同日、深夜。
九龍達が、気を失った夕薙を、寮の彼の自室へと運び込み、咲重が瑞麗を叩き起こして、としていた頃。
阿門の屋敷には、『黒い影』が忍び込んでいた。
「ちっ、何処だ?」
影は、屋敷の一室を手当り次第に漁り、何かを探していた。
「何処に隠したっ!?」
しかし、探し求めるモノを、『影』は見付け出すことが出来ず、憤った様子で、辺りの物を撒き散らし始める。
「……何処にもない……。くそっ……!!」
「こんばんは。何か探し物かね?」
ガタガタと、騒がしい物色を続ける彼の背後で、気配なきまま、一人の男の声がした。
阿門邸の執事であり、バー・九龍のマスターである、千貫の声。
「随分と散らかしてくれたものだな? 折角、坊ちゃまの為に綺麗に掃除をしたのに、又やり直しではないか。少し礼儀を教えておく必要がありそうだ」
「く────っ!!」
只の執事とも、只のバーテンとも思えぬ気配と身のこなしで『影』へと千貫は近付き。
「逃がさんよ」
何時の間にか手の中に滑らせたアイスピックを、ダッと逃げ出した『影』へと投げ放った。
「うぐっっ」
空を切ったアイスピックは、確かに『影』へと命中したが、『影』は、ガラスを破る甲高い音を立てて、外への逃走を果たす。
「……ふむ……。上手く逃げられたようだが、手応えはあった。成程、あれが坊ちゃまの仰っていた、学園に棲む《幻影》か。ふふふ……面白い。……いや、面白いと言っている場合ではないな。やれやれ……片付けは朝まで掛かりそうだ……」
破られた窓を眺め、千貫は僅かだけ瞳を据えたが、『影』を取り逃がしてしまったことを、大して気に留めた風もなく流し、執事らしく、手早い片付けを始めた。
十二月二十二日、水曜の未明。
未だ夜明け前の、通る者の一人もない男子寮三階の廊下を、そっと開けた自室のドアの影から、幾度も九龍は覗いた。
「大和、大丈夫かな……」
「九ちゃん、少し落ち着け。俺達がいても、役に立たない処か処置の邪魔だと、カウンセラーに放り出されたんだ。一段落したら、向こうから何か言って来る。お前がそわそわしたって、どうしようもないだろ。京一さんや龍麻さんも駆り出されてるんだから、大和なら大丈夫だ」
「そりゃ、そうだけどさ……。心配なんだよぅ……」
「まあまあ、葉佩──いえ、九龍君。皆守君の言う通りですよ。今は、夕薙さんが回復するのを待ちましょう」
「……うん」
しつこく、少しばかり離れた所にある夕薙の部屋の様子を窺わずにいられない彼を、甲太郎と神鳳は嗜め。
「それにしても……凄い部屋ですね」
初めて足踏み入れた九龍の自室を見回して、神鳳は溜息を零した。
「あ、散らかってて御免な? あそこ潜るのに要る武器とか道具とか出すんで、あちこち引っ繰り返したまま出ちゃったからさ」
「…………いえ、僕はそういうことを言っているのではなく。どう見ても、学園の備品としか思えない物が、部屋に溢れているのはどうしてですか? と言いたいのですが」
はあ、と息を付いて直ぐさま、生徒手帳を取り出した彼は、何やら計算を始め。
「えっ? あ、それはー……、えーーーと。Get treasure! ……と言うか?」
「トレジャー、ですか。まあ、それでしたらそれで、僕個人は構いませんが。生徒会会計としては。……そうですねえ、ざっと、こんなものですね」
ヤバい! とワタワタ言い訳を始めた九龍を尻目に、生徒手帳を彼の眼前へと突き付けると、神鳳は、九龍が淹れてくれた渋茶を啜り始める。
「……充? これ、何の金額?」
「君が、Get treasure! ……とした学内の備品の、大凡の見積ですよ。所謂、弁償代、です」
「うぇぇぇぇぇ…………。充ぅぅぅ。見逃してぇぇぇ! 『落ちてたもの』、有り難く拾わせて貰っただけなんだよぅ……」
「…………日本語では、『落ちていた』ではなく──」
「──神鳳。そんなことは、疾っくの昔に俺が言って聞かせた」
予想通りに、と言うか、意外に、と言うか、手厳しい彼に九龍は泣き真似をしてみせて、嗜めを口にした生徒会会計を、甲太郎が黙らせた。
「出来れば、Get treasure! とやらを止めるまで、とことん言い聞かせて頂きたかったですね、皆守君。………………仕方ありませんねえ……。今夜は、見なかったことにしましょうか」
「わあっ! サンキュー、充っ! 心の友よー!」
暗に、言っても無駄だ、と告げて来た甲太郎に神鳳は苦笑し、項垂れさせていた面を、九龍はパッと輝かせつつ持ち上げた。
「現金だな……」
「そ、そんなことないやいっ!」
「未だ、夜明け前ですよ。お二人共、静かに。……処で、九龍君。瑞麗先生が呼び付けた、アルバイト警備員のお二人は、何者なんですか?」
「あ? あの二人? 緋勇龍麻さんと蓬莱寺京一さんって言って、俺と甲ちゃんの友達。友達って言うよりは、兄さん! って言った方が正しい気もするけどね。ちょーーーっとだけ、特異体質でさ、兄さん達。何て言えばいいかなあ……。気功の先生みたいなことが出来るって言うか。あの《墓》にもある、魂の井戸の人間バージョンって言うか」
「…………ああ、一寸した、霊的治療が出来る人達、という訳ですね? 成程……。瑞麗先生も、そういうことが出来るようですし」
「うん。だから、駆り出されたんだと思うよ、ルイ先生に」
黙って放っておけば、又、何時もの『仲良し喧嘩』をエキサイトさせるだろう甲太郎と九龍を黙らせ、神鳳は、瑞麗が呼び出したアルバイト警備員達の正体を問い、九龍はそれに、誤摩化しを交えつつ答えて。
「九龍君の友人関係は、面白くて、そして幅広いんですね」
「おうっ! お陰様で、友達には恵まれた。先生にも! えっへへー」
「……君の周囲の者達が、君に手を貸したくなる気持ちは、僕にも理解出来ますよ」
嬉しそうに顔綻ばせた九龍へ、神鳳も笑みを返した。
「よー。起きてっかー?」
「お邪魔するねー」
と、そこへ、とても控え目なノックの音と、小さな声が掛かり、薄くだけ開け放たれたままだったドアから、京一と龍麻が滑り込んで来た。
「あっ。京一さんに龍麻さん! 大和、どうですかっ?」
「もう大丈夫だと。何でも、やったらと脱水症状が激しくて、陰氣と陽氣がどーたらこーたら、とかって話だったが……、詳しいことは、俺等には一寸な。ま、ルイちゃんが大丈夫そうだっつってんだから、大丈夫だろ」
「但、今が大丈夫でも、根本的な解決には全く繋がってないから、『専門家』に診せた方がいいかも、って」
まかり間違って、一般の寮生に自分達の侵入を知られたら大事、と、ぴっちりドアを閉め、鍵まで掛けてから、そそそ……っと部屋の片隅に腰下ろし、京一と龍麻は口々に報告を始めた。