九龍と甲太郎がマミーズを出た時、時計は、午後七時を廻っていた。

八時にプールまで来て欲しい、とのメールを咲重に貰っていた九龍は、さて、甲ちゃんに何て言い訳しようか、と一瞬頭を悩ませたが、迂闊な嘘を吐いた挙げ句、咲重と二人だけで会っていたことが後でバレたら、唯でさえ物凄く心が狭い嫉妬大魔神が、本当の大魔神と化すかも知れないと、恐ろしい想像を巡らせてしまい、疾しいことをしている訳ではないのだからと、『誰にも内緒で』との条件付けをして来た咲重に悪いとは思いつつ、彼は、予定を正直に嫉妬大魔神へ告げた。

「双樹と?」

「うん」

「……どうして」

「大事な話があるんだって。大事な話って何だ? とは思ったけど、まあいいかー、って、行くって言ったんだ。という訳で、一寸行って来る」

「下手なちょっかい、掛けられるなよ。……いいか、九ちゃん。きちんとした断りの文句を言ってやるのも、男と女の間では必要なんだからな」

「あのね……。何の心配してるんだか知らないけど……っつーか、大体想像付いちゃうんだけどさ。俺には甲ちゃんって人がいて、咲重ちゃんには帝等って人がいるでしょーが。碌でもないこと考えたって、腹減るだけなんだから、止めた方がいいって。──じゃ、行って来るー」

「気を付けろよ。煮ても焼いても食えないんだからな、あの女狐は」

「大丈夫だってのっ!」

案の定、咲重と会う、と告げただけで、背中から、不穏な気配がドロドロした色付きで立ち上るのが見える程、甲太郎の纏う気配は凄まじくなったが、九龍は何とか、ドロドロ色付きオーラの噴出を押し留め、瞬時に嫉妬大魔神と化しはしたものの、止めた処で無駄だと判っている甲太郎は、渋い顔しつつも、一人、寮へと戻って行き。

時間調整も兼ね、のんびりのんびり歩道を行った九龍は、午後八時ジャストに、プールサイドに立った。

「お待たせーーー」

「あら……」

全て点灯させれば目映い程の明るさになるだろう照明を、一つ二つ灯しただけの薄暗いプールから、水音を立てつつ、咲重が上がって来た。

「ここ、温水プールなんだ。咲重ちゃんは、女子水泳部の部長さんだか……──。……あの……」

「何かしら?」

「咲重ちゃん、その水着……ホントに水着……?」

水滴らせる、長くて赤い髪を掻き上げつつ傍らに立った彼女の水着姿に、ぽかん、と九龍は口を半開きにして、勢い目線を逸らせた。

彼女が身に着けていた水着は、水着、と言うよりは、紐、と例えた方が正しいと言える代物だったから。

「れっきとした水着よ? 一寸、斬新なデザインかも知れないけれど」

「斬新……。斬新の一言で表現してもいいのかな……」

「相変わらず、可愛い反応するのねえ。──それよりも。来てくれたのね、有り難う、九龍」

己の姿に挙動不審となった彼を、咲重はコロコロと笑い、わざと、豊満な乳房を強調するように腕を組んだ。

「い、いえいえ…………。咲重ちゃんからのお誘いですからー……」

「うふっ。本当、楽しいわ、貴方って。──来て貰ったのはね、貴方に知っておいて欲しいことがあったからなの。それは──《秘宝》へと繋がる封印を解く為の《鍵》に付いて。貴方が、《秘宝》を手に入れる為に、なくてはならないもの」

「ほうほう……。でも、何でその話を俺に?」

どうも咲重は、自分をからかって遊んでいるらしい、とは察せられたものの、目に映る『物』の破壊力はどうしたって絶大だから、ひたすらに目線を逸らしながら、九龍は首を傾げた。

「貴方ならきっと、その《鍵》で、この学園を呪いから解放してくれるかも知れない。そう思ったのよ」

その科白だけは、真顔で抑揚なく言い、咲重は一歩、九龍へと近付いた。

「で・も。その話は、後でゆっくり。今日は月明かりも綺麗だから、一緒に泳がない?」

「や、その……。俺は…………。で、でも、咲重ちゃんはプール入った方がいいと思う! プールは温水でも、ここ外だし! プールサイドだし! 何時までもそんな格好でいたら、風邪引くしっ!」

「あら、いいじゃない。夜のプールを二人きりで泳ぐなんて、素敵だと思わない?」

猫が喉を転がすように、ひたすらコロコロと笑いながら、咲重は艶のある声で九龍を誘い、「ひーーー!」と、悲鳴なんだか何なんだか、な喚きを九龍は洩らして、一歩引いた。

「さ、咲重ちゃんっ! お……俺は、その! 何て言うか! えっと、えっと、そのぉぉぉっ!」

「その? なぁに? ………………九龍。貴方、もしかして」

「な、何でしょうかっ?」

「貴方、誰かに義理立てしてるのではなくて? だとしたら、一体誰に義理立てしてるのかしら? ……白状なさいな」

「……咲重ちゃんっ。《鍵》! 《鍵》の話しようよっ」

「だ・か・ら。それは、後でゆっ……くり」

露骨に慌てる九龍をからかうのが楽しくて仕方無い、そんな感じで、咲重は彼を弄り倒し、うふふふ……、と意地悪く笑みながら、又、彼が引いた分だけ一歩近寄ったが。

「今、話して貰おうか? 《鍵》の在処をな」

からかわれ続ける九龍と、からかい続ける咲重の直ぐ後ろから、耳障りな声が湧き、『悪戯の刻』は唐突に終わった。

「あら?」

「おや……」

「どうやら、学園の《幻影》のお出ましのようね。《鍵》ならここにはないわ」

声へと振り返った彼等の眼前にいたのは、咲重の言葉通り、ファントムだった。

だが、するりと咲重の悪戯から立ち直った九龍も、咲重も、平然と彼を見遣り、生徒会書記殿に至っては、何処か挑むような態度すら見せたので、ファントムは、無言のまま舌打ちをした。

「何で、あたしが《鍵》のある場所を知ってるって思うの? ──きゃっ!!」

忌々しい、と言わんばかりの雰囲気を漂わせる幻影へ、咲重は更に言葉を重ね、途端ファントムは影の如く走って、咲重を捕らえ、その腕を捻り上げた。

「咲重ちゃんっ!」

「…………っ……」

「《生徒会室》にあった《鍵》がなくなっていた。持ち出したのはお前だろう?」

「なっ、何であたしが……」

「アモンの手から奪い去り、この男に渡すつもりで持ち出したに決まっている。女というのは、何時の時代でも男を裏切るものだからな。──《鍵》は何処だ? 教えなければ、痛い目を見るぞ?」

「教えて欲しかったら、あたしを口説き落とすくらいのことはしてご覧なさい」

ギリギリと彼女を羽交い締めにしつつ、ファントムは《鍵》の行方だけを問い、咲重はシラを切り通し、九龍は息を殺しながら、何とか彼女を助けようと、ファントムの背に回り込もうとしたのだが。

「ふんっ」

「きゃああっ!!」

骨の軋む音が聞こえそうな程、幻影は、咲重の腕を捻り上げている手に力を籠めた。