地上を目指しながら夕薙が語った話は、今を遡ること五年前の出来事だった。

中学を卒業して直ぐ、医師だった父の仕事を手伝う為に海外に渡った彼は、父と共に、戦地や被災地での医療援助活動に従事し、或る時、ハイチを訪れた。

中央アメリカの、西インド諸島・イスパニョーラ島にある、小さな国。

十五世紀末、新大陸と共に発見されて以来、決して優しいとは言えぬ歴史だけを辿って来たその島のその国の人々は、当時も貧困に喘いでいた。

ハイチにて、夕薙と彼の父が向かった村も、人々が暮すこともままならぬくらい疫病が蔓延する、満足な医療施設もない場所で、それ故にか、大昔からの伝統か、ヴードゥー教への信仰が篤く、ヴードゥーの司祭が全てを取り仕切っている閉鎖的な土地柄だった。

ハイチでは、一九八七年に、ヴードゥーは憲法にて正式に宗教と認められはしたが、未だに民間信仰の域は出ておらず、例えばゾンビを使役したり、呪術を駆使したり、といった側面の方が強く、村の者達も、当然のようにその側面を受け入れており、夕薙や彼の父達が、現代医学による治療を受け入れて貰おうと、どれだけ尽力しても、司祭の祈祷や呪術で流行病は治るのだと信じることを止めず、司祭や村人達と、夕薙達援助団との関係は悪くなる一方で、始めの内は、疫病の蔓延も、酷くなるだけだったが。

司祭の娘が、父である司祭の目を盗み、夕薙達に協力するようになってからは、徐々に、ではあったが、村人に治療を施すことも出来るようになったのだけれど……、或る日、何時ものように、夕薙達が、少女の協力の下、村人達に治療を施している所を司祭に見付かり、抵抗した夕薙の父は、数名のスタッフ達と共に捕らえられ、村人達に殺害された。

……司祭が、全ての厄災の原因が、夕薙達にある、と決め付けた所為で。

────司祭は、昔からの仕来しきたりを破り、村に乗り込んで来た異教徒を排除し、異教徒に手を貸した少女を生け贄として捧げなければ、神霊ロアの怒りは収まらぬ、と村人達に告げた。

それを知った夕薙は、少女を連れ、村を逃げ出そうとした。

一緒に、日本に行こう、と。

しかし、少女が首を縦に振ることはなかった。

夕薙達に協力しながらも、何処かで、ヴードゥーを信じていた少女は、「自分が生け贄になれば、全てを救うことが出来るかも知れない」、そう言って、夕薙の手を拒んだ。

「…………結局、俺は村人に捕まり、司祭に何か薬のような物を飲まされて、小屋に閉じ込められた。朦朧とする俺の前で、彼女は殺され──気が付くと、俺も又、儀式が行われていた広場へと連れ出されていた。……燃え盛る炎と祭壇。そして、血飛沫を浴びた神の像────。それを見た瞬間、目の前が真っ白になった。俺は無我夢中で村人の手を振り解き、その像を掴んで投げ捨てた。地面の上で、神像は砕け散って…………。……その後のことは、何処までが夢で、何処までが現実だったのか、よく憶えていない。暴風が吹き荒れて、倒れた松明から家々へと炎が飛び移って……、神の祟りに怯え、村人は逃げ惑い、祈りの声が上がって、俺を呪う幾多の声が響いて……──。……それは、夢だったのか、現実だったのか……今でも判らない。……唯、そんな、夢とも現実とも付かない光景の中で、真っ直ぐに俺を見詰めた司祭が言った言葉だけは、確かに覚えている。『お前が全ての元凶だ』と。『その身には、恐るべき呪いが降り掛かるだろう』と────

……遺跡の通路を辿りながら、何処か淡々と過去を語った夕薙の声は、大広間の、地上へと続く穴の真下に辿り着いた時、ふいっと途切れた。

一旦、口を噤んで彼は、九龍へ向き直り。

「父と彼女の命を奪ったのは、人間の無知なる悪意だ。今でも、俺はそう思っている。父が殺されたのも、まるで太陽のような笑顔を見せていた、あの少女が殺されたのも。……葉佩……君は、どうだ? 神や超自然的なものの大いなる意思とやらが、二人の死を……、村人達の死を、必然と定めたと思うか?」

真っ直ぐに、問うて来た。

「……そんなことない。そんな馬鹿なこと、ある訳がない。神様や、何かの大いなる意思とかの所為で、誰かが死ぬのは必然って定められるなんて、そんな馬鹿げたこと、あっていい筈無い。……神様は、何処かにはいるかも知れない。何かの大いなる意思とかだって、何処かにはあるかも知れない。でも。そのことと誰かの死が、結び付いたりなんかするもんか……」

「葉佩……。君ならば、解ってくれる。そんな……気がしていた。だから、もうそんな顔をしないでくれ。……有り難うな、葉佩」

真っ向からの夕薙の問いに、くしゃりと顔を歪めながら九龍は答え、泣き出しそうに歪んだ彼の面を見遣った夕薙は、困ったように微笑んで、有り難う……、と。

「俺は、超自然的な力など信じない。オカルトも神の奇跡も──この世の超常的な出来事の全てを。例えこの身が呪いとやらに捕われようと俺は認めない。何が祟りだ……、何が生け贄だ!! 父も、彼女も、あんな所で死ぬべきだったなど、俺は絶対に信じない」

「……夕薙さん、君の言うことは、半分くらいは正解ですよ」

貰い泣きを始めそうな九龍に背を向けて、叫ぶ風に吐き捨てた夕薙に、神鳳が静かな声を掛けた。

「……どういう意味だ?」

「貴方の言う通り、僕達《墓守》の持つ《力》も、恐らくは、根拠のない、超常的なものではない、ということです。多分、ですがね。僕には、その辺りの真実は判りませんから。……ですが、人の想いは──その魂は、肉体が滅んでも尚、生ける者の近くに在り、時としてその心身に影響を与えることさえあります。例え、その姿は見えずとも、今も君を案ずる声が、僕には直ぐ近くに聞こえる気がしますよ」

「……まやかしだ。そんなものは…………」

貴方の直ぐ傍に、貴方を案じる、亡き人々の声が在る、そう言う神鳳より、夕薙は顔を背けて。

「そう思うのは、君の勝手です。でも、『その声』が、直ぐ近くに聞こえる気がする、と思うのも、僕の勝手です。────それにしても、ヴードゥーの呪いとは……。村人達の怨嗟の声は、一体君に、どんな報いを負わせたのですか?」

「……外へ出よう。そうすれば……、全て解るさ」

彼は、その場の全てに背を向けたまま、呪いの正体を見せる、と地上へと登って行った。

「大和…………」

「……行くぞ」

「うん。…………大和……、好き、だったのかな。その娘さんのこと……」

「…………言葉にするな。多分……俺達が触れていいことじゃない」

「そ、だね……」

見る間に姿を消した彼を思い、辛そうに九龍は呟いて、言ってやるなと、甲太郎は緩く首を振った。

夕薙の後を追い、九龍達四人が這い出た地上では、月齢九夜の月が、丁度、雲の切れ間から顔を覗かせる処だった。

「月が出るな……。……よく、見ておくといい。これが、俺の……正体だ」

「え…………?」

──っ!! そ、その姿は!」

「嘘、でしょ…………?」

「大、和……?」

煌々と照り出した月光に彼が晒された途端、一同は息を飲んだ。

月の光が強くなるに連れ、夕薙の体が、干涸びるように、見る見る縮んで行ったが為に。

「月の光を浴びると、急激な老化が始まる……。これが……、俺の負った業だ……。俺は今まで、この姿で墓守の老人に成り済ましていたんだ……。ううっ……」

目を見開いた皆へ、あの、墓守の老人へと移り変わりつつある面で笑みを向け、呪いの正体と、己が墓守の老人だったことを告げながら、彼は倒れ込んだ。

「うわ、大和っ!」

「しっかりしろ、大和っ」

「夕薙さんっ!! 葉佩君、皆守君、兎に角、彼を寮へ運びましょうっ。双樹さん、瑞麗先生に連絡して下さいっ。早くっ!」

「判ったわ、待っててっ。そっちは任せたわよ!」

地面へと倒れ伏した彼を、慌てて少年達は取り囲み、咲重は、瑞麗の自宅へと駆け出して行った。