大分以前、甲太郎は関西弁で言う処のオカン属性、と龍麻に洩らしたのが、甲太郎当人にバレた所為で、ドケシ! と音がする程蹴られ、さっさと自室に戻ってしまった神鳳に救いも求められぬまま、その後も、遠い目をしたくなる程の説教を喰らった九龍は、夕薙の様子を見に行った際に出た話を、甲太郎にする暇も与えて貰えなかった。

挙げ句、とっとと授業にでも何でも出て来い! と臍を曲げ切った恋人にそっぽを向かれてしまい。

「甲ちゃーん……。御免よー……。だからさー、オカンって言うのは例えでさー、甲ちゃんは実は、世話焼きさんなんですよー、ってことを龍麻さんに話しただけでさー……」

「そう言いたかったんなら、素直にそう言えばいいだろ」

「いや、その。世話焼きさん、と言うよりは、オカン、と言った方が上手く伝わるかなー、とか思ってさ……」

「…………未だ言うか?」

「すいません。もう言いません。二度と言いません」

時刻は午前八時を過ぎ、そろそろ登校しないと、な頃合いで、だのに、甲太郎の機嫌は直らず、九龍はひたすら、御免なさいモードを続けていたが。

「あ、メール。……お。明日香ちゃんだ」

二人の言い合いや雰囲気を断ち切るかのように、九龍の『H.A.N.T』が、メール着信音を鳴らし始めた。

「ん? 鏡?」

彼女より届いたメールは、一言で言えば愚痴メールで、今朝起きて、髪を梳かそうと思って鏡を見たら割れていて、物凄いショックだった、部活の朝練まで休んでしまった、鏡が割れるなんて、不吉だ、という風な内容で。

「ふむ……。鏡……」

そう言えば、以前、遺跡の中で鏡を見付けた憶えが、と九龍は、例の所から拾い集めて来た諸々を突っ込んである箱を、クローゼットの中から引き摺り出し、漁り始める。

「……ん?」

「あ。甲ちゃんもメール? 明日香ちゃんからでないかい? 多分、甲ちゃんにも同じこと訴えたいんだと思うよ、明日香ちゃん」

と、九龍に続き、甲太郎の携帯も着メロを奏で始め、振り返りもせずに九龍は、気楽に推測を語った。

届いたメールを確かめるべく、携帯画面を見遣った甲太郎が、顔を顰めたのも知らず。

「…………俺は、寝る」

「へ? 寝るって、甲ちゃん。サボり?」

「当たり前だ。夕べの騒ぎの所為で、寝てないんだぞ」

「……俺も、寝てないけど」

「うるさい。少しくらい寝かせろ。昼までには行くから。……じゃあ、又後でな」

携帯を仕舞い、箱を漁り続ける九龍の背へ、詰まらなそうに一言言って、甲太郎は立ち上がり、留めようとする恋人を振り切って、部屋を出て行った。

「あのご機嫌斜めっぷりは、寝不足の所為ってのもあったのかな?」

だが、彼の態度を大して気に留めず、発見した鏡を学生鞄に放り込み、支度を整えると、教室へ向かうべく、九龍も自室を後にした。

登校途中。

「おーーい」

「ん?」

「おい。何処見てんだよ? こっちだ、こっち」

「お。宇宙刑事」

九龍は、鴉室に声を掛けられた。

「グッドモーニーング。よっ、元気でやってるかい?」

物陰から、歩道を歩いていた九龍をちょちょいと手招いて、鴉室は、少々軽薄な笑みを浮かべる。

「お陰様で」

「元気なようで、結構結構。──処で。ここで会ったのも何かの縁だ。君に協力して欲しいことがある。これは、この学園の調査に関する重要なことでな。どうだ? 協力してくれるね?」

「えーーっと。ルイ先生に、『あの男には近付くな』と言われてるんですが。『碌でなしだから』って」

「…………。……まあまあ、そんな顔するなって。前払いで報酬やるから。ほら」

「……………………キャラメルを貰ってもー」

「いいから聞けって。……実はな、この学園を調査していて、ある重大な疑問が湧いたんだ。で、ここの生徒である君の意見を是非とも聞いてみたくて、ここで待っていたという訳さ。──この学園には、寮があるよな? 俺が推理するにもしかして、あの寮、男子寮から女子寮が覗けるんじゃないかと思うんだよっ」

「……じゃ、俺、授業があるんで、これで」

学園の調査に関する重大なことと言うから、四の五の言いながらも耳を貸したのに、言うに事欠いて、女子寮覗きかい、と九龍は、何を想像しているのやら、ニヤニヤしっ放しの鴉室に、くるっと背を向けた。

「あっ。何処行くんだよっ!! ちゃんと俺の質問に答えてくれっ。えっ? どうなんだっ?」

「………………宇宙刑事。俺と一緒に、いい所行きましょーかー。候補、二つあるんですよ。保健室と警備員室、どっちがいいです?」

「う…………」

それでも鴉室は諦めようとせず、九龍へ追い縋って肩を掴んだので、にぱらっと笑いながら、何処に突き出されたい? と九龍は少しばかり彼を脅してみた。

「おいっ、待てよっ」

「ぼ……僕に何か用ですか?」

「用があるから呼んでんだろ? 先輩の俺達に挨拶もなしで通り過ぎようとは、どういうことだ?」

「あ……あの……、すいません、気が付かなくて……。これからは気を付けますから、そこを……通して下さい……」

歩道の片隅で、九龍と鴉室がそんな風に揉めていたら、逆の片隅で、三年男子二名が、下級生らしい少年に、因縁を付けている声が響いて来て。

「あの……」

「そのオドオドした態度が気に入らねぇんだよっ」

見るからに華奢で気弱そうな、風邪でも引いているのか、大きなマスクを付けている下級生を、上級生二人は突き飛ばした。

「弱い者イジメか。やれやれ。何処にでもああいう輩はいるもんだな」

「……の、ようですな。あれは、助けてあげないと可哀想かなー……」

視界の隅を掠めたその光景に、鴉室は眉間に皺を寄せ、九龍は、あーらら……、と騒ぎへと近付く。

「お? 本当に助けるのか? じゃ、後は任せたぜ。俺は人に見付かると拙いんで退散するわ。又な、ベイビー」

ならば任せた、と鴉室は走り去り。

「止めて下さい……」

何とか立ち上がった下級生の彼は、九龍の方へと駆けて来て、ぶつかりそうになった。

「うわっ! あ……貴方は……?」

「あ、俺? 俺は、三年C組の葉佩九龍。そりゃそうと、大丈夫? 何か、絡まれてたっぽいけど」

「葉佩……九龍さん? ぼ……僕は、二年A組の響五葉ひびきいつはと言います。あ……あの……」

「待てよ、響っ!」

ぶつかった彼に問われるまま九龍が名乗れば、彼──響も、辿々しく名乗り返し。

そこへ、イジメっ子二名も近付いて来た。