

振り返った甲太郎は、困ったように微笑みながら、九龍へと、左手を差し出した。