ロープを伝い、遺跡の大広間に立って、数歩進んだ途端、あれ? と九龍は首を傾げた。

「九ちゃん、どうした?」

「……ほら、あれ。真ん中の、石舞台みたいなアレの溝。又一つ、新しいのが嵌まってる」

「別に、不思議なことじゃないだろう?」

「え、何で? 何で?」

「何で、ってお前…………。何時から、今まで以上に物覚えが悪くなったんだ? 新しい扉が開く度に、あそこの溝の蓋みたいなのも、一つずつ増えたろうが。今更、何を不思議がるんだよ」

目を留めた、大広間の中央に鎮座ましている、円形の石舞台状の床を取り囲む溝に、新しい『蓋』がされているのに気付いて、九龍はちょっぴり焦ったのに、甲太郎は、不思議だと焦る九龍を、不思議そうに見遣った。

「落ち着いてる甲ちゃんがおかしいっ! 扉が開く度、あそこの蓋が一つ嵌まるなんて、俺だって判ってらいっ! だから、俺が言ってるのは、そーゆーことじゃなくって! さっきも言ったみたいに、今夜ここに潜ったのは、帝等から『古の封印の《鍵》』を奪ってったファントムを追い掛けて、であって! 《墓守》の誰かとやり合いに来た訳じゃないのに、何で新しい扉が開いてんのかってことを言ってるんであってーーっ!」

憐れみの色が微かに混ざっている甲太郎の視線に、むきっ! と九龍は噛み付くように喚いた。

「……やっぱり、九ちゃんの物覚えは悪過ぎる。ファントム同盟騒ぎの時に俺が言ってたこと、忘れちまったのか? もしもファントムがヒトだとしたら、それは、《生徒会役員》の誰かなんじゃないか、って言ったろうが。その推測が正しかった、ってだけのことだろ? 学園に巣食う幻影が取り憑いているのは、少なくとも今は、《生徒会役員》──要するに、あの、よく吠える駄犬、ってだけのこった」

が、目の前でギャンギャンと喚かれても、甲太郎はアロマを香らせながら、しれっと語り続け。

「……………………よく吠える駄犬──あ、凍也? 甲ちゃん、凍也のこと捕まえて、駄犬って言ってたもんな。……おお! ファントムの正体・ヒトバージョンって、凍也だったのか!」

「言われる前に気付けよ、宝探し屋」

「だってー…………。……ま、でも、甲ちゃんのお陰で不思議は解明されたから、改めて、れっつら・ごー!」

気付かなかったんだから仕方無いじゃん、と頬を膨らませてから、傍らで苦笑を浮かべている瑞麗も促し、新しく開いた、十番目の区画の扉を九龍は開いた。

「おいおい、砂が降ってるぜ? これじゃ、出るまでには確実に砂塗れだな」

「うっわー…………。サハラでも、こんなんじゃないよ」

「ふむ。何となく懐かしい感じがするな。私の故郷の色に似ている」

扉を一歩潜った先は、砂漠でもこれ程は酷くない、と言える程に砂に塗れており、壁、天井、床、全てが砂で覆われ、天井からは、絶えず、パラパラと砂が降り注いで来ていて、一行は、三者三様の反応をする。

「あれ。ルイ先生の故郷の封龍の里って、こんな風合いなんですか? 福建省の山奥だって兄さん達に聞いてたんで、何となく、山水画の世界、思い浮べてたんですけど」

「山水画とは、又違う。山ばかりに囲まれていて、緑も豊かだが、あの地方では一般的な客家土楼という独特の住居の壁は、丁度こんな風な砂色で。土楼を囲む剥き出しの崖も、こんな色で。少しばかり里に下りれば、時期には、何処の家でも茶を揉んでいて……」

「お茶? あ、福建省って、烏龍茶の名産地でしたっけか。中国の人って、お茶好きなんですよね」

甲太郎や九龍が見せたのは、相変わらずの『らしい』態度だったけれど、瑞麗は軽く目を細め、胸に思い描いたらしい、故郷のことを僅か語った。

「ああ。中国人は、茶で身代を潰すと言われるくらい、茶道楽だ。私は、酒の方がイケるがね」

「茶にしても、酒にしても、身代潰す程飲んだら、行き過ぎだ」

「確かにな。──それはそうと、葉佩。道々、私が知っておいた方がいいことがあるなら、話してくれないか?」

「あ、そっか。……えーとですね」

懐かしそうに語りはすれども、瑞麗が洩らしたことは本当に僅かで、彼女はひょっとしたら、故郷のことを語りたいような、語りたくないような、複雑な心持ちでいるのかも知れない、と察した九龍は、少しばかり話を逸らし、きちんと雰囲気を汲み取った甲太郎は、何時もの口調で突っ込みを入れ、さらさらと音を立てる砂地を進み出した彼等の話は、《遺跡》の正体にまつわることへと移った。

少し前、龍麻と京一の部屋で立てた天香遺跡の正体に関する仮説を、掻い摘んで瑞麗に語りつつ、足場の不安定なそこを、あちこち調べていた九龍は、盛大に爆破した壁の向こうから出現した小部屋に隠されていた、アンクの護符を見付けて、にまあ……、と笑った。

「えー、まあ、そういう訳でですねー。今ん処、俺達が立てた仮説はそんな感じで、《九龍の秘宝》は、不老不死の研究に絡む何かなんじゃないかなー、みたいな感じなんですけど」

入手した護符を、いそいそと『魔法ポケット』に仕舞いつつ、んじゃあ、奥へと進みましょうかー、と九龍は、軽い足取りで踵を返す。

「成程な……。遺伝子工学や、生物工学に基づき、不老不死の研究をしていた、古代のラボ、か……。それなりには感心させられる仮説じゃないか」

まるで、ピクニックを楽しんでいる風な彼の足取りに苦笑いしてから、仮説を聞き終えた瑞麗は、ふむ……、と考え込む様子を見せた。

「今の仮説、ルイ先生も、賛同してくれます?」

「ああ。君の説明の途中で皆守が茶々を入れた通り、荒削りな部分があるのは否めないが、聞き及んだ限りでは、ここの正体の大筋はそんな所だろうと、私にも思えるな」

「えっへへー。ルイ先生にもそう言って貰えるなら、ほぼ正解ってことかなー。……あ、そうだ。ルイ先生は、何か気付いたことあります?」

「そうだな…………。……もう、大分以前の話になるが。葉佩、お前と七瀬の体が入れ替わってしまった時に、蓬莱寺がした、五年前の戦いことや、黄龍の器の話のことを覚えているだろう?」

「……はい。あれは……一寸、忘れろって言われても、忘れられることじゃないんで……」

「なら、あの晩、私が蓬莱寺にした話のことも覚えているかい?」

「魂魄の話ですよね?」

「ああ。──《黒い砂》と、《生徒会関係者》と、巨大化人と、《墓守》の《秘宝》。それ等の関わりは、あの時私がした話に、通ずる部分がある。区画を守る化人が、この遺跡を作った者達が行った実験の果てに造られたキメラで、一七〇〇年もの間、肉体が滅びた回数と同じだけ甦って来たクローンであり、《黒い砂》が彼等の《魂》を運ぶものであるなら、魂魄──君には、エジプトで昔から語られている、バァとカァとアク、と言った方が判り易いかも知れないが──の考え方に基づき語るなら、古代エジプトで例えられた処のアク、即ち肉体でしかない化人そのものには、通常、魄、又は精霊であるカァだけが留まり、化人のこん、又はたましいであるバァは、龍脈の力を取り込んだ黒い砂──ナノマシンに宿り、『容れ物』である《生徒会関係者》の体内に入り込んで、彼等に《墓守》としての能力を与えると同時に、《墓守》の魂を『押し出す』。押し出されてしまった《墓守》の魂は、肉体以外に最も魂が宿り易いモノ──《墓守》の《秘宝》に宿って、化人の体内に取り込まれる。その結果、魂を失い魄のみが肉体に留まっている《墓守》達は、キョンシーやゾンビのような状態に等しくなる。…………そう考えれば、《墓守》達が、魂の宿った《秘宝》を取り戻すまでは、斬っても撃っても死なない体になっていた、というのも説明が付く。キョンシーやゾンビは、斬られたり撃たれたりする程度で、死にはしないからな。それに、化人を倒した後、《秘宝》だけが残るのも筋が通る。彼等が、大切な記憶や想い出の品のことを忘れるのも、その者をその者足らしめる魂が押し出された結果なのだろう。《墓守》を《墓守》として在り続けさせる為に、記憶を操作している可能性もあるがね」

暫しの間、考え込む態度を取った後、九龍に乞われるまま、瑞麗は思う処を滔々と語った。

「成程…………」

「……自分達が自ら、手に負えないモノを造り出したくせに、随分と念の入ったことを……」

自分達の仮説に、瑞麗が付け加えた仮説を聞いて、九龍は渋い顔して頷き、甲太郎は吐き捨てるように呟いた。

「今は未だ、何処までが正解かは判らないがね。──さて。そろそろ寄り道は終いにして、ファントムを追い掛け直すとしようじゃないか」

憤りや困惑が隠れているのが透けて見える少年達二人の態度を、ふむ……、と瑞麗は眺め、先を急ごう、と彼等を促した。