「僕の《力》で、多くの人達が幸せになれる。その人は、そう……僕に教えてくれたんです」
「教えてくれた? 誰がそんなことを?」
態度こそ、挑戦的な物へと変わったものの、未だ続いた彼の告白に、阿門はふと、眉を顰めた。
「この学園の救世主──ファントムさんです」
「あっちゃ……。思い掛けない、『幻影』の余波って奴ですか……」
「ファントム、か……。ファントムは──」
「──ファントムさんは、一緒にこの学園を変えようって。ここを生徒達の楽園にしよう、って。その夢を実現する為には《生徒会長》を倒す必要がある、とも言ってました。つまり、貴方を……。だから、僕も《力》を使って、戦うことにしたんです。ファントムさんや、葉佩先輩のように。──そうですよね? 葉佩先輩。貴方も僕の《力》を必要としてくれますよね?」
阿門が眉を顰めたように、九龍の表情も複雑なそれへと変わって、けれど、その一切を気に留めず、響は、夕べ消え去った《ファントム》の意思に──本当に幻影でしかなくなってしまった、と九龍や阿門には判っているそれに、自分は従うのだと強く言って、何かを求める風に、九龍へ視線を送って寄越した。
「……五葉。御免な。俺は、ファントムがお前に教えた言葉の下に振るわれる《力》は、必要じゃない」
「…………何で、そんなこと言うんですか? 僕の言ってることは間違っていますか? 僕だって、誰かの役に立つことが出来る……。貴方まで、僕を否定するのは止めて下さい」
「違う、そうじゃないよ、五葉。俺は、お前を否定してるんじゃない。お前や、お前の《力》を否定してるんじゃなくて、ファントムの言葉なんかに従っちゃいけないって言いたいだけ。あいつは、学園の救世主なんかじゃ──」
「──残念だが」
縋る目、とも言える視線を向けられ、言葉を選びつつ九龍が言ってやれば、響はくしゃりと泣きそうに顔を歪め、彼等のやり取りを、阿門は遮った。
「何ですか」
「ファントムは死んだ。もうこの学園に二度と姿を現すことはないだろう。お前に手を差し伸べてくれる者は、もういない」
「あ、馬鹿! 帝等! 物には言い様ってのがあるでしょーがっ! お前も、甲ちゃんと同じ好戦的タイ──」
「──嘘だっ!! そんなことを言って、僕を又、あの孤独な檻の中に戻すつもりなんだっ!! 嫌だっ。僕はもう、あそこには戻りたくないっっ。僕は……僕は……。あぁ……。ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ほら、言わんこっちゃないっ!!」
九龍も、響も黙らせ、事実のみを、歯に衣着せず阿門は告げて、それを受け入れられなかった響は、絶叫と言える声を放ち。
馬鹿! と一言雄叫んで、《声》の攻撃を受け止めるべく、九龍は響の正面に身を晒した。
「お……? 帝等……?」
先程床に落ちた窓ガラスの破片達が、粉々以上に粉砕され、辛うじて残っていた天井の照明の蛍光灯は、鋭い破壊音と共に三人へと降り注いで、窓枠さえも歪み掛けたが……、でも。
来る! と、目を瞑って身構えた衝撃は己を襲わなかったと知り、そろそろと瞼を開いて様子を窺った九龍の眼前には、阿門の背があった。
「……あ…………。どうして、僕と葉佩先輩の間に……?」
「言った筈だ。お前の《力》では、俺を倒せないと」
「そんな……」
九龍の声には答えず、阿門は、響だけを見詰める。
「お前の悲劇は、その《力》を自分で制御出来なかった処にある」
「え……?」
「他人が否定しようと、《力》がお前を裏切らなければ、人生は違った筈だ。──葉佩。お前に見せてやろう。人の運命は、遺伝子に左右されている、その言葉の意味を──」
そうして彼は、肩越しに九龍を振り返り、軽く宣言する風に呟いて。
「帝等…………?」
阿門が口を噤むと同時に、何処より湧き出て来た《黒い砂》に、九龍は目を瞠った。
「うっ、うわっ!! 何ですか、これっ!! うわぁぁぁぁっ!! たっ、助けてぇぇぇっ!!」
宙より唐突に湧いたと九龍の目には映った《黒い砂》は、瞬く間に響の体を包み、悲鳴は上がったけれど。
何故か、響の声が辺りを満たしても、何も壊れることはなかった。
「ちょ……。帝等っ! 駄目だってばっ!」
「心配するな」
「うう……」
響の高い悲鳴が、周囲の何物も破壊し得なかった、その意味に直ぐには気付けず、九龍は必死に阿門を留めたが、案ずることはない、と阿門は、廊下へと倒れ込んで行く響の体を受け止めた。
「え? でも、五葉……」
「気を失っただけだ。直ぐに意識を取り戻すだろう。目が覚めた時には、生まれ変わっている。もう《力》に振り回されることはない……。この者は、俺が教室にでも運んでおこう」
「うん。五葉のことは任せた。……で、その……、あの、さ。帝等」
ぐったりしてしまった小柄な体を抱き上げつつ見下ろして来る阿門に、九龍は声を詰まらせる。
「何だ」
「何で、俺のこと庇ったのかなー、と思って、さ」
「…………お前を倒すのは、この者ではない。俺だ。……それだけのこと」
「そっか……。でも、サンキューな。その……えっと……うんと…………何て言うか……、帝等も、甲ちゃんと張り合えるくらい、素直じゃなくて不器用だよなー……。…………帝等と甲ちゃんは友達なんだろうから、似てても不思議じゃないか……」
「……葉佩、お前…………」
──詰まらせた声で、少しばかり辿々しく、九龍が甲太郎のことを引き合いに出せば。
阿門は瞳を見開き、一瞬絶句した。
「…………色々、御免。でも……、でも。帝等が思ってるような意味では、俺は絶対に謝らない。俺自身の為に、皆の──帝等も込みでの皆の為に、何が何でも、あの《墓》の最奥に、辿り着いてみせるから。……でもでもでも! 友達の友達は皆友達ってことで、甲ちゃんの友達な俺のことも友達って、帝等が思ってくれると嬉しいなっ」
「………………俺と。お前とは。何が遭ったとしても相容れない。それを忘れるな」
けれど、続いた言葉を打ち払うように、《生徒会長》は《転校生》に背を向け。
「帝等! 今の話、甲ちゃんには絶対言っちゃ駄目だからなっ!」
遠くなり始めた背へ向けて、九龍は大きく叫んだ。
「あれ? 九チャン? どしたの? 皆守クンには内緒って、何か遭ったの?」
──ガラスの破片や粉が散乱する廊下の直中で、阿門の背が消えるまで、九龍が一人佇み続けていたら、下校のチャイムが鳴り響き始め。
そこに、通りすがった明日香の声が掛かった。
「お? 明日香ちゃん」
「えへへー。寝不足、解消された?」
「うん、お陰様で!」
「うんうん。良かったね! って、あああ、そんな話してしてる場合じゃないや、チャイム鳴り始めたのにっ。──九チャン、お願いがあるの、一緒に生徒手帳探してっ! 何処かで落としちゃったみたいなの。早く探さないと、校舎の入口閉まっちゃうからさ! あたし、屋上見て来るから、九チャン、C組を探してくれない? ねっ? 明日香、一生のお願いっ!」
下校時刻ギリギリまで彼女が校舎に残っていた理由は、落としてしまったらしい生徒手帳を探す為だったようで、九龍の隣に立った彼女は、パン! と両手を合わせて彼を拝み倒す風にし。
「うん、いいよ。生徒手帳な。了解、了解」
「ありがとー! 九チャンなら、そう言ってくれると思ってたんだっ。それじゃ、見付けたら玄関で。お礼に、マミーズでデザート奢るねっ」
「おおおお、期待してる、明日香ちゃん! じゃ、ちょっくら行って来る。又後で!」
「うん、後で!」
甲ちゃんを待たせちゃうことになるなー、と思いながらも、九龍は二つ返事で明日香の頼みを引き受け、ダッと階段を駆け上がり、三年C組の教室を目指した。