午後五時十五分──保健室
綴り、懐に仕舞っておいた、操りの符を貼付けてやったレリックの兵達を悠々と眺め、瑞麗は又、煙管に火を点けた。
「……よお」
「どういう風の吹き回しだ? 懲りずに、又、私に会いに来るとは」
ぷかり、紫煙を吹かしていたら、カラカラと窓が開き、軽い声と共に鴉室が入り込んで来て、やれやれ、今度はこいつか、と彼女は顔を顰める。
「つれないこと言うなよ。いいじゃねえか。──んーー、白衣、似合うねえ。思わず、イケない生徒になっ────ぐはっ!」
きっぱり、迷惑だ、との態度を取られても、鴉室は軽口を叩くのを止めず、瑞麗に、強烈な張り手を喰らった。
「フンッ」
「痛ててて……。何も殴るこたないじゃないか」
「おいたが過ぎる生徒には、厳しくお灸を据えないとな」
「ちっ……。──それよりも、どうするんだよ、ヴァチカンから出てる撤収命令」
赤い手形が残る程の力で叩かれ、鴉室はその場にしゃがみ込み、ジト目で瑞麗を見上げながら、本来の目的を話し始める。
「どうするも何も。命令には従うだけだ。撤収しろと言われれば、撤収するまで」
椅子には戻らず立ったまま、冷たく彼を見下ろし、瑞麗は素っ気なく答えた。
「その割には、そんな気配、見せてないよなあ?」
「私にはお前と違って、表の仕事があるからな。校医の仕事を引き継ぎしたら──」
「──建前だろ? 葉佩に、肩入れしてるんだろ? お前にしては珍しいが」
殴られても、すげなくされても、鴉室は自分のペースを引っ込めず、ひょいっと立ち上がって、ニヤリと瑞麗を見た。
「………………葉佩九龍は。手を差し伸べてやりたくなる何かを持って生まれて来た、と。お前は、そう思わないか?」
厭らしい、とも言える笑いと視線より、彼女は、ふいっと眼差しを逸らした。
「おーや。益々珍しい。M+M機関の、有能なエージェントの科白とは思えないな。……ま、同感だがね」
「今の科白、そっくり返してやろう。M+M機関のエージェントが、そんなことを言うとはな」
「お互い様って奴さ。ってか、もっと小声で言えよ、俺がお前と同じエージェントだってことは。俺だって、建前の上では、自称・宇宙刑事な貧乏探偵、なんだぜ?」
「お前の都合など、知ったことか。──………………私は時折、運命というモノを、盲目的に信じてしまいそうになる瞬間がある。私達が辿る道の全て、運命なるモノに司られているのではないかと。運命は時として、無慈悲な結果だけを、私達人間に見せ付けるというのにな。……私達は所詮、その運命の輪の中で、踊っているに過ぎないのではないかと…………。…………この《遺跡》の底に眠るモノが、運命そのものだとしたら、私達は、死を免れない。それでも、傷付き、前に進んで行く必要はあるのだろうか。その意味は、あるのだろうか…………」
「…………本当に、珍しいな、瑞麗。……実の弟と葉佩のこと、重ね合わせて見てるのか? ま、気持ちが判らない訳じゃないが」
「……悪いか? 葉佩九龍は、緋勇龍麻のことを、兄のように慕っている。なら、愚弟の義兄の、もう一人の義弟は、私の義弟だ」
「開き直りやがって……。──緋勇龍麻、か。黄龍の器……いや、黄龍そのもの、なあいつまで味方に付けたのも、葉佩だからこそ、って奴かね。……それも、判る気はする。もしも、免れない死すら司る運命が、天のように俺達の上に伸し掛かって来ても、あいつは、きっと」
どうにも、肩入れ以上のものを、九龍に注いでしまっているらしい瑞麗の言葉に、やれやれ……、と鴉室は肩を竦め……、が。
その気持ちが、何となく己にも判る気はすると、燃え尽きて、フィルターだけになってしまった煙草を、ピンと弾いて捨て、新しい煙草に火を点けた。
直後、保健室を汚すなと、瑞麗にきつい制裁を喰らうことになるのも知らず。
午後五時二十分──天香遺跡大広間 魂の井戸
形振り構わず滑り下りた大広間に、敵の気配がないことを一応確かめてから、九龍は、魂の井戸に駆け込んだ。
「御免、甲ちゃん! 手間取ったっ!」
「九ちゃんっ。無事かっ!?」
苛々と不安がごちゃ混ぜになった、複雑な表情を湛え、部屋の中を意味無く彷徨
「大丈夫だったか? 怪我とかしてないか? レリックの連中と、一人でやり合ったりしてないだろうな?」
「うん、無事無事。あいつ等と鉢合わせないように、大回りしてここに来たから、時間掛かっちゃったんだ。……甲ちゃん、俺は今回程、携帯買わなかった自分を罵ったことはないぞ。この騒ぎ終わって冬休みになったら、携帯買うっ! も、懲りた!」
己を腕に抱き、声と態度で無事を確かめて来る甲太郎に、にこっと笑みを送ってやってから、九龍は、決意の握り拳を固めた。
「ちゃんと、番号教えろよ?」
「当たり前! ──甲ちゃん、兄さん達は?」
「先に行った。二人が先行して、そろそろ十五分は経つ筈だ」
「お。もう行ってるんだ。なら、俺達も急ぐぞ、甲ちゃんっ。……俺さ、今更ながらに気付いたんだよ」
「何を?」
「実際その通りになったけど、兄さん達のことだから、俺達よりも先にここに着いてたら、俺達待たずに喪部のこと追っ掛けるだろうって思ってて、戦うことに掛けては、な人達だから、その点に関しては心配してないけど……兄さん達じゃ、万が一の時、ここのトラップが解除出来ないかも知れないって」
「…………そう言えばあの二人、頭の出来も、筋肉質寄りな、体育会系だったな……。…………行くぞ、九ちゃん」
「おうよっ」
強い、けれど短い、互いの無事を確かめる為の抱擁の後、九龍は手早く装備を身に着け、AUGを背負いながら、大事なことを失念してた、と困ったように目を細め。
九龍同様、龍麻や京一では、区画の罠を凌げないかも知れないことを計算していなかった甲太郎は、拙い、と慌てて、井戸の扉を押し開けた。
「……十一番目」
「…………ああ」
「化人は当然、レリックもいる。もしかしたら、化人はレリックが倒しちゃってるかもだけど、気を付けて、甲ちゃん」
「お前こそ、無理するなよ」
大広間の中心から見て、東南東の方角に当たる角にある、今宵開いた、十一番目の扉の前に立ち、二人は表情を引き締め。
九龍は未知の、甲太郎は馴染みのある、区画の中へと足踏み入れた。