壁と床の隙間の所々から、溶岩が滲み出て来るその部屋の奥で、喪部は片膝を折って屈んで、あの桐箱を開けようとしていた。
「喪部っ!」
背中の向こうで仕切り戸が閉まったのを知り、一瞬、甲太郎と離れ離れになってしまったことに意識を持って行かれ掛けたが、彼ならきっと大丈夫と己に言い聞かせ、九龍は強く、喪部の名を叫ぶ。
「……しつこいね、君も、そっちの二人も。──仕方無い、死んで貰わなきゃ駄目なのかな」
掛かった声に舌打ちしつつ、億劫そうに、喪部は立ち上がった。
「僕の野望を知る者に生きていられると、面倒だし」
「なーにが野望だ、この野郎ーっ! ここの《秘宝》を手に入れるって野望も、レリックの親玉になるって野望も、ぜーーんぶ阻止してやるっ! お前なんかに、この《墓》を解放するの、邪魔させないっ!」
「無駄な抵抗はしない方がいい。僕は、《生徒会》やマッケンゼンとは違うんだ」
きーーーっ、と九龍が怒鳴っても、懐の銃へと手を伸ばし、向き直った彼は馬鹿にしているように笑って、そんなことも判らないのかと、肩を竦めた。
「……お前は、鬼だもんな。そりゃーあ、違うだろうよ、皆とも、マッケンゼンとも」
「知って……? ……ああ、そこの、宿星持ち達が教えたのか。そうさ。僕の正体は鬼さ。僕の遠い先祖に当たる物部氏は、異形と深い関係を持っていた。その遺伝子は、今も僕に受け継がれている」
「………………あのさ。喪部。一つ訊きたいんだけど」
「何だい? これから死に逝く君の、最期の頼みだと言うなら、答えてあげてもいいよ」
「お前、さっき、俺に遺伝子の話吹っ掛けたろ? 人とチンパンジーの違いの話。優れた遺伝子の差が、そのまま生物としての優劣に繋がってる、って。生態系の頂点に立つのは、優れた遺伝子を持つ生物でなくてはならない、って。お前、言ったよな? ……まさかと思うけど、お前、自分が異形だから、鬼の血を引いてるから、ヒトと違うから、自分の方が優れてる、とか思ってたりする? 鬼の遺伝子を持つ自分は、ヒトの遺伝子を持つ人よりも優れてるから、生き物の頂点に立つのは自分であるべきだ、とか思っちゃってる?」
「それが、何か不思議かい? それこそ、さっきも言った。優れた遺伝子を持つ、優れた生物が、無能な人間達を支配することに、何か疑問でも? そして僕は、その、優れた生物だ。生き物の、この世の、頂点に立つのが相応しい」
「…………言うのは、三度目になるけどさ。お前、そんなことしか言えないその口、閉じろ? 一生閉じてくれててもいいぞ? ──お前が言うような意味での生き物の頂点なんて、この世の何処にも存在してないって、気付けよ」
思わず問うたのは己だけれど、こいつは本当に、口を開いたら最後、腹立たしいことしか言わない、と憤慨して、九龍は、馬鹿、とボソリ呟くと。
「お前みたいな奴は、こうだーーー!!」
素早く『魔法ポケット』から取り出した、ぷよんぷよんしているブツを、ぶんっ! と、目一杯振り被り、喪部目掛けてぶん投げた。
投げられたそれは、標的とされた彼の顎辺りに見事ヒットし、パチっと音立てて爆ぜ。
「うわぁ…………」
「クサっ!」
途端、辺りに漂い出した異臭に、龍麻と京一は鼻を摘みながら、流石に、若干憐れみの色が乗った視線を喪部に向ける。
「カレー爆弾は、甲ちゃんから駄目出し喰らったから、賞味期限切れの牛乳しこたま詰めた、特製・地獄の牛乳爆弾だ!」
首から腹に掛けて、白い液体でびちゃびちゃに濡らし、呆然と立ち尽くす喪部を、九龍はびしっ! と指差し。
「…………………………葉佩九龍……。貴、様…………!!」
鼻が曲がる程の臭気を放つ牛乳爆弾を喰らい、陥った自失から何とか立ち直った喪部は、右手を握り固め、射殺しそうな視線で九龍を睨み付けると、怒りの籠った氣を膨れ上がらせ、鬼へと変生した。
「……これが、僕の真の姿だ。余り、この醜い姿を晒したくはないが、僕にこれ程の屈辱を与えた君が絶望する姿を見ないと、気が済まない。望みの一切を絶たれ、怯え、僕の足許に平伏して、泣き叫びながら嬲り殺される君、でないとね。……無能な人でしかない君は勿論、今生の黄龍だろうと、剣聖だろうと、僕には絶対敵わないと、思い知らせてやる。僕が、どれ程、優れた遺伝子を持っているのかもっ!」
体を輪郭毎歪ませ、角を生やし、瞳を真っ赤に染め上げ、怒りで震える声を放ちつつ、大きな鬼と化した喪部は、ダン、と床踏み鳴らし。
その所為で、辺りは軽く、くらりと揺れる。
「腐った牛乳塗れの鬼かよ……。斬ったら、刀に錆が付くんじゃねえか? それは勘弁して欲しいぜ」
「返り血も浴びたくないなあ。あの匂いが移りそうだから」
「……臭せぇ。本気で臭せぇ………………」
「或る意味、俺達よりも過激かもだよねー、葉佩君の方が」
「………………二人共、気にするとこ、そこですか?」
突き上げる震動を足裏から感じても、九龍の後ろに控えていた京一と龍麻は、腐った牛乳のことだけを気にし、判っちゃいたけど、この人達……、と九龍は、呆れた風に真後ろを振り返った。
「何だよ。気にすることなんか、そこしかねえだろ? ──さーって、と。いっちょ、やっか、ひーちゃん」
「そうだね。……あーー、見た目からして、鬼ー! な鬼退治って、凄く久し振り? 飛ばしとこうか? 京一」
「だな。決着なんか、とっとと付けた方がいいだろ。何時までもこんなトコにいたら、牛乳臭くなる」
「同感。中々落ちないんだよなー、あの手の臭いって。──じゃ、葉佩君。一寸避けてて」
困った大人を見上げる目線を九龍にくれられても、平然と二人は、臭いに関する文句だけを垂れ、が、パッ、と。
左右に散った。
京一は左へ、龍麻は右へ。
「秘剣、朧残月っ!!」
名付けられたそれが示す通り、春の夜、闇の中に浮かぶ月光を思い起こさせる光を生み出す技を、先ず京一は操り、辺りに散った月光の如き光は、一斉に喪部を襲って。
「八雲っ!」
光と痛みに足を止めた鬼へ、龍麻は、手甲に覆われた拳を繰り出した。
「くっ…………っ」
「未だ未だ! ──陽炎、細雪っ」
──恐らく、宿星持ちである彼等のような戦い方をする相手と、相対した経験がないのだろう。
喪部は、息つく暇
凍える雪の冷たさと、爆発的な威力を秘めた蛍火を灯す如くが京一の技を、両手を眼前に翳して耐えた。
しかし、そうしてみても、氣塊を身に浴びた際の衝撃までは殺すことが出来ず、喪部は、一歩後ろに押し戻され。
「行くぜ! 剣聖、天地無双!」
「秘拳、黄龍っ!」
その場に踏み止まる、ということしか出来なかった刹那の彼目掛け、飛ばす、の宣言通り、それぞれの最大奥義を、京一と龍麻は、渾身の氣を込めて放った。