駆け込んだ教室には、未だ若干名の同級生達が残っていた。
「お? どした? 葉佩」
「あ、葉佩君。忘れ物? 早く帰らないとヤバいよー」
「じゃあな、葉佩」
「うん、サンキュー。皆、又明日なーー」
息急き切って駆け込んで来た彼に、同級生達は口々に声掛けつつ大慌てで教室を出て行き、無人と化したそこで、九龍は明日香の生徒手帳を探し始めた。
「あれ?」
身を屈めて床を見渡してみても、教壇の影や机や椅子の影を覗き込んで歩いても、目的のブツは見付からず。
「教室ってのは外れかな。屋上、かも」
「探し物かい?」
んーー……、と立ち上がった彼に、話し掛ける声が湧いた。
「……喪部」
「やあ。何を探していたんだい? それとも、誰を、かな。……僕を、だったりしてね」
「お生憎様。俺が探してたのは、明日香ちゃんの生徒手帳」
声へと振り返れば、そこにいたのは喪部で、九龍はムウっと口を尖らせる。
「つれないじゃないか。僕は、君のことを探してたって言うのに」
「何でさ。何か用?」
「…………どうだい? 《秘宝》は、もう手に入れたかい?」
「……さーー? 何のことでしょー?」
「恍けたって、無駄だよ」
あからさま過ぎる態度を取り、ふん、とそっぽを向きながら、始まった《秘宝》絡みの会話を九龍は流したが、喪部は、愉快そうに笑うだけだった。
「君と僕が探している《秘宝》は、この学園の地下に眠る《遺跡》の最下層にある。しかも、どうやら、僕が入手した情報によると、その最下層の玄室の封印を解く為の《鍵》は、《生徒会》が隠し持ってるって話じゃないか。全く、忌々しい連中だ。ここに眠る《秘宝》の《力》を、あんな下等な連中が独占してるなんてね。優れた《秘宝》は、優れた者だけが所持するに相応しいって言うのに。それを、あんな……あんなクズ共がっっ!!」
……けれど。
熱っぽく《秘宝》の話を続けた喪部は、何時しか激高した調子となり。
「喪部。お前、俺の前ではマジで、その下らないことばっか言う口閉じろ? 《生徒会》の皆が忌々しい? 下等だぁ? 皆々、少なくとも、お前にそんな風に言われていい人達じゃない。それに。《生徒会》は《秘宝》の《力》を独占してるんじゃなくって、あそこを守ってるだけだっての」
心底のむかっ腹を立てて、キッ、と九龍は彼を睨んだ。
「ロゼッタの犬なんかやってる、君の言いそうなことだ」
「……俺がロゼッタのワンコなら、お前はレリックのワンコだろ」
「ふっ……。知っていたのか。……まあ、そんな話はどうでもいい。──葉佩。君は、人とチンパンジーの遺伝子の差を知っているかい?」
が、落ち着きを取り戻したらしい喪部は、九龍の鋭い睨みを微笑で流し、唐突に話題を変えた。
「………………お前も、遺伝子フリーク? 正直、勘弁して欲しいんだけど、付き合えってなら付き合いましょうぞ。──知ってるよ。何かの本に書いてあったから。チンパンジーの染色体二十四対の内の二十二番と、それに相当する人の染色体の二十一番のDNAを比較すると、約六万八千箇所の違いがあって、計算上は今の処、人とチンパンジーの遺伝情報の差は3.5%。それぞれの染色体の同箇所にある遺伝子が作る蛋白質の差は約八割。……それが、人とチンパンジーの差。──この答えで、OK?」
「そうだよ。流石だね」
「だから? お前は何が言いたいんだよ」
「……つまり。優れた遺伝子の差が、そのまま生物としての優劣の差に繋がっている、ということさ」
「……………………で?」
「でも、遺伝情報──DNAというのは不変ではない。親から子に受け継がれる過程で、百二十個ずつ塩基配列が変わる。要するに、変異が起こる。様々な──例えば、水中に十分以上潜っていられる者、一分間で百ページ近い本の内容を暗記出来る者、と言った具合の変異をね。古今東西の、超人・天才と呼ばれる者達は皆、変異によって誕生したと言っても過言ではないだろうさ」
「……あーー、もーーーーっ! だからっ!? だから、それが何だってのっ!! 簡潔に言え、簡潔にっ! 鬱陶しいっ!」
「僕が何を言いたいか解らないかい? 生態系の頂点に立つのは、優れた遺伝子を持つ生物でなくてはならない。安寧の中で時代を重ね、悪戯に殺戮と侵略を繰り返してその領土を広げて来ただけの無能な人間達に、その資格はないんだよ。この世は、優れた一握りの人間と、無数の平凡な人間で成り立っているんだ」
先程も阿門に吹っ掛けられた遺伝子の話をここでも吹っ掛けられて、げんなりとしつつも九龍が付き合えば、喪部は、恍惚とした表情で、自説を披露し始めた。
「あのなー、喪部。お前、馬鹿?」
「何だって……?」
「遺伝子が、ナンボのもんだっての? 遺伝情報が優れてるから、チンパンジーよりも人の方が生物として優れてる? 変異した、特殊な遺伝子持ってる人達だけが、超人や天才になったって? ……阿呆か。持って生まれた『設計図』の優劣だけ比べてどーすんだよ。お前、努力とか根性とか気合いとかって言葉、知ってるか?」
「知らないね。そんな言葉、興味も無い。……どうやら君は、僕の話が理解出来なかったようだ」
浪々と語った自説を、馬鹿と阿呆、の二言で切って捨てられ、喪部は一瞬こめかみを引き攣らせたが、侮蔑を浮かべることで自らを落ち着かせ、窓の外へと目をやった。
「…………見たまえ。この、鮮血のように美しい夕映えを。神は、優れた人間に素晴らしい資質を授けた。美しいものを美しいと感じる感情と、それを見抜く瞳をね」
「そんなん、優れた人間じゃなくたって持ってる。誰の目にも、美しいものは美しい。鮮血を、美しいと思うかどうかは、その人の感性次第。俺は、鮮血を美しいなんて思わないけどな。生憎と、お前達みたいなテロ行為に及んじゃう趣味の持ち合わせないんで」
「口の減らない……」
──何処までも、うっとり、と。
確かに、鮮血のような朱に染まった黄昏の色を眺めつつ言って、喪部は、ふん、と鼻で笑った九龍に苦笑を返し、鳴り始めた自身の携帯を取り上げた。
「来たか。────葉佩。そろそろ、ショーの開幕だ。君と僕、何方が早く《秘宝》に辿り着けるのか。何方が優秀な遺伝子を持つのか。答えを出そうじゃないか」
「……悪いけど。そんなことには付き合ってられない」
「付き合わなければそれまでさ。クククッ。では、僕はこれで」
携帯の向こうから響く音に耳傾ける彼と、窓の外から聴こえ始めた轟音の、双方に意識を払いつつ、ちらりと九龍が窓の外を覗き込めば、そこには、大型のヘリコプターが数機、浮かんでいた。
「………………げ。軍用輸送ヘリ……と……大型強襲用戦闘ヘリぃぃぃっ? ぎゃーーー、M六〇軽機関銃が見えるーー! 洒落になってるとかなってないとかの次元ですらないじゃんか、何処の馬鹿国家だ、あんなんレリックに払い下げた奴ーーっ!!」
戦車等の重車両も輸送出来る、大型の軍用輸送ヘリ二機と、やはり大型の強襲用戦闘ヘリが三機、天香学園の上空より降下して来る様を見て、九龍は盛大に悲鳴を上げ。
「君が生きていられたら、又会おう。あははははははははは!」
高らかな嗤いだけを残して、喪部は、輸送ヘリから垂れて来たロープに捕まり、教室より脱出して行った。