鈍い動きながらも、着実に迫り来る化人を睨み上げ、結界を整え終えた京一が龍麻を抱き直すのを待って、九龍は一人、立ち上がろうとした。

「……葉佩、くん……。待って……っ……」

「行くな!」

けれど、龍麻も京一も、彼を止めた。

「だって、行かないと!」

「逃げろっつってんじゃねえ。……ひーちゃんは、今、戦えねえ。俺も、暫くは無理だ。だがお前だって、まともにじゃねえにしろ、あいつの陰氣を喰らってる。少しだけでいい、我慢しろ。この結界の中にいれば、陰氣もちったぁ抜ける」

何故止めるのかと、九龍は焦った声を出したが、京一は、せめて陰氣を抜いてからにしろと、首を振った。

たった一人で化人に立ち向かわなくてはならない今、少しでも、己が不利になる状況は避けろ、と。

「けど、『お守り』が──

──ルイちゃんがくれた符まで裂けてんだぞ。その勾玉だって、壊れないって保証はねえ。二、三分の我慢だ。それくらいは出来んだろ?」

「うっと…………」

「……九龍。俺達は、甲太郎からお前を預かってる格好になってるんだ。あいつに顔向け出来ないこと、させんじゃねえよ」

「は、い……」

直ぐそこに迫った化人をチラチラ気にし、多少の不利は、と九龍は引き止めを振り切ろうとしたけれど、京一はそれを許さず、代わりに、片膝付き、龍麻を抱えたままの姿勢で、右手のみを振るい、円空旋と天地無双を立て続けに放ってみせて、化人を後方へと吹き飛ばした。

「……京、一……。手、出して……っ。葉佩君、も…………っ」

己へと氣を注ぎつつ、無理な姿勢で最大奥義までをも放った彼を、龍麻は呼び、何とか左手を掴むと、九龍の手をも握って。

「ひーちゃん?」

「龍麻さん?」

何をする気かと、訝しんだ彼等を他所に、龍麻は、京一の氣の助けを借りながら、自らの氣を九龍へと注ぎ込んで、彼の中に残っていた陰氣を吹き飛ばした。

「…………馬鹿、てめぇっ!」

「うおっっ。た、龍麻さんっ!?」

「それ、で……だいじょ、ぶ…………」

「龍麻さんっ! 何ちゅー無茶をっ!!」

「ご、めん……。俺……一緒に戦ってあげられない、から…………っ。今は、これくらいしか……してあげられな……い…………っ。──京一……っ。俺のことは、いいから……っ。一緒に…………っ」

「馬鹿野郎っ! 何を寝惚けたこと言ってやがるっ! 今、お前に何か遭ったら、それこそ、この世が終わっちまうんだぞっ!」

「そうですよ、アホなこと言ってる場合じゃないですって! ──大丈夫です。俺のことは気にしないで下さい。化人を倒すのは、俺の仕事です。俺がしなくちゃならないことです。この《墓》を解放することが望みの、俺こそがしなくちゃならないんです。…………行って来ます!」

そんな状態で、何を仕出かす!? と京一も九龍も憤ったが、龍麻はその一切に耳を貸さず、京一にまで、自分を置いて戦えと告げて、だから九龍は、きっぱり、と、己は、己こそが成さなくてはならぬことをしに行くだけだと、今度こそ立ち上がって、青年達に背を向けた。

「九龍、ヤバくなったら、俺達の所まで引け。活剄くらいなら掛けてやれるし、あいつを吹き飛ばす手伝いなら出来る」

「はい! 期待してます!」

自身の身が青い光を帯びる程に、龍麻の為、氣を灯し続けつつも言ってくれた京一を肩越しに振り返り、にぱっと笑んでから、彼は、AUGを抱え、駆け出して行った。

「ったく、お前は…………っ」

「ご、めん……。でも……」

「判ってる。何も言わなくっていいって。──黙って、大人しく目ぇ瞑ってろ。俺が、何とかしてやるから。九龍の奴だって、大丈夫だから。……想いのある奴は強ぇって、お前だって承知してっだろ?」

「うん……。──京、一……。一回、意識、切っていい、かな……。出来そうな気がする、から……オチてもいい……? でないと、駄目な気が……、化人が、倒れない気がする……っ。未だ、氣、抜かれて、る…………っっ」

「……止まんねえのか? …………なら、そうしとけ。お前がそう思うんだ、そうするのが一番だ。心配すんな、付いててやるから」

「……うん…………」

探索に向かう時に見せる、何時もの、うきうきとした足取りで──それは恐らく、わざと、なのだろうけれど──、部屋の中央へと走って行った九龍を目で見送り、京一は、深く抱き締め直した龍麻に溜息と呆れをくれて、叱りながらも、そっと、毛先や額にキスを落とした。

そうしてやれば、龍麻は、『意識を切る』と言い出し、全てを京一へと託すと、本当に、コトリと首を仰け反らせた。

「…………どうすっかな……」

弛緩して、重みも増した体を抱きながら、龍麻を安堵させる為に刷いた笑みを、京一は引っ込める。

『何とかしてやる』も、『大丈夫』も、嘘ではなかったが、龍麻の為の誤摩化しではあって、明らかに不利と言える自分達三人の今をどうやって凌ぐか、彼は真剣に考え始めた。

これまで倒して来た《墓守》の化人よりも、一回り程大きく感じられる化人を見上げ、ん! と九龍は気張った。

腰から下を強引にねじ切られたような、痛々しいと言えるそこに、胎児とホルマリンを入れた大きな試験管を嵌め込んだ、としか見えない姿をした、心情的には余り直視したくないそれと、己のみで戦わなくてはならないのは、正直な処しんどくはあったけれど、元々、『宝探し』は一人で成さなければならないことだったし、この《墓》の解放を叶える為には、一瞬先、どんなことが起ころうとも、負ける訳にはいかない。

「どー考えても、あの試験管なんだろうなあ、弱点……。あそこだけ、『異質』だもんなあ……」

だから彼は、軽く唇を噛み締めて、化人の注意が龍麻達に向かぬよう、己へと引き付けながら、渋い顔して《墓守》を見上げた。

試験管の中を満たした、その正体は判らない液中に漂う胎児は、時折ゆるりと瞬きをする。

貴方はだぁれ? と言わんばかりに、視線を向けて来る。

酷く澱んで、虚ろで、寒々しさを感じる、けれど赤子特有の、無垢な眼差しを。

………………『それ』を撃つ、というのは、しなくてはならないことだと判ってはいても、怯むことだった。

トリガーに掛かる指先に、躊躇いが乗った。

今も尚、九龍の中で、化人が、人間よりもずっと相手にするのが楽な『化け物』でしかなかったなら、躊躇いも、怯みも、感じなかったのだろうが、彼はもう、化人という存在がこの世に生み出された経緯を、半ば掴んでしまっているから。

哀れだとか、哀しいとか、そう思ってしまう己の一部分を押さえ切ることが出来なかった。

昨日まで対峙して来た化人達が相手なら、その想いは無理矢理にでも抑え込めたのだろうが、撃たなくてはならない相手は、赤ん坊。

確かに生きて、己を見詰めて来る嬰児。

────だから。

あの赤ん坊を撃てる、という自信がどうしても持てない、と。

九龍は思わず、目を瞑って。