左の壁沿いに魂の井戸への扉を、突き当たりに化人創成の間へと続く扉を、それぞれ有するその場所は、『変岩水の間』と名付けられているようだった。

そう記されたプレートを見上げ、あの世とこの世の境の物語と、そして、不老不死への渇望に、この場所は満ちていると、益々、九龍は思わずにいられなかった。

「少し休まない? 折角、魂の井戸あるんだし。俺達全員、一寸、気持ち落ち着けた方がいいと思うしさ」

「……それもそうだな。ちっと、頭冷やしてくか」

ちらり、魂の井戸へと続く扉を見遣り、パッと明るく笑いながら龍麻は言って、京一も賛成し、内心、急いだ方がいいのでは、と思わずにいられなかった少年達が眉を顰めるのにも知らんぷりして、二人はさっさと、中へ入ってしまった。

如月も、そんな彼等を咎め立てせず、後に続き。

「いい……のかな?」

「さあな。あの二人にはあの二人なりの、計算でもあるんじゃないのか?」

「あ、そっか。魂の井戸に行けば、氣とかも回復するのかも。兄さん達、結構飛ばしたっぽいし」

『都合』かも知れない、と思い当たった理由に頷いて、九龍も甲太郎も、逸る気持ちを押さえ、大人しく従った。

「やっぱり、ここは安全だなー」

「これは……龍脈、だな。それ程、強くはないが……」

「うん。魂の井戸にだけは、『正しい龍脈』が吹き出てるんだよねー」

部屋の中では、一足先に踏み込んで行った青年達が、思い思いにしていた。

京一は、寛いだような顔をしていたし、如月は、興味深気に井戸の中を覗き込んでいたし、龍麻は、はああ……、と伸びをしていた。

だから少年達も、ふ……っと、肩の力と気を抜いて、何時もの習慣通り、井戸がある奥の壁の隅に寄って────

「……何の真似だ?」

その時、霞みつつ動いた如月の腕から、小型の飛苦無が数本、己達の足許目掛けて放たれるのを捉えた甲太郎は、九龍の腰を抱き、真後ろに飛び退いた。

「……御免ね、二人共」

「俺達もな、何時の間にか、狡ぃ大人になっちまっててな」

「この先は、俺達だけで行って来るよ。だから、ここで待ってて欲しい」

「じゃ、又後でな。──如月、悪いがガキ共の相手、頼むぜ」

きつく見据えて来た甲太郎と、唖然とした顔を向けて来た九龍に、酷く申し訳なさそうに、龍麻と京一は詫び……、けれど、出口へと踵を返した二人は、振り返りもせずに、部屋より抜けて行った。

「ちょ……、一寸待ったぁぁぁっ! 龍麻さんっ。京一さんっ。俺も行きますーーっ!!」

「……行かせる訳にはいかない。彼等から、頼まれているんだ」

行ってしまった二人の後を、慌てて九龍は追い掛けようとしたが、行く手を如月が阻んだ。

「JADEさんっ! そこ退いて下さいっ!」

「駄目だ。…………君達には見せたくないことをしなくてはならないかも知れない、そう思って、君達を置いて行ったあの二人の気持ちを、判ってやっては貰えないかい?」

「……っ。だからって……っっ。…………俺だって、甲ちゃんだって、そこまでガキじゃないっっ。そんなこと気遣って貰わなくたって、受け止められるっっ。俺は望んでここにいて、何が起こったって、この《墓》の全部を解放するって決めたんだからっ!」

飛苦無を指先に挟んだ右手を広げ、如月は静かに龍麻と京一の気持ちを代弁し、けれど九龍は、身を折って叫んで、駆け出そうとした。

「行かせないと言──っっ!? 皆守君!?」

「九ちゃん、行けっ!!」

──自分へと突っ込むように走り出した九龍の足許に、如月は飛苦無を放とうとした。

彼の家に代々伝えられている、飛水流忍術の技の一つである、影縫──文字通り、その者の影を縫って動きを封じる術を、振るおうとして。

だが、先程のように、飛苦無を放つべく、ふっと彼の腕が霞む直前、如月ですら、咄嗟に、あ、と思った程の疾さで彼へと近付いた甲太郎が、苦無を掴む指先を蹴り上げ、軌道を逸らした。

「甲ちゃんっ!?」

「早く行けっ!! ──後悔したくないんだろうっ? お前は、お前の手でここを解放する為にいるんだろうっ!?」

「…………うんっ! 甲ちゃん、有り難うっ! 先行ってるっ!!」

如月と甲太郎の間で、どんなやり合いがあったのかは見えなかったが、何時の間にか、如月と己の間に体を割り入れさせていた甲太郎が庇ってくれていると知って、付けた勢いを殺すことなく、九龍は魂の井戸を飛び出た。

「皆守君っ! そこを退くんだっ」

「……断る。どうしてもってなら、互い腕尽くだ」

「本気か?」

「俺でも、時間稼ぎくらいは出来るぜ?」

遠退いて行く背へと、如月は腕を伸ばしたが、それは再び、甲太郎の蹴りに阻まれる。

「…………彼は、『事情持ち』だと、龍麻達が言っていたんだがね」

「自分で言った通り、この先で、あいつの『事情』に絡む何かが起ころうと、あいつは意地でも受け止めてみせるだろうさ。…………俺は、九ちゃんに、後悔だけはさせたくない。……少なくとも、今、この瞬間は」

「成程…………。──彼がどんな『事情持ち』なのか、僕は未だ聞かされてはいないが……、京一も龍麻も、少し、過保護が過ぎたようだ。……自分達が一番の矢面に立つ方法しか、あの二人は知らないんだ。大目に見てやってくれ。────さて。そういうことなら、僕達も行こう」

「……ああ。──迷惑の掛け通しだからな、あの二人には。必要以上に庇おうと思い込む程、あいつ等には不甲斐無く映る俺達も悪いんだろう。……でも、後で絶対、蹴り飛ばしてやる…………」

九龍の叫び、甲太郎の言葉、それより、龍麻にしても京一にしても、少々、思い遣りの方向を間違えたのかも、と気付き、肩を竦めた如月は、苦無を収め、甲太郎を促し。

二人も、京一と龍麻の後を追った。

魂の井戸を出た直ぐそこにある、黄金色の扉を潜った先は、通路になっていた。

「お?」

「あれ……」

悪趣味な扉を開けば、喪部とのやり合いが直ちに始まるだろうと思っていた京一と龍麻は、拍子抜けした声を出して、右に折れている通路を辿る。

「龍麻さんっ! 京一さんっ! 俺も行きますっ。二人だけでなんて、狡いですよっ!」

「九龍? ……如月のヤロー…………」

「葉佩君……。だけど、さ……」

そこを潜れば、開けた場所に出るという直前、何とか追い付いた九龍に叫ばれ、渋い顔し、二人は振り返った。

「二人が考えたんだろう気遣いなんて要りませんっ。異形が相手じゃ、俺に出来ることは少ないかも知れないけど、それでもっ! 俺だって、喪部を止めたいんですっっ。《秘宝》だけを欲しがるあいつに、何も彼もぶち壊しになんかされたくないっ! 俺は、この《墓》を、只の遺跡に戻してみせるって決めたんですっ。俺の手でっ。俺自身でっ! そうしてみせるって、皆に約束したんですっ。皆の為にも、俺自身の為にも、甲ちゃんの為にもっ!!」

すれば九龍は、二人の腕をそれぞれ掴んで、必死に言い募り。

「………………そうだったな。……悪かった、九龍」

「……御免ね、葉佩君。俺達、君達のこと、心の何処かで、未だ高校生だからとか、年下だからとか……、そんな風に扱ってたのかも……」

「そうですよっ! そりゃ、俺も甲ちゃんも、未だ子供かもですけどっ! そんな風に思って貰わなきゃならない程子供じゃないですっっ。大体っ! 高三だった時、自分達はどうだったんですか、自分達はーーーっ!」

「それを言われちまうと、返す言葉もねえな」

「……だね。────じゃあ、行こっか」

「…………ほらよ。行けよ、九龍」

「はいっ!!」

顔を見合わせ、反省してる風に苦笑して、龍麻も京一も、九龍の為に道を開けた。

開かれたそこと、二人の顔を見比べて、パッと九龍は明るく応え、一歩を踏み出し。

三人が、通路の出口を潜った直後、ガコンと音立てて、仕切り戸が閉まった。

甲太郎と如月の到着を待たずに。