すっと、眼前に両の拳を構え、トントン、とリズム良く跳ね出した夷澤を、しみじみと九龍は見遣った。

「なあなあ、甲ちゃん。凍也ってさ」

「何だよ。夷澤の奴がどうかしたか? それとも、あいつのボクシングスタイルのことでも言いたいのか? 典型的なアウトボクシングだな、あれは」

「や、そういうことじゃなくて。凍也ってさ、《墓守》の一人じゃん?」

「それがどうした?」

「ってことはさー。凍也を倒したら、何時も通り、巨大化人が出て来るってことっしょ? ……俺、今夜も三連戦? 夕べも三連戦だったのに。しかも今夜は徹夜なのにーーーーっ!!」

「……今更だろ。──ほら。文句言ってないで働いて来い。俺だって、寝不足なんだ」

「………………ええ、ええ。重々承知してますとも。甲ちゃんの愛が薄いのは、骨身に沁みてますともーーっ! くっそーーーっ! 俺だってな、俺だってな、暖かくってほかほかの、柔っこい布団が恋しいやいっ!」

九龍が少々動きを留めたのは、夷澤の構えに感心した訳でも戦闘スタイルに思案を巡らせた訳でもなく、単に、二晩連続で三連戦に挑まなくてはならない己が今に対する、愚痴を吐く為だったようで。

簡単に予想くらい付いただろうにと、甲太郎は情け容赦無く九龍の臀部を蹴っ飛ばし、『戦場』の中央へと蹴り出された宝探し屋は、泣き真似をしつつ吠えた。

「フットワークが売り物の一つだってんなら、きっちり封じてくれるーっ!」

吠えようが喚こうが、甲太郎や瑞麗が慰めてくれる筈も無いのは判っていたし、ぶーぶーと文句を垂れた処で現状が夢と消えたりもしないので、九龍は、流し切れない不満をAUGのトリガー引く指にぶつけ、かなりの勢いで、夷澤の両脚を狙い撃った。

その行いは、hit and awayが基本のアウトボクシングの、足捌きを封じる意図の元にのことだったが、その為に狙った夷澤の両脚は、上手い具合に彼の急所だったようで、溜って来た寝不足と、二晩続けての三連戦に対する文句と、疲れやその他がない交ぜになって、段々機嫌が下降して来た九龍の妙なハイテンションは、偶然にも初手から発見出来た夷澤の急所に、べらぼうな集中力で弾丸の集中砲火を浴びせる、という事態を招き、本当に本当に呆気無く、彼は夷澤を倒し遂せた。

尤もその所為で、倒れた夷澤から吐き出された《黒い砂》が巨大化人を招いた時には、弾丸は、九龍の計算以上に消費されてしまっており、荒魂剣をぶん回して化人と戦った彼は、漸く今宵の戦いの全てを終える頃、再び、プチ・スプラッタと化したのだが。

「お前は、引き算も出来ないのかっ!」

──だから。

夷澤を倒し、巨大化人も倒し、現れた夷澤の《宝》の品、一足のスニーカーを手に入れて、それを返してやり。

強くなりたい、唯それだけの為に《生徒会》に入り、《力》を与えられ、何時の日か、阿門帝等を越えること夢見ていた自分は、結局、純粋に強さを追い求めていた頃の己を失い、《力》と引き換えに強さを得たのだと思い込んでいたのだろう、と語った夷澤の想いを聞き終えて、甲太郎と瑞麗に引き摺られるように魂の井戸に放り込まれた九龍は、部屋に押し込まれるや否や、属性・オカンな彼に、頭ごなしに怒鳴り飛ばされた。

「その。別に引き算も出来ない訳じゃないんだけどー……。一寸、ムキになっちゃったって言うかー……」

「そっから、もう間違ってんだろうがっ。お前のベストがやたらと物を収納出来るとしても、持てる弾丸の数なんか知れてるだろうっ? だってのに、お前はっ!」

「ううううう……。そんなに怒んなくたっていいじゃんか……。反省してるからっ。ちゃんと反省するからっっ。甲ちゃん、機嫌直してくれよーー……」

そんな風に甲太郎に怒鳴られても、反論材料を殆ど持てない九龍は、殊勝に詫びを告げ。

おまけ、とばかりに、えへっ、と誤摩化し笑いを浮かべた。

「っとに…………」

「俺、何でセンパイに負けたんすかねえ……」

余り、反省しているとは感じさせない九龍の笑みだったけれど、それでも、絆されたように甲太郎は説教を引っ込め、夷澤はちょっぴりだけ遠い目をして、先程の戦いを振り返った。

「…………凍也。それ、どーゆー意味?」

「いえ、別に深い意味は。──でも、不思議っすね。何か、負けたって言うのに凄く清々しい気分なんすよ。俺の名を呼ぶセンパイの声が、今でも耳に残ってるんです。感謝してますよ。こういう戦いもあるんだと、俺に教えてくれたこと」

「そう言われると、センパイは照れるなあ」

「……照れられても…………。──そうだ! このまま、借りを作っておくのも、俺の主義に反するんで、俺も、センパイに力を貸しますよ。この《音速の拳》の《力》って奴を」

…………もしかしたら、夷澤の目には、甲太郎に叱られっ放しの、子供のような誤摩化し笑いを浮かべた九龍が、酷く頼りなく映ったのかも知れないし、間抜け、と映ったのかも知れない。

うーむ、と納得いかなそうに腕を組んで深く唸ったが、それでも、少々可愛気の足りない科白と共に、彼は、自分も九龍に協力する、と言い出して、ぐいっと、プリクラと連絡先を押し付けて来た。

「………………………………王子?」

「…………王子、だな、どう見ても」

「……きっぱり、王子だね。正しく」

彼から手渡されたプリクラ──シャンデリアと、赤絨毯が敷かれた長い階段をバックに、王冠のイラストを被っている風に、少々格好を付けた夷澤が映っているそれを、九龍はしみじみ見遣り、甲太郎も瑞麗も、脇からそれを覗き込み、三人は口を揃え。

「何か、文句があるんすか、あんた等ーーーっ!!」

一斉に、物言いた気な視線を送って寄越した三名へ、夷澤は叫んだ。

「ない。別に文句なんかない」

「ああ。文句がある訳じゃない」

「そうさ。一寸、意外だと思っただけで」

その叫びから逃げる風に、九龍も甲太郎も瑞麗も、ふ……と彼より目を逸らした。

「ムカつく人達っすね…………」

「まあまあ。気にしない、気にしない。処で、凍也? ちょーーっと訊きたいんだけど」

言うことも同じ、態度も同じ、な三名に、益々夷澤は憤慨したが、そっぽを向いて、平静を保つ為の息を一つ付くと、九龍は胡散臭い爽やか笑いを浮かべて、彼へと向き直った。

「何すか?」

「お前さ、帝等から、桐箱ぶん取ったっしょ? 《鍵》って言ってた奴。憶えてる?」

「…………ああ、薄らとは……。そんな箱を阿門さんが投げて、それを拾って……ってしたような憶えは、何となくですけど、あるっすよ」

「それ、何処やった?」

「何処…………と言われても……」

「あー、どうしたかは憶えてない?」

「すいません、一寸思い出せませんね……。墓地に踏み込むまでは、ちゃんと持ってた憶えあるんすけど……」

「そっかあ……。じゃあ、プチ・スプラッタも治ったことだし。探すとしますか。多分、上の墓地か、大広間のどっかか、この区画のどっかにはあるっしょ。あるなら、の話だけど」

彼が凍也へと問うたことは、桐箱──《鍵》の行方で、奪取して行ったファントム──凍也自身にも、それをどうしたのか判らないなら、何とかして探すしかない、と九龍は一人頷く。

「九ちゃん……。本気か?」

「本気。古の封印を解く《鍵》って触れ込みなんだもん、探すっきゃないっしょ」

「……又、今夜も徹夜かよ…………」

「文句言わない。後で、地上最強カレー辺り、振る舞うからさ。凍也も、責任取って、《鍵》探しに付き合ってくれなー? ルイ先生は女性なんで、宜しければ、ってことで」

「判りました。箱探し、一緒にさせて貰うっす」

「私も付き合おう。一晩くらい寝なかった処で、どうということはない」

うむうむ、と頷く彼に、甲太郎はあからさまに抗議の意志を示したけれど、九龍はそれを捩じ伏せ、夷澤と瑞麗の手も借り、行方が判らなくなった《鍵》探しを始めた。