十二月二十四日。
クリスマス・イヴ、当日。
長い──本当に本当に、長い一日、『長い夜』の始まり。
アラームが鳴るよりも早く目覚め、滅多なことでは己よりも先に起きることなどない甲太郎の傍らより、忍ぶようにベッドを這い出て、開け放ったカーテンの向こう側に広がる、どんよりとした色の雲で覆われた空を見上げ、九龍は思わず溜息を零した。
今は余計なことを考えている場合じゃないから、気にしないようにする、と決めた筈の、喪部の発言──『材料にすらなれなかった、出来損ない以下』との捨て台詞に対する気掛かりは、どうしても頭の隅より消え去らず、アサルトベストの内ポケットに隠した印画紙に映り込んだ、ラベンダーの花がよく似合うと思える女性──甲太郎の過去に関わっているのだろう女性に対する、もやもやした思いも消えず。
夕べ、九龍は余りよく眠れなくて、こうして朝が来ても、気分は今一つ晴れなくて。
だと言うのに空模様まで、今の自分と同じ、どんよりした気配か……、と。
思わず、深い溜息を。
「ちくしょー……。しっかりしろ、俺ーー!」
だが、朝っぱらから、落ち込んでますオーラを振り撒く訳にもいかないと、ガスリ、己で己の腹に一発喰らわした彼は、甲太郎が目を覚ますまで気分転換でもしようと、『H.A.N.T』を立ち上げた。
ほんの少しだけ、やり掛けの、『ロックフォード・アドベンチャー』でもしてみようかな、と。
「およ?」
しかし、そんな風に『気楽』な気分で立ち上げた『H.A.N.T』の画面は、メールが一通届いていることを、先ず九龍に教えた。
「誰だろ。えーーーと……。え? 幽花ちゃん?」
──白岐幽花。
気付かぬ間に受け取っていたメールの、差出人欄に記載されているその名を眺め、何か遭ったのだろうかと、彼は首を捻り。
『午後六時に、温室で待っています』と綴られていた本文を読み終えた後は、眉間に皺を寄せた。
簡潔過ぎる程簡潔な一文に、酷く深い意味があるように思えて。
「……ま、行ってみれば判るか……」
故に、幽花は、自分を温室に呼び出してどうするつもりなんだろう、と九龍は訝しんだが、赴いてみれば判る、と『H.A.N.T』を閉じ、静かに立ち上がると制服に着替え、アサルトベスト片手に自室へ戻った。
ひょっとしたら、今夜、《遺跡》の最深部への扉に関わる、戦いを迎えるかも知れない、と。
何とはなし、そんな予感を覚えて。
「………………白岐、か……。そう言えば、あいつの正体は、未だ謎のままだったな……」
────本当に微かに、パタム、と音を立てて、九龍が部屋の扉を閉めた直後。
癖の強い焦げ茶の髪を掻き上げながら、重苦しい息を吐きつつ、甲太郎は起き上がった。
そろそろ登校の支度を整えなければ、ホームルームに間に合わなくなる、午前八時過ぎ。
今宵迎えるかも知れない戦いの為に、室内の至る所に隠している装備品その他を引っ繰り返しつつ、九龍は頭を捻っていた。
「荒魂剣と、ファラオの鞭は確定でー。個人的には『食神の魂』も捨て難いけど、あれ、刃渡り短いからなー。……お。そうだ、銃器どうしよ。AUGの方がいいのか、それともMk.23の方がいいのか。……AUG対Mk.23って、結局、5.56mm NATO弾と、.45ACP弾の、どっちがより化人に効くでしょうか対決、だよなあ。うーーん……。両方持ってこうかなあ……」
「………………朝っぱらから、物騒なもん広げてんな」
何を持って行こうかとか、今の内に、もう少し強い武器を『JADE SHOP』から調達しておいた方がいいんじゃないかとか、そんなことを悩みつつ、ばらり、露天商宜しく、物騒過ぎる数々の品を彼が床に並べていたら、おざなりなノックの音と共に、甲太郎が入って来た。
「お、甲ちゃん。おはよー」
「何が、おはよー、だ。目が覚めたらいないって、どういう了見なんだよ、九ちゃん。──それはそうと、何やってる?」
にぱらっと笑みを拵え九龍が振り返っても、甲太郎は不機嫌そうに、断りもなしに部屋を抜け出した彼を詰って、『物騒な品の露店』を挟み、座り込む。
「戦闘準備って奴さね。幽花ちゃんから、呼び出しメール貰ってさ。何となく、一波来そうな気がするから、何時、何が起こってもいいように、支度だけはしとこうかな、と」
「成程。それで、この様か。…………そんなハンドガン、何時買った?」
「ん? ついこの間。──いいっしょー? Mk.23。日本では、SOCOMって言った方が通りがいいかな。ちょーーーっと、ハンドガンにしちゃ馬鹿デカいけど、見た目よりは軽いよん。撃ってみる?」
「馬鹿言うな。そんな物に興味は無い」
「えーーー。改造無しでサイレンサーも付けられる、ナイスな奴なのにー。レーザーライトも付くのにー。その分重いけど。.45ACP弾仕様な所為で、アメリカ以外じゃ評判悪いけど。反動きついけど」
「……起き抜けに、銃器講座なんか始めるなよ、鬱陶しい。蹴るぞ? ──授業出るんだろ? 支度しろ」
「あ、うん。行くつもりではいるけど、こっちの支度が終わり次第かな。今度来る一波は、多分、最後のビッグウェーブだろうからさ。今日だけは、授業は二の次なのです。……あ、御免、甲ちゃん。後ろの箱の中に、救急パック突っ込んである筈なんだ。取ってくんない?」
やれやれと、床に散らばるブツ達と、九龍の顔を甲太郎が見比べれば、にこにこーっと九龍はMk.23に付いて語り出し、酷く嫌そうにそれを聞き流した甲太郎は、登校するなら、と彼を責っ付いたが、今はそれ処じゃないと、逆に、備品探しを言い渡されてしまった。
「お前な……。……入ってねえぞ、救急パック」
「あれ? 俺、何処仕舞ったっけ?」
「……あっちの箱」
「判ってんなら、黙って取ってくれたっていいじゃん…………」
「嫌味くらい言わせろ」
唸り声を洩らしながら装備品をどうしようか悩み続ける九龍を、若干いびりはしたものの、結局は乞われるまま救急パックを探しつつ、素早く腕を動かして、夷澤の区画で『宝探し屋』が見付けたアンクの護符を、甲太郎は手の中に握り込んだ。
「ベストの中に入れとくぞ」
「うん、宜しくー」
貴重な物からそうでない物まで、ごちゃりと詰め込まれている箱の中から、彼が護符を掴み出したのに、九龍が気付くことはなく。
素知らぬ顔して甲太郎は、救急パックを押し込んだポケットの底に、アンクの護符をも押し込んだ。
それが、身に着けた者に如何なる恩恵を齎す護符なのか、重々、承知していたから。