……その時。

天井の片隅で、小さな、爆発音によく似た音が響いた。

「え……?」

「龍麻! 京一!」

「如月!」

目を瞑ってしまった九龍も、龍麻へと氣を注ぎ続けていた京一も、レリックか、と振り仰いだ、ガラガラと崩れた天井からは、如月が飛び下りて来た。

「どうしたんだっ!? 何が遭ったっ!? 龍麻は一体……?」

「こっちのことはどうでもいいっ! 如月、九龍頼むっ!」

下り立った直ぐそこで、意識を失い京一に抱かれている龍麻と、そんな彼を庇うようにしている京一がいると知って、如月は切羽詰まった声を上げたが、駆け寄って来た彼を、京一は蹴り飛ばす風に、九龍の方へと向かわせる。

「……約束の蔵掃除は、三回に水増しだな。──葉佩君、無事かっ?」

「はいっ。今んとこ大丈夫ですっ!」

入れられた蹴りに対する文句をボソリと零しはしたものの、如月は、激しい水柱を立てる技を放って、それに化人が怯んだ隙に、援軍の彼と共に少々後退した九龍は、躊躇ったりしてる場合じゃないと、AUGのグリップを握り直したが。

「あれが、噂の《墓守》か……。……やり辛い相手だな」

「ええ…………」

対峙した化人を見上げ、ひたすら、己達へと眼差しを向けて来る赤子に目を留めた如月も、呟きと共に眉を顰めたから、この人ですら、そう感じるんだ、と。

少しだけ……本当に少しだけ、九龍は眼差しを足許に落とした。

「グオオ……!」

──その所為で。

如月の生んだ水柱に行く手を阻まれたことに憤った化人が、雄叫びを上げながら放った火焔に反応するのが、如月も、九龍も、遅れた。

「くっ……!」

「うわっっ!」

放射された火焔は、真っ直ぐ彼等へと迫り来て、咄嗟に身を返した如月は、少しでも盾になればと、再度、太い水柱を湧かせたが、火焔は呆気無く、水の盾を突き破る。

「…………っ!!」

眼前まで辿り着いた火焔に飲まれるのを、九龍は覚悟し息を詰めて────刹那。

ふいっと、視界の中の火焔の位置がブレた。

「え……?」

誰かに、襟首を掴まれ引き摺られた、と気付き、間一髪で、脇をすり抜けて行った火焔を気にしつつ、振り返った彼は。

「この、馬鹿っ!」

息急き切る甲太郎に、思い切り怒鳴られた。

「甲ちゃん……? 何時の間に…………」

「そんなこと気にしてる場合じゃないだろっ! 戦ってる最中だってのにボンヤリしやがって、このヘボハンターっ! 死にたいのか、お前はっ!!」

「う、御免……。ちょ、一寸、戦い辛くってさ……」

「…………だから、お前は馬鹿なんだ。──九ちゃん、『あれ』は何だ?」

「へっ? 何って……化人」

「化人の正体は、何だった?」

「??? …………どっか遠くから来た馬鹿野郎達が拵えた、キメラやクローン。多分、だけど」

「……それが解ってんなら、『その先』も解んだろ? そんな風に生み出されたここの連中には、多分、倒されることでしか救われる道はない。…………お前にとっては、哀しいことかも知れない。辛いことかも知れない。嫌なことでもあるのかも知れない。……でも。お前が倒さなきゃ──お前に倒して貰えなけりゃ、連中は救われない」

眦を吊り上げつつ迫って来た、どうしてここにいるのか理解出来なかった甲太郎の怒鳴り声に、九龍は思わず首を竦め、試験管の中に揺蕩たゆたう赤ん坊へと、チラっと視線を流しつつ小声で言い訳をし、魂の井戸を出た後、天井裏へ侵入し、如月が抉じ開けたルートを使って化人創成の間へと辿り着いた甲太郎は、「ああ……」と、九龍の戦い振りが鈍かった理由に思い当たり、言い聞かせた。

どうしてやるのが、化人にとって、最も救いの道となるのかを。

「………………倒してやること……が、救い……?」

「……違うか? あいつ等は、きっと、もうナニモノにもなれない。そして、きっと、もうナニモノにも戻れない」

「…………俺なんかが……救って、いい……のかな?」

「お前以外の、誰がやるんだ? お前以外の、誰に出来る?」

そうすれば、九龍の瞳は、化人と甲太郎を行き来し始め。

だから、甲太郎は深く頷いてやって。

「……うんっ!!」

パッと、強く、しっかりと面を持ち上げ、化人へと瞳を据えて、九龍は、確かな足取りで、床を蹴った。

────化人が動きを止めた時、辺りに響いたのはやはり、耳を塞ぎたくなるような、悲痛な悲鳴だった。

初めて、区画の《墓守》である化人を倒した時からこれまでと同じく、悲鳴を上げる化人から溢れた、澱んでうねる泥水の如くな大量の体液は、部屋の四方へと『集められ』、砂塵のように崩れた体躯は、何処いずこへと吸い取られて行った。

……あれから三ヶ月が過ぎた今では、その光景が示す意味が九龍達にも判る。

神をも怖れぬ実験の果てに創られた歪な命──『被験体』が、処理されて行く光景なのだ、と。

…………惨い。──そうとしか、例え様のない光景なのだ、と。

けれど、塵と化し、消え逝く最中さなか

試験管の中を漂っていた赤子は、泣くこともなく、苦悶の表情を浮かべることもなく、唯、ゆっくりと瞼を閉じて、逝ったから。

少なくとも、あの化人の魂は救われたのかな、と自らに言い聞かせ、九龍は、ひらり……と、部屋の中央に落ちた、色褪せた一枚の写真を取り上げた。

それは、印画紙の隅々までを埋め尽くすラベンダーの花の中に、一人の女性が埋もれている物だった。

酷く遠くから映されたのか、それとも、ピントが上手く合わなかったのか、花に囲まれた女性の面立ちは掠れてしまっていてよく判らなかったけれど、小さくて可憐な、『あの』芳香を放つ花が、とても似合う女性に思えた。

「……えっと………………」

──……一杯の、ラベンダーの花。それに囲まれる、たった一人の女性。

そんな写真を拾い上げた九龍は、小さく呟いて、思わず、誰にも気付かれぬ内に、写真をグッと懐に押し込んだ。

咄嗟にやってしまったことだった。

これは、甲太郎の想い出の品なのかも知れない、だったら彼に返さなければ、と思いつつ、九龍は無意識に、それを拒んだ。

恋人の、大切な大切な想い出かも知れない品。

想い出の品かも知れない写真の中に、生き生きと映る、彼の、大切だったかも知れない女性。

……そんな物に。

彼は、甲太郎を渡したくない、と思ってしまった。

──甲太郎が、常に纏っている香りの主である花と、彼を、そんな風にさせたかも知れない女性。

写真に、その二つが映り込んでいることに気を取られ過ぎて。

『かも知れない』過去に、刹那、嫉妬して。

九龍は、『《墓守》の大切な《秘宝》』が現れた、その意味する処を顧みなかった。