少年達と別れ、部屋へと戻るべく歩道を辿りながら、傍らを歩く京一の横顔を、窺うように龍麻は盗み見た。

「ひーちゃん? どした?」

「その…………。さっきは、変なドツボに嵌まって、御免……」

が、直ぐさま京一は視線に気付き、ん? と顔を巡らせて来て、だからボソっと、彼は小声で囁いた。

「いいって。もう言いっこなしだぜ、ひーちゃん。何時までも気にするようなことじゃねえよ」

…………又、「謝るな」と語気強く叱られるかも知れない。──そうは思いつつも、龍麻はどうしても、御免、と言わずにいられず、けれど京一は、軽い苦笑いこそ浮かべたものの、柔らかく、彼の肩を抱いた。

「ひーちゃん。俺の方こそ、御免な? 無茶ばっかして、お前に心配掛けっ放しで」

「え? そんなこと……。だって、京一が無茶するのは、大抵、俺が──

──じゃあ、お互い様ってことにしようぜ。な? それでいいじゃねえか。俺は、お前とお前の背中護って、お前は、俺と俺の背中護って。何も彼も、半分こにするんだろ? 五年前、そうやって約束したじゃんよ」

「……うん。────あの、さ。京一。あの…………」

肩に乗った手も、注がれる言葉も、何時も通り優しく、己を包む氣も、常通り、暖かくて、熱くて、時に痛い、真夏の太陽の如くで、でも、何処か、何かが違う、と。

京一の言葉に頷きながら、龍麻は首を傾げ、言葉でするのは難しい問いを、眼差しに込めた。

「何だよ。どうかしたか?」

「どうかって言うか……。うーん、何て言って良いのか…………」

「……変なひーちゃん。──それはそうと」

だが、その問いを、細やかな笑い声で京一は流して、するり、話題を変える。

「何?」

「気付いてんだろ? 甲太郎のこと。あいつの氣が、『変なの』から、ヒトのそれに戻った、って」

「ああ、うん……。…………京一。どうしたらいいんだと思う?」

変わった話題は甲太郎のことで、龍麻は、酷く思案気な顔付きになった。

「さーて、な……。正直、俺も考え倦ねてる。どうしたらいいのか、って。────九龍は多分、甲太郎が斬っても撃っても死なない体じゃなくなったって、気付けてない。甲太郎は甲太郎で、九龍がそれに気付けてないのを勘付いてやがるくせに、俺達にも黙り決め込ませようとしてる。大方、それがバレたら九龍が戦えなくなるって思ってるんだろう。…………甲太郎の気持ちは、判る。でも、だからって、俺等までが黙り決め込んだら、九龍は……、とも思うしな……。けど…………俺達が、そこまで踏み込んでいいのかどうか……」

その現場を目撃した訳ではないけれど、甲太郎から《黒い砂》が失われたこと、それを、氣で知り得ていた二人は、どうするべきかと揃って悩み。

「……………………京一」

やがて、思い定めた風に、辿る歩道へ落としていた視線を龍麻は上げた。

「ん?」

「京一が言う通り、皆守君の気持ちのこと考えたら、俺達も黙り決め込むべきなんだろうと思う。でも、葉佩君の気持ちのこと考えたら、知ってて黙ってるのは酷いことなんだろうと思う。けど、この件に関しては、どっちか片方だけの味方も出来ないし、片方だけを庇うことも出来ないし、俺も、俺達がそこまで踏み込んでいいのかな、って思うんだ。……二人の問題だからさ。二人にしか、決着付けられないことだし。…………だからさ、皆守君が『ヒト』に戻ったってことに関しては、俺達も、今だけは、気付かなかった振りをしよう。でも、その代わり────

──他人が踏み込んではならないのだろう彼等二人の問題に、手出しはまかりならぬから、心苦しいけれど静観しようと彼は言って、『代案』を告げた。

「………………そうだな……」

『代案』を聞き終え、京一は暫し考え込む風にしていたが、一度だけ強く頷いて。

「どの道、或る程度はちょっかい出す予定なんだ。連中だけしか立ち入れない問題の外っ側で、何とかしてやるとするか」

『当初の予定通り』、手を貸してやっても問題なさそうな範疇の中で、問題なさそうなやり方で以て、己達は関わろう、と『代案』に賛成を示した。

「ん。じゃあ、そういうことで」

「おう。……あ。となると。もう一遍、あそこに頭下げなきゃなんねえな」

今になって、急に降って湧いた問題をどうするか、確かめ合った彼等は、重苦しかった表情を晴らし、それまでよりは軽い足取りで歩道を行った。

京一は、龍麻の肩を抱いたまま。龍麻は、京一に肩を抱かれたまま。

「それくらいで済むなら安いもんだよ。──この三ヶ月、殆ど毎日顔合わせてた所為もあるんだろうし、葉佩君は全力で、皆守君もそれなりに、懐いてくれてるから、最近益々、あの二人のこと、ホントの弟みたいに思えて来ちゃっててさ。だから余計、思っちゃうんだ。全てが終わっても、二人が無事で、ちゃんと幸せになれる為に、俺達に出来ることがあるなら、って」

「それは、俺もだな。放っとけねえし。生意気で小憎たらしいけど、面倒見たくなる弟共っつーか。……ま、向こうは向こうで、俺等のこと、世話の焼ける、どうしようねえ大人、とか思ってんだろうけどな」

「あはは。うんうん、そんな風に思われてそう」

「それによ。正直、最初の内は、ここに潜り込むのも居座るのも、どうにも乗り気になれなかったけど。ここに来たことにも、九龍や甲太郎とこんな関係になったことにも、今までの三ヶ月、ここで起こった色んなことにも、俺は、感謝してるから。二人には、恩返ししねえとな、ってな」

「あ、そうなんだ? 珍しいね、京一がそんな風に言うなんて」

「まあな。ちょいと、思う処があって、って奴だ」

「ふうん……。何? その、思う処って」

「…………その内、話してやるよ」

道を行く彼等のやり取りは、そんな所へ辿り着いて。

唯々、不思議そうに目を瞬かせる龍麻を、京一はその時、くすりと笑った。

後少しで日付が変わるという頃、こっそりと忍び戻った寮は、何時もよりも静まり返っていた。

二十三日午後の出来事を、なかったことにすべく、咲重が使った香りの《力》が、生徒達を、常よりも深い眠りの中に落としているのかも知れないと思いながら、ひっそりとした寮の廊下を辿り、九龍は、この、約一月近くで培ってしまった習慣に倣い、恋人と共に、恋人の部屋へと滑り込んでから、あ、と渋い顔付きになった。

「どうした? 何か遭ったのか? あそこに、忘れ物でもしたか?」

「そういうんじゃないよ。流石に、今日は甲ちゃんも疲れたような顔してるから、自分の部屋に戻ろうって思ってたのに、習慣でこっち来ちゃったな、失敗失敗、ってだけのことさね」

あからさまに作ってしまった、拙い、との表情は、直ぐさま甲太郎に勘付かれ、あはー、と笑いながら九龍は追求を躱した。

本当は、『いまだ己が懐に眠る、ラベンダー色に染められた写真の存在を、甲太郎に悟られる前に何処かに隠してしまいたかったから、自室に戻ろうと思っていたのに』、が真実の答えだったけれど。

「今更、何言ってんだかな。それに、お前が傍にいた方が、余程安眠出来る。又、何処かで一人馬鹿をやらかしてるんじゃないかと、神経すり減らさずに済むからな」

「……甲ちゃん。俺のこと、やんわり口説いてんの? それとも、遠回しに貶してんの? どっち?」

「決まってんだろ。貶してるんだ」

「やっぱし……。ああー、こーたろさんってば、とことん愛が辛いわー!」

「馬鹿言ってないで、シャワーでも浴びてきやがれ。今夜のこの様子なら、大丈夫だから」

俺はこんなに甲ちゃんのことを思ってるのに……、とか何とか言いながら、ヨヨヨヨ……、と見慣れ過ぎた泣き真似をする九龍を、甲太郎は情け容赦無く蹴っ飛ばした。

「へーーーい……」

ドゲっと蹴られた臀部を摩りつつ、少しばかり不貞腐れた風に、狭いシャワーブースへ九龍が入り、水音が響き始めるのを待って。

「判ってんだか、判ってないんだか……」

ボソっと独り言を洩らし、脱ぎ捨てられた九龍のアサルトベストを、甲太郎は床から手繰り寄せた。

立ったまま、手早く、幾つあるんだ、と言いたくなる数多のポケットを探って行けば、やがて、彼の整った長い指先は、一枚の印画紙に触れた。

けれど、彼はそれを引き出さず、ポケットの隙間から、それに写し取られたモノだけを確かめると、九龍の制服その他と纏めてハンガーに掛けた。

もう、その写真そのものに『未練』を感じることはなかったし、今暫くは、九龍にこそ、それを持っていて欲しい、と思ったから。

彼はそれきり、写真には、見向きもしなかった。

今、甲太郎にあるのは、過去に犯した罪から生まれる後悔と、現在いまが生み出す後悔と、後、幾許かで費えるだろう『未来』に対する、若干の名残惜しさと。

愛した九龍を、付き合える所までは、行ける所までは、何に代えても守り通す。

………………それだけだった。