朝一番で保健室に転がり込んだ九龍と甲太郎は、懇々と眠り続けた。
爆睡、と言える程だった。
余りにも寝不足が過ぎていた二人は、夷澤から聞かされた五葉の話も、喪部やレリック・ドーンのことも、龍麻や京一のことも、頭の片隅の更に隅に無意識に押しやって、ひたすら眠りを貪り。
六時限目の半ば、九龍よりも一足先に、何とか起き出した甲太郎は、そろっと、隣でだらしない顔して眠っている恋人の様子を窺いながら、気配を殺してベッドを抜け出し、目配せで、九龍のことを頼むと保健室の女帝に告げると、音もなく廊下へと出た。
周囲に、人影も人の気配もしないことを念入りに確かめると彼は、携帯を取り出し、誰やらに電話を掛け始める。
「……俺だ。話がある。《転校生》のことで。──ああ、そっちじゃない。十二月に編入して来た方の、だ。まあ、お前のことだから、或る程度は掴んでるんだと思うが……。──ああ。今日、明日中に、何かやらかすかも知れない。《転校生》は、手段を選ばないテロリスト集団とも言える組織の一員らしい。だから……。────そうだ。……じゃあな」
────甲太郎が電話を掛けた相手は、阿門だった。
《副会長》としての責務を少しは果たす為、ではなく、この学園を頑なまでに守ろうとしている、数少ない友人の一人である阿門の為に、彼は、教えた方がいいこと──否、阿門に伝えても差し支えないことを簡潔に告げ、電話を切ると、その足で売店に向かい、カレーパンを幾つかと、ミネラルウォーターを二本買い求め、保健室へと戻った。
「本日二度目のおはよー、甲ちゃん」
「何だ、起きてたのか?」
「それは、俺の科白ー」
怠惰な表情、怠惰な歩き方で保健室に戻れば、先程までは起きる気配も見せなかった九龍は目覚めていて、瑞麗と与太話をしており。
保健室の扉が開いた途端、くるっと振り返って、あは、と笑った。
「後、五時間は余裕で眠れる筈なんだが、どうしてか、目が覚めちまってな」
「こっから五時間寝るってのは、流石に寝過ぎかと。そりゃそうと、何処行っ──売店の袋っ! 察するに、カレーパンだな?」
「ああ。食うだろ?」
「勿論! イエーイ、昼飯ー!」
「起き抜けから、元気な奴だな……」
知らぬ間にいなくなっていた甲太郎がぶら下げている、売店のビニール袋に九龍は目敏く気付き、両手を差し出し頂戴ポーズを取って、苦笑しながら甲太郎は、掴んでいたそれを差し出してやる。
「……君達は、ここを休憩所か何かと勘違いしていないか……」
一時限目から六時限目まで、ぶっちぎりで惰眠を貪った挙げ句、いそいそと、それまで寝ていたベッドに腰掛けカレーパンの袋を開け出した九龍と、そんな彼の隣で、同じように遅い昼食を摂り出した甲太郎を見比べ、瑞麗は溜息を付いた。
「すいません、ルイ先生。今日だけは勘弁して下さい」
「まあ、兎や角言った処でどうしようもないのは判ってはいるんだがね。──ああ、それよりも。結局、《鍵》の行方の話はどうなったんだ? 緋勇や蓬莱寺は、知っていたんだろう?」
「あ、それがですねー」
が、咎めてみた処で何が変わる訳ではないと、瑞麗は話を変え、九龍は、夕べ、青年組から聞かされた話を、そっくり彼女に伝える。
「成程な…………。で、君達はこの後どうする?」
「このまま、放課後になる前に寮に戻って、そのままあそこ行くつもりです。兄さん達が見張っててくれてる筈で、でも、未だ連絡ないってことは喪部も動いてないってことですから、上手くいけば、待ち伏せ出来るんじゃないかと」
「そうか。二人共、気を付けるんだ。無理はしないようにな。あいつ等は、本当に厄介な集団だからね。今回ばかりは、戦いの方は緋勇と蓬莱寺に任せるのがいいと私も思う。私も、万が一の時に備えて、色々と支度をしておこう」
喪部は、レリック・ドーンにも加担している、と知り、唸った瑞麗は、チロっと、先程、目配せを残して保健室を出て行った甲太郎の様子をそれとなく窺ってから、九龍へ向き直り、軽く頷いた。
「甘えちゃうようで、兄さん達には申し訳ないんですけどね」
「気にすることはないさ。あの二人はあの二人で、君達を構ったりからかったり、手を貸したりするのが、今の楽しみの一つのようだ。君達を、弟のように思っているんだろう。それに、私は彼等程、異形と戦うに相応しい者達を知らない。恐らく、事、異形──『鬼』とのそれに関しては、私も彼等には敵わない」
「…………あんたに、そこまで言わせるとはな」
「事実さ。お前とて、あの二人の強さは知っているんだろう? 皆守」
「……ああ。まあ、な」
「喜ばしくはないが、もしも彼等と喪部が本当にぶつかれば。『いいもの』が見られるだろう。今生の黄龍である『器』と、器を、黄龍を護る、今生の剣聖の『本気』がな」
「見ないで済むなら、一生見ない方がいいような気がしなくもないですな、それは」
夕べからこっち、どうにも青年達に対する申し訳なさを消せないでいる九龍の呟き、瑞麗にまでそう言わせるあの二人の本当の強さを思う甲太郎の呟き、それに、保険医は、『上手くすれば面白い物が見られる』と、不謹慎とも言える発言をし。
「え? チャイム? ……うおおおおお! 六時限目、終わっちゃった!」
そこで鳴り響いたチャイムに、がたりと九龍は立ち上がった。
「急ぐか。今なら、未だ──」
『──三年C組 皆守甲太郎君。職員室まで来て下さい。三年C組 皆守甲太郎君。職員室まで来て下さい』
慌てて腰を浮かせた九龍同様、早く寮へ戻らなければ、《墓》へ向かうタイミングが掴めなくなると、甲太郎も又立ち上がり掛けたが、そこへ、担任の亜柚子の声で、彼を呼び出す放送が掛かった。
「甲ちゃん……。何やらかした?」
「人聞きの悪いこと言うな。サボりのお咎めか、さもなきゃ進路の話だろ、多分。……九ちゃん。その…………」
「皆まで言うな、甲ちゃん。付き合うよ」
「……ああ」
「大人しく、出頭して来い。それも、学生の務めの内だぞ、皆守」
だから、生徒達が寮へ戻るよりも先に、との彼等の思惑はあっさり打ち砕かれ、瑞麗に送り出される格好で保健室を出た彼等は、廊下を挟んだ目の前の、職員室入口に立った……けれど。
「………………止める」
「へ? 止めるって?」
「行くのは、止めとく。何も今更、律儀に出向くこともないだろ」
「律儀って……。職員室、目の前だよ? 扉開けて一歩踏み込めば、事足りるじゃんか」
「……苦手なんだよ」
「何が」
「職員室。悪いが、俺は寮に帰ったとか何とか、雛川には、適当に誤摩化しといてくれないか?」
「まあ、いいけどさ。職員室の何が嫌なんだか……。謎だなあ、甲ちゃんも」
「…………悪い」
「その代わり、甲ちゃんは一足先に寮に帰って、あそこ行く支度しといてくれな。俺の『必需品』も、適当に引き摺り出しといてくれると嬉しいな」
「ああ」
扉を目の前に、ぴたりと動きを止めた甲太郎は、徐に九龍を振り返ると、トンズラを決め込むと言い出し、困ったように、呆れたように、顔を顰めながらも九龍は、判った、と頷いた。
「何をしている?」
その為、甲太郎は昇降口へと足先を向け、九龍は職員室の扉に手を掛け、とした処に、背後から、声が掛かった。
「阿門……」
二人が振り返ったそこには、何時の間にやら阿門が立っており。
「職員室に用か?」
「……じゃあな、九ちゃん。後は頼んだ。先、行ってる」
「判った。後でな、甲ちゃん。──やっほー、帝等。帝等こそ、何やってんの?」
まるで逃げる風に、甲太郎は足早にその場から去り、消えて行く甲太郎の背を視線で送りながら、九龍は、ひらひらっと、阿門へ手を振った。