どんなことをしてみても、このままではこの仕切り戸は開かないと、誰よりもそれを承知していたが、それでも甲太郎は、己と九龍を隔てた厚い鉄のそれを、思い切り蹴り上げずにはいられなかった。

ガウンっ! と蹴り飛ばされた仕切りは、やはり、《力》持つ甲太郎をしても、踵が当たった部分をへこませただけで。

「チッ……。他に、入口はないしな…………」

たった数センチの、けれど絶対的に立ちはだかるそこに左手を添え、彼は口の中でのみ、九龍の名を呟く。

「彼等のことだ、大丈夫だとは思うが…………」

先行した三人を追い掛けて、が、僅かの差で間に合わず、唯、厚い仕切りの前で、次々と迸っている京一や龍麻の氣を感じながら、如月も、焦れたように辺りを見回した。

「解ってる。京一さんや龍麻さんの強さは、俺だって身に沁みてるし、あの二人が一緒なんだ、九ちゃんだって……。だが…………」

「……他に入口はないんだな?」

「ああ。ここ以外には」

「なら、入口を作るしかないな。上層階からのレリックの進入路を辿れば、この奥の天井にも、穴を開けられるかも知れない」

「……そうだな」

九龍のことを案じる甲太郎の態度や、先程から、氣の迸りが途絶えている中の様子や、何よりも、龍麻達三人のことが気になって、如月は、ここからこの先に行けないなら、道を造る、と言い出し、踵を返した。

甲太郎も、黄泉の墓室へと戻るべく、如月の後に続いて…………、が。

化人創成の間の扉を潜って直ぐ、彼は足を止める。

「皆守君? どうかしたかい?」

「……先に行ってくれ。後から行く」

「…………? 何か遭ったのか?」

「別に」

「判った」

何故止まる、と問い掛けたのに、素っ気ないにも程がある返答をする甲太郎に、如月は軽い溜息を付いて、しかし、動こうとしなくなった彼の言葉を信じ、黄泉の墓室へと入って行った。

足音もなく、流れる水のように、するりと空けられた穴から如月が消えて行くのを見届け、甲太郎は魂の井戸の扉を開き、怠そうな、何時も通りの緩慢な足取りで、気のない素振りを取りつつ部屋へと入り、如月が、己の言葉を信じて先に行ったと確信した途端、カクリと、勝手に崩れてしまった体を何とかでも支えようと、井戸の縁に両腕で縋った。

「何だってんだ……っ……。くっそ……っ……」

どうしても開かない仕切り戸の向こう側よりの、喧噪めいた音が消えて暫くした頃から、徐々に、体の中心から何かが沁み出るような違和感を彼は感じていて、じわじわと沁み行くモノが、身の力を奪って行っている、と悟り。

決して、それを如月には勘付かれぬように振る舞いはしたものの……、彼を先んじさせ、些細な用事を足す風に魂の井戸に籠るのが、今の甲太郎に出来る限界だった。

一刻も早く、あの戸の向こう側で、京一や龍麻と共に、喪部と対峙しているだろう九龍の傍らに駆け付けたいのに、体は一つも言うことを聞いてくれず、沁み出続ける違和感は、やがて全身の隅々までを満たして。

「……かはっ…………」

掻き毟りたくてどうしようもなくなる熱を、彼は胸より感じ、制服の下のTシャツを鷲掴み、何かに激しく突かれたような息を吐いた。

「ま、さか……っ。でも、何で……っ。俺はここにいるってのに……っ。誰に倒された訳でもない…………っ」

増していく一方の熱、全身隈無く行き渡った沁み出続ける何かが今度は体から一斉に抜けて行く感覚、しようと意識して胸を動かしても苦しいだけに終わる息、遠くなり始めた意識。

それを、その身で感じ、はっ、と彼は、己から、《黒い砂》が抜け出ようとしているのではと思い当たる。

そこに思い当たったら、確かに、ザワリ……、と砂らしきモノが蠢く音や、さらさらと流れて行く音を、耳で拾うことが出来。

でも…………、と、彼は何とか、肩で息をした。

──己は『あの場』にいない。

ここにいる。

《墓守》として、九龍達の前に立ちはだかっている訳ではない。

彼等に、《墓守》として敗北した訳ではない。

なのに、何故? ……と。

しかし、その理由を探ることなど、喪部が何をしたのか知る由もない彼に、出来よう筈も無く。

考えることを放棄した彼は、切れるまで唇を噛み締め、上がりそうになる悲鳴や呻きを無理矢理飲み込み、井戸の縁に縋りつつ、腕や、胸許に強く爪を立てて、飛びそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。

こんな所で、一人暢気に気を失っている場合ではない、その一念のみで、《黒い砂》を与えられた全ての者が耐え兼ねた、苦痛や激痛に耐えた。

「は、あ…………っ……」

────魂の井戸での出来事だった、それが、幸いしたのかも知れない。

『何か』が全て、体から出切っても、甲太郎は痛みに耐え切り、意識を繋ぎ止めたままでいられた。

体に力を取り戻すことは中々出来ず、指先一本動かすのも困難で、立ち上がれるようになるまで時間を要してしまったが、数分程じっと踞っていたら、己の脚のみで立つことも、真っ直ぐ歩くことも出来た。

節々は軋みを上げながら痛みを訴え、血は不自然に熱くなってしまっている気がして仕方無く、眩暈は消えなかったし、肩で息をするのも止められなかったが、傍目にはしっかりとした足取り、きちんとした姿勢で、彼は魂の井戸を出た。

京一が結界を結び終えるより先に、ドスン……と地響きが湧いた。

「え……? 嘘!? 無理矢理分捕った龍麻さんの氣で、ほんとに化人呼びやがった、あのヤローーーーっ!」

揺れる床、強い足音、それを肌で感じ、九龍はバッと振り返って、出現していた化人を目にし、雄叫びを上げる。

だが、龍麻を支えている腕を、彼に離せる筈も無く。

「きょ……いち…………っ。は、ばき……君、を……っ」

「判ってっから、一寸黙ってろ、龍麻っ!」

「龍麻さんっ。俺のことはいいですからっ。自分の心配して下さいっ!」

化人を見据える九龍の手に、ぎゅっと力が籠ったのに気付き、龍麻は、京一の上衣の袖を引いて訴え、他人の心配をしている場合かと、京一も九龍も声を張り上げた。

「だ、けど……っ。きょうい、ち……っ。俺のことは、いいから……っ!」

「黙ってろっつってんだろうがっ!」

が、尚も龍麻は訴えを続け、京一は一層の大声で怒鳴り、その時、龍麻の胸許から湧いた、ピシリという音に気付いた彼は、今まで以上に厳しい顔付きとなって、片手を、音源へと突っ込んだ。

「ちっ……」

手が掴み出したのは、瑞麗が彼等へと与えた例の符で、真っ二つに裂けてしまったそれへ、京一は強く舌打ちをする。

「それって…………」

「……ああ。ヤベぇな……」

九龍も、あ、と青褪めつつ符を見遣って、彼は思わず、京一と顔を見合わせた。

────彼等が、そんな風にしている間にも。

巨大な化人は、地響きを立てつつ、彼等へと迫って来ていた。